母は怒っていて、口を訊いてくれません。
アタクシは困惑していました。
安心して下さい。
昨夜、テレビの前でうたた寝をして見た夢の
中でのことですから。
昨日は立川に事務所がある不動産業の知人を
訪ね、家の売却について相談してきました。
母が認知症であることがわかり、一人にして
おくことが出来ないとなった時、アタクシは
失業中でした。
当時の母は、認知症初期の物盗られ、幻覚、
幻聴があり、さらに、介護保険申請も嫌がり、
ましてや、デイやヘルパー派遣なんぞ、全く
聞く耳を持たず、アタクシはそのまま介護に
突入しました。
バブル期に購入した現在の家のローンを払い
続けることが出来ず、その後、10年間に亘り
利払いのみを銀行にお願いしてきました。
母が大腿骨を骨折しなければ、さらに毎年、
銀行と交渉し、暮らし続けたことでしょう。
このまま、生活出来れば、ほんと楽ですが、
いずれは、実家を畳みアタクシ自身の生活を
縮小していかなければないないのです。
高齢になればなるほど、大がかりな移動は、
身も心もくたびれ果てることになります。
還暦を過ぎた今だから、動けるのも事実だと
思います。
アンタ達、アタシを騙したわね。
介護老人保健施設(老健)に入所した初っ端、
母が吐き捨てるようにアタクシに言った言葉、
忘れることはできません。
家を売却するということは、母を騙している
ような気がしてなりません。
毎日と言っていいほど、母の夢を見ます。
在宅介護でなくとも、どこかで、母の存在に
縛られているアタクシがいて、自由な時間が
あるようでないという生活になっている気が
します。
このままで生活するのが一番楽でございます。
それでは、アタクシの老後はそれこそ、破産。
今、動かなければ、どうにもならない。
行動に起こさないと、ズルズルと安易な方へ
行ってしまいそうなのです。
コメント
コメント一覧 (14)
在宅でずっとみておられたから
まだまだ、縛られているのかも…
動けるとき、行動出来る時に
色々すべきだと思いますヨ
頑張って下さいネ
おはようございますm(_ _)m
夫の実家の荷物を片付けた際、精神的にも、金銭的にも(笑)キツかったです。
しかし、伯父がなくなった際、従兄妹達が相続の始末に難儀している様子(義伯母は先に亡くなりました。)、独り暮らしの伯母が施設に入った際、各々の子供達の不動産管理の煩雑な様子を見ていると、今の時代、遺産に不動産は要らないな~って思いました。(樹木の伐根とか、かなり高額ですよね…。更地にするのも大変です。)
地元に根強くお暮らしの旧家の跡継ぎで、代々受け継いできた御家庭などあれば、また別だと思いますが…。
私は、子供達にそういう迷惑をかけたくないので、できるだけ自力で始末をつけたいと思いました。老後の費用の為にも、来春の就職を目指したいなと考えています。
これからも、あんず様後を追って暮らしてまいります(笑)ので、色々教えていただけたらと思います。m(_ _)m
あんず様、しんどいと思います。
そのお気持ちも含め、1つずつ整理されればよいと思います。
生意気申しまして、失礼しました。
親が家にしがみつくのを1本1本指を解き介護の施設にあづけた感をいつも感じるのしかたないことと思います。我が家なんてケサカ婆は身体にどこも支障なく病気もないのですから、本人は親を捨てたとしか思わないのはご尤もなんです。しかしながら2度の早朝徘徊あって警察に通報、認知症ネットで探す事件あって私たちは強硬手段を初めて現実的に考えました。四の五の言ってる場合じゃなくそのうち大事に至るぞ・・と。ゆえにXデーを設定し精神科認知症病棟に入院措置しました。なんたって徘徊デビューは遠方でしたからさっさと手を打たなきゃまた乗り物徘徊し遠方に行く恐れがありますから。人によっては徘徊はじまったとてうまく対処して面倒みている家庭もたくさんありますが、うちは独居、別居(徒歩30分)嫁は午後から仕事に行く。そういうこともあり目が行き届かない。ご近所さんは嫁が毎朝来て昼頃まで家事をして、買い物や用事を小走りに済ませ、バスの時間気にしながら仕事に行っているのを見ているのでとても協力的で何かの時にはうまく対応してケサカ婆が一人で出歩くことのないように家に連れ戻してくれていました。ご近所、他人の協力を得たから持続していた自立生活。それを「だから今後も大丈夫。」と思うか「たまたま協力を得た」と思うか・・そこのところもケアマネさんとのズレがありました。他人の力を借りると言っても他人に責任押し付けるわけに行きません。が家族の気持ちですよねぇ。でXデー強硬手段に出たのです。山ほど内科医に出され飲み放題でそれもあって認知症のせいか薬の影響のせいかもわからないので内科医に相談し、精神を制御するような薬は一切飲んでいない現在。抗うつ剤なんてとんでもない、攻撃的言動なので薬で発奮させられちゃたまりませんもの。
私達が面会室に入り、ケサカ婆はそのお友達の傍らでなにやら話していましたが呼ばれ面会室に入りました。「飯はおいしかったね?」と鬼嫁。「ん。。何とも知れんが・・」「下の歯しか入れ歯してないので食事の様子観察し刻み食になってるんじゃないね?」「そうじゃろね。」「いつまでもここおったら入院代いくらかかるかわからんし・・お金かかるしね。なんということもない治療もないし・・もう帰ろうかと思いよる。もう2,3週間なるやろう?」「まだ2日しかたってないよ。」「お金は心配いらんのよ。」「ちいさなモナカを1つ差し出し、これ食べる?」と気を逸らす鬼嫁。「▲▲と△△は?(郷里の弟たち二人の名前)」を聞く。ここは〇〇市よ、弟たちは●●県じゃないね。」「私の名前はわかるね?」「〇〇ちゃん!」「そうよ、わかるね。」「▲▲の嫁じゃろ?」「▲▲は80過ぎたケサカさんの弟よ。私はケサカさんの産んだ◎◎の嫁よ!」「あ・・そうやったかねぇ・・」「ここは〇〇県○○市●●市じゃろ?」「なんで市の名前が2つあるん?●●市は●●県じゃないね。」
これまでの一連のいろんな出来事から認知症と「妄想性障害」と医者から今のところ診断されている。モナカを食べ終えちょっと雑談し、「面会の時間が決まっているから、また来るからね。なんも心配いらんよ。」とケサカ婆に言い、面会室を出た私達。ケサカ婆は小走りでまたお友達の所へとさっさと急いだように戻る。スタコラサッサのケサカ婆(笑)まぁ。。それなりに環境に順応する努力してるじゃん。と安心しました。レクレーションにも参加し楽しんだ様子でした。外面良子崩壊し豹変するなよ。ってここは病院それも観察されるしどっちもよしか。今までの出来事・・病気か性格か・・・性格ならとんでもねぇやっちゃ。病気なら改善するよう手当をしないとなぁ・・まぁ・・そんなところです。ケサカ婆を入院させてから色々片づけなどしなくちゃならないことてんこもりなんですがなんかどっと疲れが出て・・うーーん、プールで泳いでサイドに上がる時に体が重い・・きつい・・ってあんな感じ。
毎日介護がんばっている方はみんなそうなんだろうなぁ。私、今年、風邪で38度超える捏出して、でもデイの送り出ししなきゃといつも通り行きそのときから体重激減、スリム化できたのはいいけど虚弱化したみたい。皆さんもお体ご自愛くださいね。ストレスで食が進まぬ人、夏バテしないように気をつけてくださいね。無理しないようにね。
ケサカ宅のガスは止めました。電話も止めました。電気と水道だけそのままにしています。片付けの際に必要なので。怒涛に流されるかのように施設にと流れて行くのでケサカ婆の気持ちはどうだろうか?とチクチクもしますが、「病気して入院して家に帰れぬ人は世の中いっぱいいる。3食食べて寝る場所があっておしゃべりする相手が常に居て体調管理され事故を最小限にできる場所にあづけた。」そう思うことにし鬼嫁まっしぐらです。
介護の本を出すなら、
「認知症の親が自宅介護が無理になりつつある時に読む本」
みたいな路線はいかがでしょうか。
1)どのタイミングで入れた、入れざるおえなかった、
2)チクチクする気持ち
3)介護してない親戚との交渉
4)近所の人の目
5)在宅介護との制度の違い
6)施設選び
7)親の暮らしの後片付け
8)自分のこれから。気持ちや生活の切り替えはどうする。
みたいな感じ。
同時進行して、似たような立場にいらっしゃる方もいるようですし。
今のチクチクする気持ちを大切になさってください。
言葉として、他の人にもシェアさせてくださいませ。
辛い気持ちを、その時々に書いていく力があんず様にはあります。
すごいことだと思います。
私の場合、つらかった出来事を、思い出話として書けるようになった頃には、
忘れてることがあります。
私自身、自分ではあの気持ちは今でも蘇る気がしてますが、
客観的に見れば、変わってると思います。
応援有難うございます。
施設のスタッフさんから、「穏やかに暮らしておられますよ」
との一言で、チクチク感が薄らいできました。
在宅のときのカフェでお茶をするという気持ちが、
いくらでもどうぞ、となると、全くする気になりません。
外出先から、どこへも寄らずに帰宅してしまいます。
そうなんです。生活するには、一階部分の1DKで済みます。
二階は現在、物置に化しています。しかし、ボロ家なので、
地震の際、怖いので、寝るのは二階です。
先日、知人の不動産屋さんに、湯沢の話をしましたら、
結構、管理費と修繕維持費が高く、特に温泉付きはもっとするそうです。
まずは、母の特養を決めて、そのそばに母があの世に逝くまで、居て、
それから、高齢者住宅に入ろうかなと。
一応、売却金額を探って貰っています。7
7月から、バイトが入ったり、忙しくなりそうです。
そそ、ゴミの収集日に捨てられるものはいいですが、
タンス、ベット、など、今は捨てるのに費用がかかる・・・。
ゾッとしています。
家を壊すときに、一緒に捨ててくれないかなぁ。
父は転勤族だったので、代々の遺産もなく、
古びたお仏壇だけ、兄のマンションへ持っていけばいいだけ。
そういう意味では、何もないので、お片付けのみです。
いちろく様はまだ、お若いので、是非、就職してくださいね。
私は短期のバイトかパートですね。
母がどこの特養に行くかで、住むところも決まるし、
住んだ地域でパート先を探してと思っています。
将来はと考えるより、でたとこ勝負ではありませんが、
なるようになるとだけ思っていきたいです。
その後のケサカ婆様は、如何お過ごしなんでしょうか。母も「家」のことを今でも、気にしています。でも、その「家」は、戦前の自分が育った家のこと。ケサカ婆様の幻の家を求めて何周回りを拝見して、「家」も、着物と同じ物にしか過ぎないんだと思いました。要らないものを持たない美学を、母やケサカ婆様から学ばせて貰っていると思います。地域で高齢者を見守ることは必要なことですね。ご近所様の強力って、ほんと重要ですし、たまたまなことではありませんよね。山椒魚のお母様が、全く見当違いの薬を処方されて、
おかしくなったとコメントされてましたよね。でも、今はその薬の影響もなくなり、要介護4から1へ下がった・・・。そういうこともあるので、ケサカ婆様に合ったお薬で穏やかになられるといいですね。それに、お友達も出来たとは!!母も、互いにすれ違う会話をしていますが、表面的でも、「話をする」「話を聞いてくれる」だけで、精神的な落ち着きが出てきました。
ケサカ婆様はどんどん、記憶がごちゃまぜになってきているんですね。そのうち、ひろちゃん様のこともわからなくなるときがくるかもしれませんね。落ち着いて、病院からグループホームに移り、穏やかに暮らしていかれるようにと願っています。
「プールで泳いでサイドに上がる時に体が重い・・きつい・・ってあんな感じ。」うんうん、そんな感じです。急に体力がなくなったような気がします。在宅のときは気が張っていたからなんでしょうか。だんだんと、蒸し暑くなってきましたね。動くのも鬱陶しくなる季節です。体調を崩さぬように、片付けをしてください。私も、少しずつ、ゴミ収集日になにかしら、捨てるようにしています。一度に片付けることを思うと、身体が動かなくなります(笑。
山椒魚様は編集能力がありますね。
まとめ方が素晴らしい。
10年前は、突然に始まった認知症。
そのときは、そのときの悩みがあり、
今回、在宅から施設へとまた、違う気持ちが湧いてくる。
それがどこからか、どうしてなのか、
私には、どうやって、まとめていけばよいのか、
わかりませんでした。
それこそ、「朝起きて、歯を磨きました。」的に、
認知症の初期のころからを延々と書いてしまうでしょう。
もしも、本を書くならば、山椒魚様に相談しつつ
仕上げていきたいものです。