その光景を見て、ショックでございました。
入浴日の水曜日、介護老人保健施設(老健)
にいる母の面会に行きました。
いつものように母は「まあ、アナタ、お迎え
に来てくれたのね。」と言い、アタクシは、
「じゃあ、あっちでお茶にしようね。」と、
答えをはぐらかしました。
いつもの竹林の見える窓側で、今日は、多摩
プラーザ駅で買ってきた鯛焼きを半分にして、
お茶にしました。
ここは、緑がきれいねえ。
そうやね。
春には筍が出て、いいわねとか、毎回、同じ
内容を話すだけなんですが。
30分ほどすると、母がトイレへ行きたいと、
申しました。
好い頃合いだったので、
それじゃあ、ママがトイレを済ませたら帰る
ことにするわ。
ちょうど、バスが出るいい時間や。
バスは近くの停留所から、約10分間隔で来る
ので、急ぐ必要はないのですが、いつもの、
大嘘をつきました。
母がトイレへ行っている間に、部屋にある、
戸棚に洗濯した衣類を入れに行きました。
入った途端、部屋の感じが変わっていました。
4人部屋のメンバーが変わったようでした。
名札をみると、なんと、母の話し相手だった
セキノさんが同室になっていました。
すると、セキノさんが、
ねえ、先生、あたしの部屋はどこ?
スタッフさんに言いながら、アタクシに近づ
いてきました。
セキノさん、こんにちは!
まあ、母と同じお部屋になったんですね。
よろしく、お願いします。
あら、こちらこそ。トイレはどこ?
母がトイレを済ませたところでした。
みっちゃんさん、手を洗い紙タオルで拭いて
いて下さいね。後片付けしますから。
と、スタッフさんに言われると、母はその通り、
指示に従っていました。
トイレに行かれて助かったわ。有難う。
そこで、アタクシは、スタッフさんから母の
車椅子を受け取り、共有フロアに連れて行き
ました。
またね、来るから。
そう、じゃあね、また来てね、バイバイ。
アッサリと母は、申しました。
荷物を、母のベットの上に置いていたので、
部屋に戻ると、セキノさんが、不安げにして
いました。
セキノさん、どうしました?
あたし、トイレへ行きたいのよ。
部屋のすぐ前にトイレがあるので、教えると
トイレへ行きました。
他の人のトイレ介助をしていたスタッフさんが、
セキノさん、さっき、行ったばかりですよ。
と声をかけていました。
そうだったかしら。
母の部屋は、頻尿気味の入所者の集まりです。
セキノさんは、トイレへ行ったことを忘れて、
トイレはどこ?、言うので、移ってきたと、
思われます。
母と、別れたあと、もう一度、部屋に戻り、
忘れ物をしていないかをチェックをしました。
部屋を出て、廊下の向かいのトイレをふと、
見ると、洗面台前でセキノさんが、ボーッと
固形石鹸を触っていました。
母が5月中旬に入所したときは、セキノさんは
認知症フロアでも、全員で行う認知症トレー
ニングでは、いの一番に大きな声で答える方
した。
当時の食事時のテーブルは、セキノさんと、
ご一緒していて、母の唯一のおしゃべり相手
をして下さっていました。
ところが、先月あたりから闊達さがなくなり、
おかしいと思っていました。
ああ、認知症が進んでしまった・・・。
たった3ヶ月の間に入退院を繰り返した母より、
進行してしまわれたようです。
こんなに突然に、見当識が落ちてしまうもの
なのかと、セキノさんの娘ではないのですが、
とても、ショックでした。
セキノさんは、昭和9年9月9日生まれ。
その頃は、9並びで覚えやすいと会話が出来た
のに・・・。
大正13年生まれの母。
やはり、大正は昭和よりも気力体力が優れて
いるようで。
母のことではないのにセキノさんの進行度に、
アタクシは、ショックを受けました。
認知症の周辺症状が出だしてから、10年強、
徐々に進行して参りました。
数か月で一気に進むということなく、徐々に
という感じだったような気がしています。
そうか、一気に進むとはこういうことかと、
セキノさんから教えて貰ったと思いました。
コメント
コメント一覧 (16)
あんず様ゆずですが、春先に種を蒔くとかなりの確率で芽が出ます。引っ越しをされたら鉢で育ててみてください。そのまま冷凍してあっても芽が出るようです。私は捨てられない症候群ですので、果物の種もかなりの種類を蒔いてみています。でも柿だけはまだ挑戦できていません。ドラゴンフルーツは前も書きましたがこれもよく目が出ます、普通に水をやらないといけないのがちょっと大変ですが、これは大きくなるとちゃんとしたフルーツが取れるようになるようです。
今日の私はちょっと不安定でした。
母は大正15年生まれです。
5年ぐらい前からはっきり認知症の症状が現れました。
でも思い出してみるとそれより前からおかしなことはありました。
母の進行度合いも少しずつのようですが、1年単位でみると進行していることが
はっきり分かります。
ここ一月は毎日のように午後になると
「私 今日パン食べたかしら」
と言います。母は毎朝トーストを食べる習慣がついています。
毎日午後になると「食べていない」「食べた覚えが無い」
と言います。初めは私ムキになって 一生懸命
「食べてたよ。私見たよ」
と言っていましたが
ここ数日はさらりと優しく
「食べていたよ」
と言うだけにしています。
毎日聞き慣れていたはずなのに今日は私の精神状態が普通じゃなかったのかな。
家に帰って母の「今日パン食べたかしら」
のこととを考えていると
母が無性に可哀想になって涙が出てきました。
今、約10日ぶりに長崎へ来ています。
昨日、昼食にあわせて義母のところへ参りました。
老健から特養へ移る数日前から様子がおかしく、食欲が無くなっていましたが、先日の敬老会の時はお赤飯を美味しそうに食べていました。
さて、今日はほとんど食べませんでした。
私が少しずつ小鳥に餌をあげるようにして食べさせましたが、すぐに「もういらない」と
言います。
飲み込む力がないようです。近いうちに、先生が診察されると看護師の方がしわれました。
義母も急激に認知症が進みました。
同じ事を何度も繰り返し言うので、私も同じ話を何度もします。
誕生日も間違えてました。
今日は介護認定の調査が有ります。5月は入院中だったため、6ヵ月しか有効期間がありませんでした。
介護度がどうなるのかわかりませんが、今は車椅子ですし、認知も進んでしまったので4のままではないかと思っています。
それも複雑な気持ちです。
介護度が軽くなると特養へは、居れません。
でも、義母が少しでも元気な身体になり、認知症も回復すればそれが一番良いことなんですから。
先程まで、義母の秋物に名前を縫い付けておりました。
アイロンで貼るだけでは駄目だそうで…
入所の時は夏物でした。名前を50枚程縫い付け、今回も同じ位縫い付けます。
靴下一足で2枚縫い付けないといけないので大変です。来月は冬物です。頑張ります。
あんず様、今回の義母は何度も「一緒に連れて帰って」と言いました。「明日、又、来ますから待ってて」となだめ出てきましたが
気持ちの重い日が続きます。
あんず様、皆様いつもありがとうございます。
しゃっきりされていた方が、急に無表情になり、ボーッとされているのをみて、胸が痛くなりました。ファーマーk様のお母様が、やはり同じ症状なので、認知症の進行する段階の一つなんですね。とすると、うちの母は、まだまだです。柚子は、大津の土地を整地したら、植えようと思っています。この土地の地続きは、果樹園なので、今度、挨拶に行ったときに聞いてみます。あー、水やりのこと、忘れていました。
お疲れ様でございます。
四六時中、お母様を看ておられるのですから、
精神状態が不安定になるのも、わかります。
「食べていない」は当分続きます。
確かにムキにならないことですが、そう、簡単にはいきません。
パンを買ってきた日付と、食べた日付と時間をメモしておく、
「食べていない」と言われたときは、見せて、優しく言うとか。
それでもねえ、敵もさることながら、書いたメモを見せると、
「それは、アナタが食べたものでしょ。」と言うんですよ。
すると、ムカッと来ます。
気休めにしかなりませんが(泣
>母が無性に可哀想になって涙が出てきました。
うんうん、ニャンコ様はお優しいんです。
遠距離介護、お疲れ様でございます。
どうしても、体調にムラがありますよね。
お義母様も誤嚥性肺炎をやっておられるし、
嚥下は専門家にお任せするほかありませんね。
> 介護度が軽くなると特養へは、居れません。
えっ、そうなんですか?
軽くなると言っても、車椅子ですから、要介護度3だと思いますが。
名前を縫い付けるとは、大変ですね。
確かに貼るだけど、洗濯しているうちにとれてしまいますね。
今は、洗濯物を持って帰ってくるので、はがれそうになると、
また、アイロンをかけています。
特養は施設内での洗濯なので、縫い付けるというわけですか。
私もいずれしなければならないんだ・・・・。
>「一緒に連れて帰って」
そう言われると、胸が痛くなり、後ろめたさを感じます。
辛いですよね。
でも、長崎におられるときだけですから、
心を強く持って、お義母様のところへいらしてくださいね。
気温の差が大きくなりました。
お風邪を召しませんように。
10月というのに、こちら鹿児島は、まだまだ暑いです。母が熱中症にならないよう気をつけながらの毎日です。
認知、悲しいかな、日々進んでいく母を見ていると、頭ではわかっているのに、母の言動に腹が立ち、大きな声を出してしまう自分です。
その後、ここにきて、あんず様や皆様のコメントを読み、自分自身を反省したり、共感したり、いつもここは私の心の拠り所です。
ありがとうございます。
母の認知は、鼻が効かなくなってから始まりました。鼻がきかないから味がしない、食べた記憶がなくなる。忘れていく。何もかも忘れていく。それなのに、変な事は覚えている。
頑固な態度や言う事を聞かない事にイライラし、そんな娘の態度に母も腹立っていたのではないかと。母も自分が壊れていくのを必死で踏ん張って、でも認知には逆らえず。
そんな母が、何もかもわからなくならないと死ねないんだよ。と言いました。
私は悲しくて悲しくて泣いてしまい、認知でもいい、寝たきりでもいい、生きていて欲しいと。しかし、自分の時間もなく、介護だけの生活に逃げたしたくなります。
でも、逃げたら誰が母の世話をするの?と思うと。いつかは終わりがくる、その時まで少しでも笑顔で楽しい時間を過ごして欲しい。
怒ったり、泣いたり、笑ったり、そんな母との生活を楽しめる自分になりたいと願うばかりです。
再びです。こんにちは
今日は朝 母にリハパンをはき替えてもらいました。
もう3日ぐらいはき続けていたでしょう。
母はトイレには行ってっているものの間に合っていないのか
よく臭っています。もう自分では処理しきれない時期に来ていると
私はさとったので、チームあんずの皆さんの中にも親にはき替えさせている
パッドを替えていると言う人が何人かいらっしゃるので私もそれにならうことにしました。
「お母さん一番下にはくものは毎日替えるもんだよ」
と言って新しいリハパンを渡しました。
ブツブツいうので脱いだリハパンを持って
「ほら やっぱり替えて良かったよ 重たくなっているよ」
と言って母にも少しは自覚して欲しいと思って持たせました(ひどかったかな)
母は掴むなり腹立たしげに床にポンと投げつけました。
嫌な思いをさせるけれど毎日取り替えてもらいます。
アンキオさん私も全くアンキオさんと同じ毎日ですよ。
逃げたくても逃げられないのでそれなら母と楽しく過ごしたい、接したい
手抜き介護で 楽しい介護を と思っても 腹が立ったり 悲しくなったり
涙を流したりの毎日です。
お疲れ様でございます。いつも、コメント返し、ありがとうございます。
頻尿は、やはり認知症と少なからず関係がありそうですね。母も、頻尿で、今回の記事を読んで、そうか…トイレに行ったことを忘れているのかもと思いました。以前かかりつけ医に頻尿の薬を処方してもらっていましたが、口が渇くなどの副作用が出たため、やめてしまいました。今はお漏らししても良いようにオムツ着用で、何とか色んな物につかまりながら、トイレに行けてます。
最近、眠れない夜が続き、もし介護から解放されたとしたら、何をしようかなと現実逃避をしております。こんな事を考えているから、眠れないのでしょうね(笑)。でも、現実逃避したくなるんです…。勿論、私には、不動産の始末というやらなければいけない事はあるのですが、それ以外に、自分の人生を歩んでも良いのでは、残りの人生を楽しんでも良いのではと思ってしまいます。
あんず様は、何かご趣味はおありでしょうか?
お疲れ様でございます!
関東は昨日の夜から急激に寒くなりました。
今日も西日本は暑いようですね。
在宅介護で大変なのは、季節感のない人達に対処すること。
「残暑」という感覚もありませんものね。
その点、施設は常時快適にして下さっているので、
気温調整を気にしなくていいので、安心です。
認知症は今まで抑えていた本能の蓋が外れてしまい、
なんで?!ということが多くなってきますよね。
ほんと、哀しいです。
でも、本能のままに、そのときを生きているんだと
理解しようとしているんですが・・・。
「親である」と思うと、なんでやねん!と
肩を揺さぶりたくなります。
嗅覚、なくなりますねえ。
母の味覚も凄いものでした。甘ければ何でも食べる。
だから、母がいたことの砂糖の消費量は、現在と比べると、
雲泥の差です。毎月、一度は砂糖を買っていたのに、
今は、なかなか、減りません。
母も、老健での面会の際に、「死にたくても死ねないのよ。」と
ときどき言います。ほんと、切なくて、悲しいですよね。
何時か、トンネルを抜けて、光が見えると言われるのですが、
なんだか、一生見えないのではないかと恐怖感を覚えることもあります。
在宅介護の場合、なるべく、ご自分の時間を確保できるように、
ケアマネさんと相談して、作ってくださいね。
そして、完璧な介護ではなく、ときには、サボロー君と仲良くなって下さい。
熊本の阿蘇山で噴火したニュースで言っていました。
風の向きから鹿児島へ流れることはないと思いますが、
お気をつけて。
お疲れ様でございます。
介護もそれぞれ、認知症もそれぞれ、
とても、スムーズにリハパンに尿取パッドを
装着してくれる人もいれば、ニャン母様やうちの母のように、
尿取りパッドの代りに、トイレットペーパーを、グルグルに
して、オシッコの出口のところに押し付けるという業をするものいますね。
以前にも書いたのですが、そそ、私も毎朝、履き替えて貰いました。
ニャンコ様、重たくなったリハパン、私も持たせましたよ。
それも、新しいのと、タップン状態のを渡して比べさせました。
その上、臭いまで嗅がせたことも。
最初は嫌な顔をしましたが、毎回ではないですが、何回かやっているうち、
慣れてきて、「ほんとだー」と言うようになりました。
使用したものだけだとイヤミになりますが、
比べさせると納得しますから。科学の実験だと思ってやってみてください。
在宅介護は、試行錯誤の毎日。
上手くいくときもあるけれど、殆どは、ムカつくことばかり。
でも、負けないで!
お疲れ様でございます。
まずは、回答から。
思うに、趣味は何?と聞かれると、何だろう?と。
読書と言いたいところ、本は気になって購入しますが、
老眼鏡をかけて読んでいるうちに、読みづらくて、やめてしまう。
趣味が何もない、残りの人生の目標がない。
老後が恐ろしいです。
そそ、以前、デイへ通っているときに、用意をしてお迎えの車を
待っている間に頻繁にトイレへ行く。
トイレへ行ったことを忘れているんですね。
かかりつけ医から、頻尿の薬は副作用があるからやめましょうと
言われました。
私達も、きっと、将来トイレ問題はあるんでしょうね。
ぞーっとします。
お疲れ様です。コメントを頂きまして、とても嬉しいです。
今年の2月に介護のために東京を引き払い、鹿児島の実家で母との生活が始まったばかり、介護もわからないことばかり。
父は特養におります。
現在のケアマネさんは男性の方で、なかなかの野心家。介護もお金次第と思いしらされた介護の現実。閉鎖的な鹿児島ですから。上手く付き合っていかねばと思っています。
私も一人なので、先が怖いです。
でも今は、なるようにしかならず、やるしかないです。
あんず様や皆様を思い馳せ、サボロー君にも活躍してもらうつもりです。
ありがとうございます。
あんず様もお身体ご自愛下さい。
あんず様の才能は文章力。勝手に思ってすいません。
人を惹きつけます。
ニャンコ様
泣きべその私です。
ニャンコ様の後で泣いたにもらい泣きしました。これからもよろしくお願いします。
お疲れ様でございます。
介護のためにリターンされたのですね。
ここにコメントを下さる楽様も同じく、
東京から札幌へお母様を介護するので、
実家へ戻ったという方です。
アンキオ様もやはり介護離職されたのでしょうか。
閉鎖的な環境ですか・・・。
それだけでも大変ですね。
ケアマネさんが野心家でもいいのですが、
介護する家族に対して、気配りがあればいいのですが。
母の在宅のケアマネさんは、会社のほうに顔が向いており、
第一に会社、被介護者と家族には二の次の人でした。
相談しても、一般的な答えしかなく、苦労しました。
アンキオ様のお役に立てないかもしれませんが、
ただ、アンキオ様は独りではないこと、仲間がいること、
そして、皆が応援しているんです。
だから、負けないで!!
将来を考えるよりも、目先や足元の出来ることをやっていきましょう。
なるようにしか、ならないから。