苺狩りに出かける日、ユニットではちゃんと
スタッフさんがお迎えの時間に合わせ、母の
お昼寝タイムを早めて下さったりしてくれて
いました。
長い時間の外出ではないので、「トイレ」を
話題にしない限り、大丈夫だと思います。
さいざんす、アタクシが母の外出で気になった
ことは、トイレ。
特に、苺狩りは、農園ですから。
やはり、デイサービスに参加されている方々
ですから、すぐに、「トイレへ行きたい!」
とおっしゃる方が多ございました。
そのたびに、母が、
アタシも行きたい!
と言わないかどうか、不安でした。
ところが、なんでございます。
苺を食べ終わった母をバスに乗せて、
アタクシはお土産を買いに行きました。
戻ってくると、母の目が吊り上っておりました。
あのね、肛門の入り口のところで、塊が出そう
なのっ!
それも、大声で叫ぶように申しました。
間もなく、バスも出発するから。
それに、大丈夫や。
ちゃんと漏れてもいいような下着を履いてる
から。
あー、出ちゃった!!
実況中継までしてくれました。
助かったことには、婆様集団で、母の叫んだ
ことには、全く動ぜずにおしゃべりに夢中。
帰ったら、ちゃんと始末して下さるから。
そうよね、シャワーでも浴びればいいわね。
この会話で、肛門云々のことはすっかり忘れて
施設に戻りました。
急いで、ユニットに戻り、じゃあ、トイレへ
と言うと、母は険しい表情で言いました。
トイレ?、行きたくないのよ。
無理に行けなんて、言わないで頂戴。
と、スタッフさんに喰ってかかりました。
母が言ったことを、ユニットリーダーさんに
伝えると、クスッと笑って言いました。
みっちゃんさんは、とても具体的に言われる
ので、助かるんですよ。
トイレにお連れする前に準備も出来ますから。
体面なんぞは気にせず、瞬間に起こる不快な
事象を口にしてしまう。
でも、それも瞬間に忘れてしまう。
トイレから出て来た母に、リビングの椅子に
座らせて、
お部屋を片付けてくるからね。
わかった。待ってるわ。
5分もせずに母の居室から出てきても、もう、
アタクシを待つ感じはなく、忘れていました。
はいはい、コレ、幸い。
スタッフさんに小声でお願いして、ユニットを
出ました。
母はまだ、表情が豊かなので、認知症である
ことを、アタクシが忘れてしまう場合があり
ます。
しかし、母の言動は、やはり認知症。
外出が少なくて可哀想だなんて、思わなくても
いいんだと感じた出来事でした。
コメント
コメント一覧 (4)
施設でいちご狩りを計画してくれるなんて、良いですね。いちご農園が近くにあるのかしら?
付き添う側もいちごを食べたり、お土産を買ったりと楽しめそう!
そうそう、先のブログを読んだ時、やっぱりトイレ事情かな、と思ってました。
お出掛けで一番困るのは、トイレですよね。
外の空気に触れることもなく、施設の中で過ごすのは可哀想と私も思いつつ、だけど、もう立つことすらままならない母を外出させるのは、躊躇してしまいます。トイレ!と言われても、一人では支えきれず、二人で転んでしまいそうですもん。
母の老健でも、たまに近くの喫茶店へお出掛けしてくれるのですが、行ったことすら覚えていないです。
折角行ったのに‥‥と思いがちですが、その一瞬を楽しく過ごすことが出来れば、それで良しとするのですね。
連れ出してあげなきゃ、と自分を追い込むのはやめにします(笑)。
まだ2人とも生きてます。
私の場合、2人を施設にいれたあと、2014年の後半から2016年の前半の2年ぐらい、彼らを積極的に外に連れていけてよかったと思ってます。
2014年前半は、母の骨折からまだ間もなかったのと、外出してレストランでご飯を食べるということが頭に浮かばなかったからです。2016年の後半になると、父の認知症が進み、トイレのあとズボンが濡れてくるようになり、外に連れ出しにくくなりました。2017年は、父だけが別の施設に移り、母を父に面会に連れていく外出になりました。
2018年は、二人とも、もう外出は無理かもしれません。
彼らの健康状態で、私の持つカバンやバッグが変わってるんですよ。
2014年は、施設では大事なものを肌身はなさず持ち歩けるよう、小さめのバッグ(ポシェット?)をいつも斜めがけしてました。うっかり置いておくと、父がバッグをあけて中身を点検しはじめるので。
去年は、母の乗った車椅子を押さないといけないので、いざというときのためのオムツやバスタオルを入れるのに、リュックが必須でした。
点滴しながら寝てる2人を見てると、この5年、長かったような短かったような、いろんなことを思いおこします。
母の施設は三浦半島の真ん中。近所には、三浦大根の畑があったりします。
苺は10個位、口に入れました。堪能した、というまでには至りませんでした。
でも、摘みたての苺の美味しさはわかりました~
やっぱりね、トイレ問題。
もう、私達の手には負えなくなりました。たまに、施設でトイレへ連れて行きますが、
母も私だと、どうしたらいいかわからないという感じです。
母のためにも、ちゃんと、プロの手を借りて生活したほうがいいんだと思いました。
>連れ出してあげなきゃ、と自分を追い込むのはやめにします
はるはる様がそう思って下さったこと、私の想いが通じたと嬉しいです。
規則正しく、穏やかに。それが一番のようです。
> 点滴しながら寝てる2人を見てる
両親を介護されている様子が、文字から染み出てくるようです。
お母様のお薬のこと、なるほどと思います。
母が87歳で誤嚥性肺炎で東大病院へ入院したとき、
主治医が、一度、全部、薬を止めましょうと、
ワーファリンとか、高血圧の薬とか、デパスとか、無くなりました。
えっ、全部・・・と心配で。
しかし、地域提携医になったとき、頻尿だ、不眠だとか、
私の訴えにより、また、薬が復活。
骨折後の老健で、またまた誤嚥性肺炎。
そこで、また、薬が全部無くなりました。
今は、漢方薬を飲んでいるようです。薬は怖いですん。
そそ、私も母の通院のときは、大き目のリュックにタオルとバスタオルを入れてました。
小さな肩掛けのポシェット。面会の際は、私もかけていますよ~
車を廃車にした今、また、リュックを背負っています。
これは、自分のため。転ばぬようにバランスを取るのと
転んだときに、大腿骨を折らないようにするためです。