母を施設に入れました。複雑な気持ちです。
クラスメイトから、LINEが届きました。
LINE世代ではないアタクシ達。
結局、電話で今の状況を話すこととなりました。
末期ガンだったお父様と認知症を発症し徘徊が
始まったお母様。
ご自分の死期を悟ったお父様が、都心のマン
ションを一週間で売り払い、埼玉県の施設に
入所されました。
お父様はその後、施設で亡くなり、お母様は
一旦、彼女の弟さんと同居となりました。
しかし、介護を巡っての、姉弟のすれ違い。
弟さんから、お母様の面倒を看ることを拒否
されてしまい、その愚痴も聞いていました。
その後、叔父様を成年後見人にとして申請し、
家庭裁判所に認められて、ようやっと彼女も
お母様の介護が出来るようになりました。
彼女は、お父様が施設を選んだ時点で、その
施設の近所に住まいを移し、介護をする予定
をしていました。
来年3月に開所する特養(特別養護老人ホーム)
に入所する手続きは取ったとのこと。
それまでは、同系列の特養のショートを利用
して過ごすことになったそう。
ショートに居る入所さんの殆どが、寝たきりの
方々で、話が出来る人がいないから、私が毎日
母のところへ行っているのよ。
母は歩けるから、散歩に連れ出したり、マクド
ナルドでコーヒーを一緒に飲んだりして、気を
紛らわせているんだけれど。
じゃあ、帰るね、と言うと、帰っちゃうのと
母は泣き顔になって、私としては、胸が痛く
なってしまって・・・。
わかる、わかる、同じよ。
でもね、すぐに忘れてしまうから、ケロッと
してもいる。
そうなのよ。でも、なんだかねえ。
後ろ髪を引かれる・・・、気になるんでしょ?
そうそう!
本格的に特養に入所すれば、話し相手も出来る
だろうし、私も少しは気持ちが楽になると思う。
とんでもないわよ。
何をするにも、頭のどこかに存在があって、
気になるもんよ。
なんだか、トンネルの中にいるような感じね。
先が見えないというか・・・。
電話の向こうとこっちで、二人で深いため息。
ストレス解消をしようね、と言って切りました。
彼女にも聞かれました。
一日置きに施設へ行っているということは、
その合間の日は何かしているのかと。
言葉に詰まりました。
何をと言われても何もしていないので。
コメント
コメント一覧 (4)
「何をしているの?」
なぜ、訊くのでしょうね・・・。
あなたはあなた。あたしはあたし。
生活スタイルが違うのですから、同じようには生きられないと思うのです。
参考にしたところで、結局は自分流な生き方になるでしょうから・・・。
あたしも訊かれます。
サラッと「自分の時間」と応えます。
何をどんな風に費やしても自分の時間ですから。
あんず様も、ご自分の時間を好きに費やしても良いのではと思います。
断捨離・・・。
母美代さんの一番苦手な分野です。
あの年代には、「超えなくてはならない大きな山」のような言葉かもしれません。
今のところ、仕事もバイトもパートもしておりませんから、
やはり、ボゥーと生きていると思われてしまうのかもです。
母のところへ面会となると、まずは、半日、潰れる、
帰って来れば、クタクタに疲れる・・・。
生気を吸いとられる如くです。
夕食を取ると、眠くなって寝てしまう。
「自分の時間」と胸を張れないです(泣
そう言う場合は、早く寝て、翌朝早く起きる
という規則正しい生活をすること。
わかってはいるんですが。
でも、在宅介護をしつつ、仕事をしている方もいらっしゃるんですから、
ちょっと、グータラ生活ですね。
実家を整理したとき、最初、母は、あれもこれも捨てた、
ということで、怒ったこともありました。
今は、「全部、お任せして悪かったわね。」と
言っております。
美代母様も、にゃんズの母様にお任せでいいんですよ。
あの世代は、物がない時代、大事にしないと生活出来ない
状況だった・・・物を溜め込む、仕方ないですね。
こちらこそ、はじめまして。コメントを頂き有難うございます。そうなんです!介護は、突然に始まる、青天霹靂というか。ご両親様同時だったとは、大変でしたね。母親一人でも、アップアップでしたのに。お子様方も、ロビン様の介護を見て、いずれ、経験することを若い頃から知ることは有意義なことだと思います。しかし、ご自宅とご実家と2つの家庭の切り盛りは、ロビン様の大きな負担となることでしょう。もし、時間があるのならば、施設の見学をしていくのも、後々のためになります。施設入所も、突然でしたよ。母は、誤嚥性肺炎で入退院を繰り返しました。そのとき、思ったのは、母の死も私の手の中にあるんだということでした。でも、生きる力は親のもの。どうなるかわかりません・・・。