今日は仲の良い同級生とランチへ。
彼女は、短大卒業後、大企業に就職。
バブル期を挟んで、紆余曲折な会社員生活を
30年間勤め、60歳で定年退職。
今はご主人と二人、海外のマラソンに参加
したり、冬はフランスでスキーと優雅に引退
生活をしています。
彼女のご主人のご両親は、早くに亡くなって
おり、自身のご両親も、いわゆる、ピンピン
コロリ状態で、相次いで亡くなり、介護とは
殆ど、縁がありませんでした。
ひとしきり、おしゃべりをして、彼女が言い
ました。
今日は、私の話ばかりだったわ。
次は、あんずさん、貴女のことをね。
うーん、介護の話以外、何もないしね。
その愚痴を聞いても面白くないわよ。
それもそうかも。
だって、私、要介護ということすら、よく、
わからないもの。
アタクシだって、最初は介護について、全く
分りませんでした。
手探りでやってきたようなもの。
以前、ブログで、地域包括センターの応対に
ついて、腹立たしく思ったことなどを、ぶち
まけたことがありました。
そのときに、センターに勤務する方からコメ
ントを頂き、最近、久々にまた、頂きました。
そうやった・・・。
突然に振ってわいた介護。
全く、知識もなく、どうしていいかもわからず、
右往左往してしまったことを思い出しました。
経験しなければ、わからない、理解出来ない
ことが、いっぱいありました。
介護、する必要がないのならば、しない方が
いいけれど、降りかかったものには、対処する
他ない。
でも、いったい、何が残るのだろう。
子供のいない彼女と一致したことは、将来、
どのように暮らすのかということ。
施設を自分を選んでおくとか?
そういう彼女に、アタクシは、
今は、母を見送ることしか考えられない。
将来は、母亡き後に考えるわ。
と答えました。
コメント
コメント一覧 (12)
今日は素敵な時間をお過ごしになりましたね。
介護して、何が残る?
介護を終えた方々の家族の考え方を
聞かせていただいた私の考えとしては、
「人との繋がり」でしょうか。
細いものから、太いもの、枝分かれしたものに、一本のもの。
介護して出会う人や、支えてくれた人
無関心な人に、攻撃的な人
愛をくれた人、悲しみをいやしてくれた人
終わらないとわかりませんが、
少なくとも、支援者と繋がっていた家族に見えた共通点は
そのようにかんじました。
きっと、私より人生の先を行く鬼娘様のことですから、
拙い内容に失笑するかもしれません。
少なくとも私は、ブログを経由してあなた様とお母様の事を知り、
仕事のあり方を考えさせられました。
それは、今後、介護が突然に降りかかってきた家族が
私に相談に来たとき、少なくとも不安や辛さに寄り添ってもらえるわけです。
(私の傲慢ですかね?)
形としては見えませんが、鬼娘様の体験が、
介護をする家族のお役にたっているのだと私は感じました。
まだまだ若輩者ではありますが、鬼娘様が心穏やかに幸せにお過ごしいただける日が、増えたら嬉しいと願わせていただけたらと幸いです。
認知症介護は、経験しないとわかりません。私は母の介護はやりません。兄にその時が来たら家出るとハッキリ話してあります。北海道だから?関係ありません。二人も介護できません。やりません。仕事も出来ず、見張りだけの日々
は、もう、できません!
介護してない人から、施設なんて嫌だわ~特養入るなら、その前に死にたいわね、認知症なったら、どうしよ~など、色々言われました。私も、介護してなかったら、同じ事話したかもしれません。
今は、経験してない人にはわからないから、仕方ない
私は、そんな事言わない。どんな気持ちになるか、わかってるから。
在宅介護が終わり、父のした事、笑って話せると思ってましたが、話せないです。同級生のお母様が元看護師です。毎回話しが変わるのですが、先日、父は、永くないわよ、半年位よと
その前は、食欲あるなら、長生きするわ~でした。父の寿命わかるのか?きっと、次も、話しが変わると思って聞き流してます
疲れが一気に出ました。引きこもりです。特養に、体調悪いので、しばらく行けませんがよろしくお願いしますと
電話しました。食欲ありますよ!と
そっか、食欲あるなら、大丈夫(笑)
家族の会に出た時、介護は、あなたの為になるからと言われた事がありました。
どこが私の為?良い事あるわよ!とも
良い事って何?わかりません
今年も、後少しですね
のんびり過ごします。
ありがとうございます。
介護して残るもの?
難しいです。介護中の今は答が有りません。出ません。
そう、日々気持ちは揺らぎます。
それでも母の介護を7年前に終え、まさかの父の介護を3年目になる今は、自身の年齢のせいなのか体はあちこちガタがきてます。
それでも些細なこと分かったことは毎日ゆっくりと穏やかに(理想)過ごすようにしています。
外に出れば楽しみにしていた友人との語らいも今ではストレス抱えてしまいます。
性格が卑屈?になりますし、介護というものを体験していない方の言葉は刺になる場合が多いです。
母の介護の時は外に出て少しでも発散に努力していた気がします。
それは自分が健康であったからから無理も出来たのだと今分かります。
父の状態は認知症はあるものの父の場合認知症のお陰で?穏やかに普通の性格になりました。
おとなしく普通の人です。
大正生まれの兄弟10人のまん中で育ち頑固分らず屋短気で何度母の為にも殺そうと思ったことか。
今は憎まれ口ひとつも言わなく穏やかな普通の人になりました。寝たきりなので要介護4ですがこの先苦しまない限りは自宅で看取るつもりでいます。
そうですね自分のことは健康面以外は父のことが終わってから?考えます。
少しの蓄えも要るときは要るし仕方がないと思えば案外受け入れられるようになりました。
今一番のストレスに繋がることは外に出ること。残念ながら介護士さんも施設のスタッフも
長く付き合っていると苦になります。
友人とも疲れてしまいます。
勿論ラインやメール等で外の繋がりも全く無い訳ではありませんが。
介護して残るものは私には何があるんだろう。
それでも言えることは必要なものは分かってくるし、要らないものはどんどん捨てられるようになりました。
ものも人も。
さぁて今日のお昼ご飯何食べよう~♪
細やかな楽しみです。
寒くなって来ました。皆さんもご自愛下さいませ。
介護して何が残る。
私も日々それを考えています。
あんず様のご友人は、私から見たら物凄くラッキーな人生を歩まれている方に見えます。
嫉妬するほど。
義理両親の介護経験もない、自分の親もピンピンころり。
老後は旦那様と二人で仲良く自由に過ごす。
勿論お金にも困らない。
私も他人から綺麗事を言われるのが一番嫌です。
そんなに一生懸命介護してもらって、貴方の親はとても感謝してると思うよ~。
そういう姿を子どもは見ているんだから、貴方のためでもあるのよ~
一生懸命やった分、きっと良いことがあるわよ。
ふざけるな!!です。
若いときに夫の親の介護を、同年代の子連れがたのしそうにしているのを後目に、今に見てろよ~貴方たちが年取ってから介護している頃、私は ざまあみろで、楽しい老後を過ごすんだ~と思うことにして耐えていました。
それが結局、実父の介護、
これは末期ガンでも苦しまずに亡くなったのと、その頃ちょうど子が体調を崩して休職しており、よく手伝ってくれたので、苦痛はありませんでした。
でも認知症の母は殆ど孤立介護。
私が面倒見るのは当たり前だと思っているふしがあるし、何しろ長い!!
あと2年で正真正銘の老々介護です。
神様って何を考えているんでしょうね。
すがって読んだ本には、元々徳の高い人に試練はまわってくるとか?
冗談じゃない!と、最近は心が荒むばかりです。
介護して何が残る?
虚しさだけが残ることもあるんじゃないでしょうか?
私はそんなに偉くない!!
介護を通して得たもの、残るもの‥‥何なんでしょうね。
我が母はこの4年間で要介護1から5まで駆け上り、この春無事に特養に入所しました。
遠くに住んでいる弟に荒れ狂う母の実情を伝えるために私が書き続けた母の問題行動日誌4冊が手元に残りました。
今年の初め、2階級特進で要介護5になった母を老健から特養に移すべく、私は30ヶ所の特養を訪問し15ヵ所の申し込みを果たした段階で無事母は或る特養に入所が決定しました。「もう大丈夫ですよ」と特養の相談員から言われた時には気が抜けました。以来、1週間に一度程度の面会を続けています。自宅でのマンツーマン介護から比べれば夢のような生活です。しかし、面会すれば必ず母は「連れて帰れ」と鬼のような形相でわめきます。
今日もしつこくわめくので、ぷちっと切れた私が「家に帰っても私しかいないよ、大嫌いな私しかいないのに困るでしょ」と言いますと、「そんなことない」とは言わずに黙り込みました。そうか、やっぱり私の事は大嫌いだったんだねと再確認して私は帰宅しました。
随分楽になったけれど、この困った面会はまだまだ続きそうです。
母の問題行動日誌を読み返し、私は何とか認知症にならずに死ぬために8月以来ウォーキングを始めました。5ヶ月で6キロ痩せ血圧も下がりました。長生きをしたいわけではありません。認知症になりたくないだけです。
変形性膝関節症でO脚になり、全く歩かなくなり糖尿病が悪化し認知症もどんどん進んだ母。その有様を最も間近で見られたこと、そしてそこから得た知識だけが、母の遺産になるのかもしれません。母のようには老いたくない、それが私の得た結論です。
母が入所してからは、友人達と会う機会も増えました。
バイトも探そうとも思っています。
そうですね、私は以前、二児のパワフルママ様の
コメントには、励まされました。
あのころは、孤独感に苛まされていました。
しかし、コメントを頂き、寄り添ってくれる人がいると
嬉しかったんです。
大田区の地域包括センターの方々が、二児のパワフルママ様の
ようであったなら、私の在宅介護はもう少し続いていたかも
しれません。
逆に、センターの方々に突き放されて、自分で老健を探し、
特養を探し、今の施設に辿りついたのですから(笑
介護の最初は、どうしても人頼みしてしまう。
これから、介護をしなければならない方々には、
「あなただけではない、孤独ではない」と伝えたい。
介護に携わる方々には、頭が下がる思いがします。
そして、感謝でいっぱいです。
お父様の入退院と特養への再入居とお忙しかったでしょう。
介護の疲れは、そんなにすぐには、取れません。
しばらく、ご自身のことだけを考えてゆっくりしてください。
と言っても、心の底からゆっくり、なんて無理ですが・・・。
そそ、介護をして、私にとっていいこと。
母のようにはなるまいと思っていること。
認知症を発症すれば、私も頑固なジコチューな婆になるのだろうか、
という恐れ。
年末年始、と言っても毎日は変わりませんね。
友人から、介護はわからないと言われたとき、
そういうラッキーな?人もいるんだと羨ましいとも。
そう言えば、従姉達の中にも、入院の面会はあっても、
介護の経験がないのがいます。
在宅介護中に彼女から言われました。
“叔母様のどこが認知症なの?”
経験がないと、外面ヨシコさんの母がわからず、
私の大袈裟な話となってました。
介護で「性格が卑屈」になる、あるあるですよ!!
だって、母の様子から私のほうが、オカシイと思われているから。
それに、友人と会うと、ついつい、愚痴のような話が・・・。
経験のない人には、なんや、それ、でしょうね。
認知症もいろいろなんですね。
キツイ性格が、大人しくなるなるなんて。
きっと、お父様は、元来の性格が穏やかな方だったのが、
人生のしがらみでそれを抑えつけて、わざと、強い男を演じたのが、
そのままに・・・。
それが、認知症で元に戻った?!
そう思っても、いいかもですね。
今年は暖冬だそうですが、健康にご留意のほどを。
ラッキーな私の友人は、介護がなかったのですが、
その代りというか・・・。
あのバブル時代に元夫くんに実印を預けていたために、
バブル崩壊後、自宅を差し押さえられ、さらに、
それが原因で、離婚。
バブル時の負債を返し続け、やっと、50歳を過ぎてから
お金が自由になったという波瀾万丈の人生の持ち主です。
今のご主人とは、籍は入れず、パートナーとして暮らしています。
彼女の凄いところは、借金を返したあとも、そのままの金銭感覚で
やってきたがゆえに、貯金が出来たというわけです。
しかし、要介護度って何?と質問されたときは、さすがに、
このヤローという気分でした。
親の介護をせずに済んだ人は、私のまわりに結構います。
従姉のなかにもいます。
認知症の母に会っても、いつもと変わらないと私に言いました。
一度、介護をやってみればわかるのに・・・と苛立ちました。
私は母が骨折して、車椅子生活になったから、在宅介護から
解放されました。
私の在宅介護と当時にお母様の介護をされている楽様が、
いまだに、24時間の在宅をやっておられる・・・
母の面会に行く、それだけの介護。
私もよしとしなければ・・・とも思います。
63歳の私、この先が短い・・・。さらに、何もない・・・。
ぽっかり、穴があいた気分になることがあります。
そうですね、私も、介護を通して残ったもの。
「母のようには老いたくない」ですね。
娘が面倒を看るのが当たり前と思っている母。
そりゃあ、私には娘がいませんから、
他人様に看て頂くのだと今から覚悟しています。
認知症になりたくはないものの、今の生活では、なる可能性は大きい。
私も福童様を見習って運動をしようと思いました。
4年間で要介護度1から5になったとは、進行が早かったのですね。
「自宅でのマンツーマン介護から比べれば夢のような生活」
これには同感です。
一日置きには、自由な日があるから、ほんの数時間はがまん・がまん。
明日、私も、困った面会に行ってきます。
そう、良い思い出が残ればいいのですが・・・。
この先、どうなっていくのか、これもまた、経験になりますね。