振り返ってみると、いつ、発症したかは定か
ではないし、第一に、本人に発病したという
自覚もありません。
後から思うに、幻覚に幻聴もありました。
もちろん、被害妄想も・・・
この寒い時期になると、思い出すことがあり
ます。
あれはまだ、母が二階の自室で寝ていたとき
のこと。
母はベットの中に入ると、寒いから掛け布団を
掛けてと言いました。
羽根布団を2枚掛けても、母は寒い寒いと言う
ので、ダウンジャケットでもいいか?と聞くと
承諾しました。
そこで、母の胸元に掛けようとしたとき、手が
滑って、ダウンジャケットが母の顔の上に・・・。
あ、勘弁や、手元が滑ってしまって。
慌てて、ダウンジャケットを取り除くと・・・。
アナタ、今、アタシを殺そうとしたわね?
そう言う母の顔は、目が吊り上っているのに、
口元が大きく横に広がり、ニタリとしていました。
まるで、般若の面というか、口裂け女かという
この世のものではない表情でした。
えっ?!、手元が滑っただけで、殺そうだなんて。
このことがあってから、例えば、入浴の際に
手桶でお湯をかけたとき、
ヤダ!、顔に水がかかったじゃないっ!
そんなにアタシが憎いのね?
この人は、あたしの母親ではない。違う人だ!
絶望感と孤独感と、感情はグチャグチャでした。
おっかさん、アータは悪魔か・・・。
それから、しばらく、こういう母が続きました。
今も、思い出すとゾッとします。
誰にも相談出来ず、悲しかった。
押し入れの布団のなかに、頭を突っ込んで
大声で叫び、泣きました。
真っ暗なトンネル、何の光も見えない、先も
見えない。いつ、終わるのかもわからない。
認知症が進行すると同時に、症状も消えていき、
次第に、穏やかになっていきました。
コメント
コメント一覧 (10)
何故か問題行動は夜中に起こるんですね。
ウチの母は夜中に部屋の中を引っ繰り返して何かを探していました。変な物音がするから母の部屋を覗いたら泥棒にでも入られたような散乱した部屋の中で母が呆然と立っていました。何をしているのかと尋ねると母は虚ろな目で「わからへん、わからへーん」と絶叫しました。
私は恐怖で総毛だったことを覚えています。
以来、毎夜のように母の部屋は散乱状態となりました。母がデイサービスに行った後、午前中は殆どその後片付けや失禁の掃除に費やしました。後片付けをしても翌日か翌々日にはまた荒らされる。片付けている間に裁ちバサミを20本も見つけました。私の悪口を書き殴った日記らしきものも見つけました。何かを見つける度に恐怖しました。腹立たしく思うより以前に、私はとにかく怖かった。とんでもないことになった。どうすればいいのだろう。
私こそが「わからへーん」と大声で叫びたかったのです。
結局私は毎夜3時頃まで起きて母の監視をすることしか出来ませんでした。
母に「殺してー」と叫ばれたこともあります。「なんで私があなたのために犯罪者にならんとアカンのや」と言い返しましたが、本音では私の気付かない時に死んでくれればと何度も思いました。冬の深夜に外へ出て行こうとする母の姿を見て、ここで私が止めなければ母は徘徊してどこかへ行ってくれる、もうどこかへ行ってくれと思ったこともあります。
「家に帰りたい」それが今の母の最大の願いです。確かにあの絶好調の頃から比べれば母は穏やかになったのかもしれません。しかし、私は母の願いに応える気はありません。私はあの地獄のような日々を経て、筋金入りの鬼娘になったからです。
このブログに訪れる度に
[私だけじゃない]っていつも思わせてもらっています。
ありがとうございますm(__)m
今は少し辛い波がきています。
これを乗り越えられることを信じるしか進むことは出来ません。
何やってんだろう自分。
いつまで続ければいいんだろう。
自分の人生だけど自分じゃない。
早く抜け出したい先の見えないトンネル。
いつも同じことばかり考えています。
私もあんず様のブログに出会えて
嬉しいです。仲間がいらっしゃることに 涙が出ます。
「殺してぇやー」わたしも言われました。母親は平気で娘を傷つけます。
般若の様に 血が繋がっている親とはとうてい 思えません。どんなに傷をつけられても 捨てることが出来ない この 理不尽さ。
ただ ひとつ 願うことは
「早くあの世へ逝ってくれ わたしを解放してよ‼︎」これ だけなのです。
認知症になると昼夜が逆転しますものね。
今の母ですが、現在、自分がどこにいるかがわからなくなるようで、
混乱するようです。
お母様もきっと、不安を感じるたのでしょうね。
介護をしているのに、悪口を書かれるなんて、
ほんまに悲しいですね。
母は、私より兄の悪口を言ってました。
元来は、底意地の悪い人なんだと思っていました、というか
思っています。
母の場合、変形性膝関節炎で、歩けなくなっていたので、
徘徊せずに済みました。
福童様、大変でしたね。それも一人で看ていたんですから。
よくやり遂げましたね。
お互い、まだまだ、続きますが、頑張りましょう。
「私だけじゃあない」と思って下さる、
ブログを続けている意味があります。
私も、絶望感と孤独感に苛まれました。
今も、ときどき・・・
でも、コメントを頂き、元気を貰っています。
有難うございます。
あの、凄い時期を振り返ってみるとき、
ぞっとする思いもあります。
母と同じようなことを、私もするかもしれないと。
家族がいないので、自分の将来は自分で決めていくつもり
ですが、家族でなくもと、世話をしてくれる人に、
嫌だのなんのって言うのかもと思うと・・・・。
今は、亡き父の写真に向かって、苦しまずにあの世に
連れていってくれと頼んでいます。
あんず様から「よく頑張った」と言われて、誰に言われるより嬉しく思います。
あんず様こそ本当によく頑張っておられます。
実はこのブログに辿り着いた時、あんず様の『在宅10年』という経歴を見て目が点になりました。
10年‥‥10年も続くのか‥‥10年も続けて来られたのか‥‥
以来、私の中ではあんず様は介護のスーパーマンという位置づけになりました。そのあんず様が布団に頭を突っ込んで泣き叫んだだなんて‥‥読んでいて自然に涙が出ました。
辛かったですよねぇ、悔しかったですよねぇ。でももう第4コーナーまで来てるんだと思います。もう走らなくても大丈夫。ゆっくり歩いてご自身の生活を楽しんでください。
決して認知症になってはなりません。お互いに老後を楽しみましょう。
ありがとうございました。
ホームに入ってもらうために説得した時「このままでは私はノイローゼになって自殺してしまう!お願いだからホームに入って!」と話すと「ほな一緒に死のう」と母は言ったのです。母の中では娘の命よりもホームに入ることのほうが重かったのですね。とても悲しかった・・・。
母の施設でもインフル予防のために面会と外出は禁止です。3月まで続けば誕生会に行かなくてすむのになぁと思ってしまいます。
あの絶望感と孤独感のなかをどうやって過ごそうかと
思い、ブログを書き始めました。
最初は、単にストレス解消のため。
でも、だんだん、同じような思いをしている人に、
独りではないよ、一緒に頑張ろうよとエールを言いたくなりました。
それで、なんとか、切り抜けるからです。
まだまだ、先ですけれどね・・・
そそ、うちの母は、「一人で死ぬのは怖いから、一緒に逝ってよ」と
言いました。
認知症のせいでしょうか、娘のことなんか考えませんね。
「誰がアタシの世話をしてくれるの!」でした。
娘の命より、自分の命ですね。