ここは、養老院なの?
母の乗った車椅子を押して一階の長い廊下を、
集団リハビリに向かっているときに、突然に
アタクシに訊ねました。
一瞬、答えに詰まってしまいました。
養老院?、ちゃうよ。病院のような施設や。
ふーん、どうでもいいけれどね。
おっかさん!!、どうでもいいんやったら、
訊くな!!
「養老院」というと、どうもマイナスイメージを
持ちます。
養老院とは、宗教家や篤志家や慈善団体などが
救済事業の一環として展開された施設になり、
身寄りのない高齢者や色々な理由により家庭で
生活することができない生活困難な高齢者を
収容する施設になります。
平たく言うと費用面と身体的な問題により、
入居させられる施設だったと思われます。
(中略)
「養老院」を歴史的にみれば養老院は1929年
(昭和4年)の救護法制定により、救護施設と
して制度化され、1950年(昭和25年)の生活
保護方制定により、養護施設として位置づけ
られました。
その後1961年(昭和36年)に制定された老人
福祉法により老人ホームと改称されました。
(老人ホーム全国ネットより)
今は、「養老院」という施設自体がないそう
です。
昔は高齢者を家で看るのが当たり前だった。
「養老院」は、そういう家族のいない、要は
現在のアタクシみたいな状況にあるものや、
生活困窮者を収容する施設でした。
母が訊ねたということは、「養老院に入れらた」
という感じを持っているのではないかと、憶測
してしまうのです、
ですから昔の方には「養老院」という言葉自体
イメージがあまり良くなく、「養老院に入る」
「養老院に入れられる」というような状態で
使われることが多く、そのイメージが根強い
ために親を老人ホームに入れるのは親不孝者で
あり、老人ホームは姥捨て山と同じだと思われて
いた方々も多かったのではないでしょうか?。
(老人ホーム全国ネットより)
その通りで、アタクシは親不孝者なんざんす。
だから、面会にも行くのであって・・・・。
そう、また、負の連鎖から抜け出せなくなって
しまうのです。
今週は、5日間、毎日、母のところへ行って
いました。
でも、そのうち一日は文福の散歩だけでした。
連続して面会に行くのも、どうかと考えた週でも
ありました。
ブログにお立ち寄り下さり有難うございました。
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コメント
コメント一覧 (10)
眠れなくなって・・、またコメントを
書かせて頂きます。
あんず様 親不孝なんて どうか思わないで下さい。あんず様がそんな風に思って発信してしまったら 親を施設に入れている子どもは罪深き罪人みたいなレッテルを貼られるようなものです。
ん、な訳なく・・。
人の手を大いに借りて 施設でお世話して貰っていいんですよ。
そして 空いた時間は自分のもの。
どう 時間の時間を楽しむか?じゃないですか?人生は・・ 少なくともシニアに突入している私達の時間は有限、限られちゃってるんですよ。後がないわ〜ってくらい 焦った方がむしろ いいくらい そんな年齢になってるんですよ
親は私達と同じぐらいの年齢の時 楽しんでいたでしょう、自分時間を・・
親なら思いますよ きっとお母様も
目線 私から外して 貴方 楽しみなさいよ って。
もう自分を解放しても いいんじゃないでしょうか。
あんず様自身 十分 親孝行されてきたじゃないですか。
あんず様が 一歩踏み出して 私 こんな楽しい事始めました なんて ワクワクするよなブログ 楽しみにしています♪
毎回 楽しみに読ませて頂いてます。
今回の 負の連鎖 分かる〜😖
私も昨日母の面会に行ったら、久しぶりに
お帰りの用意が敷きパットに絡んでありました。
(これを私 心の中で また…東京ぼんた してる😖)と言います。敷きパットがまるで風呂敷の
様なので…
久しぶりに帰ろと思って…と母
気持ちはよく分かるんだけど1度でも叶えて
しまったらもう絶対施設には戻らない事が
分かっているので…
可哀想だけど出来ない
なんて冷たい娘なんだろう と思います。
それと毎回 「今日は休みだかパパと出掛けて
来ないかと思った〜」と言われます😖
毎週 来てんだろ! おっかさん💢👊🏼
お母さんなんか私の年齢の時 お父さんと
出掛け回ってたじゃない。
て、言うと 「私の所はいいのに〜」と母
これって 遠回しに 私の所にちゃんと来てね
て、がんじがらめ にされてる様に感じます。
あんずさんの様に1日おきになんて
私のは出来ません。
月曜〜金曜 までの会社のお勤めよりも
週末の母の所へのお勤めが1番苦痛なお勤めです。
負の連鎖から抜けたいです。
ばばはいるとうるさいし、尿漏れでくさいしでしかたないですがいないとさみしいですね。
あんず様は親不孝ではないですよ。足しげくお母さまのところに通ってますものね。
母はばばがわからなくなったら特養にいれて会いにいかないつもりです。
らくしようと考えています。それにぐらべたらちゃんといかれていますよ。
負の連鎖 そうなのよね
どうあがいても 罪悪感っつうか 面会行かねばならぬ病 は 不治の病だものね
母の日がわかろうが わかるまいが 母の日は 行かねばならぬ日 なのよね
幸いなことに 病院に入院していると思ってくれているくま母
どうか 看護師さんに可愛がってもらってね
母のグループホームでも 時々 入所者の入れ替わりがあり
どこかよい特養を探しておかねばと焦るくまざます
はぐ よし なで 送るよー へたれくま
ウチの母は特養が養老院だと気づいているでしょうか。
養老院であろうと老人ホームであろうと、母の常識からすればそれは世の中の最底辺だと思っていたでしょう。母は気づいているようないないような、微妙なバランスです。
母の願望は「家に帰りたい」「好き勝手したい」「食べ放題したい」
私の回答は「家で暮らすことは無理」「私一人ではもう手に負えない」
この永遠のすれ違いを面会に行くたびに続けなければならない。だからどんどん足が遠のく。あんず様は負の連鎖。私の場合は不毛の連鎖。
あんず様は本当によくやっていると思いますよ。多分、在宅介護の頃だって私なんかよりずっと良い介護をされていたと思います。
私は母の症状が重くなってくる毎にそれを乗り越えようと策を講じては反対に母に投げ飛ばされていました。そして投げ飛ばされ続けて限度が解らなくなっていました。
最後の入院の時に看護師長さんから「プロの看護師でも二人掛りなんだからお一人では無理ですよ」とこんこんと説得されて、それでも施設に入れるという結論を自分で出すことは出来ませんでした。介護ノイローゼだったんでしょうね。無理なものは無理だと認めればよかったんです。
母は不満だと思います。でも今の母は私の介護なんかよりずっと上等な介護を職員さんから受けています。そして私は少なくともノイローゼ状態から脱しました。
あんず様ももう頑張る必要はないと思います。在宅介護10年の勲章があるんですから。
そうなんです。
私自身の老後の人生を考えたいし、母の大変な世話をやって
頂いている時間を有効にとも思っているんです。
しかし、頭のどこかに、引っかかっているというか、
何をするにも、気になるというか・・・。
100%、自分の時間に使えるとわかっていてもです。
母は毒親に属します。
私が子供のころから、支配下に置き、私はそれに抵抗する
ことが出来ませんでした。
「来なくていいわよ。」とは口では言いますが、
それは、「来い」ということの裏返し。
そのような生活をしてきたからでしょうか。
どうしても、こうなっても、母の顔色を窺う・・・。
私の人生は、母を見送ってからかもと思っています。
あっ、でも、このところ、ジョギングをしています。
まだ、25分から30分ほどの短いものですが。
こちらこそ、お久しぶりです。
お読みくださり、有難うございます。
「お帰りの用意が敷きパットに絡んで」
あるある!です。
そこらへんのものを、ティッシュの箱に無理やり
突っ込んで、帰る支度をするときもありました。
この頃はやっていませんが。
>「私の所はいいのに?」と母
これって 遠回しに 私の所にちゃんと来てね
て、がんじがらめ にされてる様に感じます。
これも、よくわかります。
「アタシのことなんか、ほっといていいのよ。」
といいますが、その逆を感じています
大阪は暑い日が続くようですね。
ばば様はピザを召し上がるんですね。
やはり、年齢よりもお若いのかもしれません。
もも様と一緒に暮らしているからですね。
練り切りをおやつに行ってきました。
どうも、お腹が空いている状態にあるようです。
朝から食べていないと言っていました。
そして、爪切りをしました。
施設から出ると、ほっとした気分。
面会は義務感になっています。
くま様のハグには感謝です。
お母様のご様子だと、特養が養老院からきていることは
ご存じないでしょう。
母もですが、ホームを病院と思いたがっているような気がします。
今日も、いつ帰れるの?と言われて、
骨を折っているし、歩けないからと無理なんだということを
明確言いませんでしたが、言い聞かせていました。
そそ、職員さんはプロなんですから、
私達よりも、手厚いでしょう。
施設に居るのが一番、
いずれ、言い出すことを今から期待している鬼娘です。