認知症になってからの母は、「ナースコール」
が出来なくなりました。
いくら説明しても、あのボタンを押すという
ことが出来ないのです。
ナースコールとは、病院や介護保険施設などに
設置されており、看護師や介護士などを呼び
出す装置。
患者や要介護者が緊急時に呼び出すものとされて
いるが、緊急時以外でなんらかの介助を要する
際にも用いられる。
wikipediaより
母は何かあったときに、どうしているか?と
いう疑問をアタクシは、全く持っていません
でした。
我慢強いという母の性格だから、定期的に
スタッフさんが部屋を見にくるときまで、
待っているのだろうと気楽に考えておりました。
誰かぁー、いないのぉー
みっちゃんさんの声は、一番端の部屋でトイレ
介助をしていても聞こえるんですよ。
ユニットリーダーさんが言いました。
ひょっとして、夜中も?
聞けば、そうらしゅうございました。
ひょっとして、アタクシの名前を呼ぶ?
そうですよ、“あんずー!!”と大きな声が
しますよ。
大腿骨骨折で、誤嚥性肺炎で、入院していた
ときも、夜中に大声を出すとは言われており
ました。
おっかさん、お願いだから、あの世へ逝っても
そこから、叫ばんといてや。
今日は、日雇い仕事をしてきました。
お仕事の内容は、コンプライアンス上、お話
することは出来ませんが。
今回は、東京ではなく、お隣の横浜市。
それでも、疲れました。
年々、体力の衰えを感じます。
ブログにお立ち寄り下さり有難うございました。
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コメント
コメント一覧 (10)
アルバイトはやっぱり同じ所での仕事は無いのでしょうか世間は人材不足と言われていますがうまくいかないですね。
震災の原発で自宅が立ち入り禁止区域になり、最初は家族とワンコを伴って、私の実家に避難し、その後は避難所に戻り、次は近隣の温泉施設に避難させられ、
やっと入った仮設住宅は、隣の部屋の人の寝息も聞こえるような粗末なもので…
仮設に暮らして一年を過ぎた頃に、酷いうつ病を発症し、入院したと聞いてお見舞いにいったら、本人とは判らないほど痩せこけて、
顔だけでなく、身体まで真っ黒だった叔母。
二回目にお見舞いに行ったときに、
震災で介護施設が足りなかったからか、田舎の総合病院とは言え、酷い認知症の方も入っておられるようでした。
それでなくても鬱陶しい空気の病室に、他の病室から、ずっと叫び続けるお婆さんの声が聞こえるんです。
あれでは治る人も治らないな…と、無責任ながら思ってしまいました。
私でさえずっと聞いていたら、精神がおかしくなりそうな…
あんず様のお母様は、そこまでではないでしょうが、ずっと聞いている職員の方々は、本当に大変なんだなあと思います。
また全然違う話を書いてしまいましたが、やはりできれば認知症にだけはなりたくないなあ~(ToT)
夜間の叫び声 しかも あちらこちらで聞こえる闇の声 怖いですよ〜 癒し系のBGMが流れているなら 別ですが、、
やはり 夜間は、この世のものとは 思えない 世界が存在しています。ブルブル
わたし 母親には わたしの生まれ月に、死ぬのだけは やめてと伝えております。自分の誕生日が来るたびに 母親を思い出す? ゾッとします。いつまでも背後霊の様に付きまとわれるなんて、、
冗談や ありませんわ〜
あと、あんず様 亡くなる直前やら
亡くなってから 会いにくるとか
枕元に立つ とか 虫の知らせ〜とか何とか ほんま やめてほしいんですー‼︎
冗談や ないわ 娘ビビらせて何の目的?? 何したいんや??
これも ほんま、やめてちょうだい‼︎
と しっかり 伝えてます。
あんず様の仰る通り あの世でもあの世から
わたしの名前「 ◯◯〜!」
これも、マジで 辞めてもらわないと 怖っ
はい! ひとつ追加ですよ〜。
あんず様 お仕事 お疲れ様です。
高い気温 続いておりますので
お身体 くれぐれも大切になさって下さいね。
お母さまはナースコールをおせなくて夜中に娘の名前をさけぶんですね。
お母さまの特養はちゃんと職員さんがわかってくれていてよかったですね。
ばばはまだそんなことないみたいですが一回ショートに初めてとまって夜中にあるいてわたしがいないてあるきまわったそうです。今はよくねているそうですよ。
ウチの母も老健にいた頃からナースコールの操作はできなくなりました。
家にいた頃も家電のリモコン操作は出来なくなっていましたからナースコールの操作ができないことは想定内でしたが、じゃあ今現在、夜間の緊急時にはどうしてるのか。なにせ夜間のトイレ介助でも介護職員さんの腕に噛みついたりしてる訳ですし、辛抱とか我慢とか言う言葉は母の辞書には無いんですから、私としてはもう知りたくない現実です。
ただし、あんず母上様のように娘の名前は呼んでいないような気もします。何となく、私の名前を忘れかけているような気がしますから。最近の母が発する言葉は「帰ろうか」これのみ。少し前までは「私の名前、分かる?」と母に質していましたが、だんだん沈黙時間が長くなってきたので最近はそれもやめました。今さら母が私の名前を忘れたからと言って悲しいと思うような娘でもありませんしねぇ。
ただ、最近気づいたのは体が右に傾くこと。これも認知症の進行過程で現れる現象のようです。食事の介助が必要になるかも知れませんが、どうやらそれも抵抗しているようです。
どうやって抵抗しているのかまでは聞きませんでしたが、噛みついていないことを祈るのみです。
やはり、お母様も夜中に叫んだのですね。
施設は個室なので、ドアが閉まっていますから、
そんなに聞こえないとは思っていたのですが。
同じ所での仕事はあるとは思うのですが、
母に何かがあればと思うと単発の仕事でと思うのです。
7月には参議院選がありますから、なるべく、そこで、
稼ごうと思っています(笑
叔母様は、東日本大震災ではご苦労をなさったのですね。
というか、災害に遭われた方々にはそれぞれが大変な思いをしながら、
生活をされていたのですね。
今更ながら、心が痛みます。
「他の病室から、ずっと叫び続けるお婆さんの声」
まるで、母のようです。
たった3日の検査入院も夜中に叫び、即刻、迎えに来いと
言われました。
骨折したときの入院では、まさに、ずっと、叫び続けた・・・。
いつ、追い出されるかヒヤヒヤでした。
それは、ベットで拘束されていたからで、叫ぶ理由があったのだと
そのとき、わかりました。
でも、無理やりでも、薬で抑えて欲しいと思いました。
そそ、認知症にはなりたくない。
夜中に何を私は叫ぶのだろうかと不安です。
認知症初期の頃、死ぬのが怖いから一緒に来てと
言われて、ゾッとしました。
そそ、生まれ月とか特別の日には死んで欲しくないものですね。
母親を看取った友人が、四十九日も過ぎたころ、友人達に誘われて
温泉旅行へ行ったときのことです。
旅行バックを持って立ち上がったときに、母親の写真立てがバタッと
倒れたのだそうです。
ゾッとしたと言ってました。
でも、そのとき、「これからは私の時間よ!」と強く言って
元に戻したと言ってました。
私達も、それくらい、強く母親達に迫りましょう。
あの世から呼んでくれるなとも!。
連日の暑さは、動くだけでも疲れますね。
通院の多いもも様には堪えることでしょう。
どうぞ、水分をよく摂ってお過ごしください。
私も先日、麦茶を買ってきました。
どうしても、自宅ではないところへお泊りとなると
不安感がいっぱいになるのでしょうね。
母は骨折したとき、病院の看護師をよく叩いていたようです。
自分の要求が通じないときに叩いていたと思います。
まだ、私のことは忘れてはいませんが、いつ来たかは、忘れて
います。
早く、私のことを「先生」と呼んでくれと思っています。
私も福童様と一緒で、忘れてしまったから、それが悲しいとは
思いません。
「体が右に傾くこと。これも認知症の進行過程で現れる現象」
なるほど。そういうことを知っておきたいです。
情報を有難うございます。