あら、先生、ありがとう。
へっ?!、アタクシにも、とうとうその時が
きたかと思いました。
昨日のミカン狩りの帰りに、マイクロバスの
中でも、一心不乱的にミカンを食べていた母。
やがて、食べ終えて、膝の上においたミカンを
どこへやろうかと思っているのがわかりました。
そこで、持ち合わせていたビニール袋を母に
渡しました。
そのときに・・・・。
「先生」と母が言いました。
下を向いて、ミカンを食べることに集中して
いたからでしょうか。
アタクシと一緒にバスに乗っていることを、
一瞬、忘れてしまったと思われます。
今も、面会が終わり、母を部屋から連れ出して、
スタッフさんにお願いすると、その瞬間に、
アタクシが面会に来たことを忘れてしまいます。
だんだんと、瞬間の時間が長くなってきて・・・、
なんでしょうか。
これからの冬、また、インフルエンザのために
面会謝絶となるやもしれません。
こんどこそ、と鬼娘は、思ってしまいます。
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コメント
コメント一覧 (10)
が、とても意味深に感じられるのは、私の願望と一緒だと思ってしまうからでしょうか?^^;
ブログを覗いていて、認知症の方が、介護士さんを先生と呼ぶという話を、半信半疑に読んていたのですが、
うちの母も、デイサービスの介護士さんを先生と呼んていたのを知ったので、驚くやら納得するやらでした。
先日 母の2年に一回の介護認定がありました。
少しずつ色々あるのに、身体だけはピンピンの母…
今回も、8年以上前と同じの要介護1でした。
要介護1と2で違うのは、同じことをやってもらっても1より2のほうが料金が高くなることと、できる容量が増えることだけだと聞きました。
なので、特養の申込みができるようになる3になるまては、別に2になってもらうメリットなどなし…
要介護3が待ち遠しい鬼娘です。
ここまできたら、最後まで面会はするつもりですが、
私のことを先生と呼んでくれたら、もう少し楽な気分になると
思うのですが。
そそ、「先生」と呼ぶのは、顔はわかるけれど、名前が
出てこない。だから、すべての人が「先生」なんです。
ミック君のお母さんのことも、母は先生、って呼びかけています。(笑
この頃の認定は厳しくなりましたよね。
骨折して入院する、それが一番認定が要介護3となるチャンスです。
私は母に骨折を望んだ鬼娘ですから。
それならば、いっそ「どちらさん?」と言われた方が気が楽かも…
先日、義母が私に「どちらさん?」と聞き、ついにわからんようになったのね…とちょっと寂しいような、ある意味かなり楽になったような…
実母を見てると、ほんとに一気にボケた方が気が楽なんだろうとしみじみ思います。
昼御飯一緒に作って食べながら会話してても、午前中の事を忘れてしまってるようで、本人も「私の頭どうなって行くんやろ」と本気で心配してるようで…見ててしんどくなりますわ。
一生懸命働いて夫の介護して見送って、後はのんびり好きなもん食べて生きられたらいいのに…中途半端な認知症に苦しまなきゃならんとは、不憫な事です。
介護経験ない人は、余計な事は、言うな~と、友からLINEが来ました。
頑張ってねって……何を?
近所のばばあが、施設入れたら一気にボケるし、可哀想よ、まだまだ、大丈夫よ
~しっかりしてるわよ~
私も、、、いい事あるから頑張ってねって、言われたな……
在宅中に私が、わからなくなった父
ケアマネの訪問日、ディの日で帰宅した父をケアマネとお出迎えした時父が私をディのスタッフと間違えた時、ケアマネに、大丈夫ですか……と
心配してくれた事がありました。
ショックを受ける家族も、居るそうですが、あの時は、ショックではなかったです
今も、面会行くと、誰だと思ってるのかな?って思います。
あんず様も、宝くじ買ったんですね
回りからは、買ったって当たらない、お金もったいと、言われますが、買わなきゃ当たらないし~当たったら、海外に、誰にも言わず、逃げます!
一等でなくて、良いから、当たらないかな……。
小さな変化が大きな変化の前触れ。「あれ?何か変だな?」と思ったらそれがやがての大きな変化の前触れなのだと私は思います。
高齢者はそうやって階段を一段ずつ降りていく。問題はその階段が何段あるのか分からないということなんですね。
ウチの母はついに発語が全く無くなりました。眠っている時間もとても増えています。食事は全介助。
母の場合は二段飛ばしくらいの速度で階段を降りているように思います。
先日の面会時にスタッフさんに「母の今の状態は寝たきりということなんでしょうか」と質問したら「いえいえ、食事も車椅子で座って摂ってもらっていますし、寝たきりと言う状態ではありませんよ」と答えて頂きましたが、もし施設に入ることができず自宅でこの状態になっていたなら間違いなく『寝たきり』だったろうと思います。母は大勢のスタッフさんのおかげで清潔で規則正しい快適な生活を送り、寿命を延ばしていただいているのだと再認識しました。
私は何となく母の葬儀を意識するようになりました。母は先日亡くなった八千草薫さんと同い年の88歳。
90歳まで階段が繋がっているのか否か、繋がっているようでもあるし、いないようでもあるし‥‥
自宅介護の頃、暴言の限りを尽くした母に悩まされ「いっそ喋れなくなれば楽になるのかな」と思っていましたが、発語が無くなった今の面会もそれなりに重苦しいものがあります。
考えてみれば、祖父母も父も、そして何人かの縁者も、私が接した故人は全員認知症ではありませんでした。初めての認知症の終末に接して、いまだにやはり私は狼狽えることばかり。なかなか肝が据わりません。
もしもあんず様が、数週間、施設に顔をみせなければ、もう少しぶれにくいレベルというか別次元で「先生」になるのでは?
私自身、なんで施設に毎日行ってるだろうと思います。拒食症の母がかろうじて口にするものを毎日持って行くのをやめたら何が起こるんだろう、と思います。施設の普通の介護食にお任せしたら、もしも奇跡が起こったら、母は食事をするようになるのかもしれません。でも、順調に餓死するのでは、という気がして、それでは、私自身が後味が悪いだろう、という恐怖から、施設に通ってるように思います。
福童様。横からすみません。
接した個人が全員認知症ではない、とは、羨ましいです。私の周りの高齢者は認知症ばかりです。そのせいか、自分自身が80歳をすぎた時に、そうでありたい高齢者、認知症でない高齢者の具体的な姿が想像できません。
母は同じユニットに居る入所者さんと、スタッフさん達の
顔はわかっていますが、名前がわからないというか
覚えられない。
ときどき、「アタシ、あなたのこと、知ってるわ!」と
違うユニットの人に言うことがあります。
でも、わからない・・・。
私も、かりん様と同じ気持ちです。
一気にボケてくれないかと。
そそ、母も言いますよ。
「アタシ、何をすればいいの?、頭が悪くなった」って。
私自身、母を看送って、認知症を発症するとすれば、
私の人生って何だったんだろうと思うのだろうな。
私のことを「先生」と呼んだのは一瞬。
少し前に、ジィーと私を見て、
「あら、アナタなのね。」と言ったことが
あり、そのときも、もうそろそろかなと。
母がどのように私を忘れていくのか、
しっかり観察しようと思っています。
わからなくなったら、スタッフさんの一人と
思ってくれればいいかな。
ときどき、ロト7も買いますよ。
但し、3口。900円だけ。
「小さな変化が大きな変化の前触れ」
あれ?と思うと、階段を下がってますね。
まだまだ、エンドレスですが、会話もあるし、
感情も露わにする。
そそ、施設では、寝たきりと言っても、
食事をする際には、車椅子に乗せてリビングに出てきますね。
何も言わなくても、会話しなくても、全介助でも、
部屋の外に出ていますね。
規則正しい、淡々とした生活。これが長生きの秘訣かもですね。
話しをしなくなったとき、どうなんだろう・・・。
認知症ではなくても、脳梗塞などの後遺症で
施設に入所されている方もいます。
母のユニットのミック君のお母さんは、
年齢並みのボケがあるだけで認知症ではありません。
だから、母の相手をするのは、大変だろうなと
感謝しています(笑
ブログをいつも読んでいます。
いずれ、母もこのようになるんだと思いつつ。
山椒魚様が毎日、施設に行くことはよくわかります。
私が一日置きに行くのも、後悔をしないため。
ブログで書いておられた、ヤクルトにストローを差すことが
リハビリの一つということ。
私も、ストローを差して母に渡します。
母に任せると、こぼしてしまう。
掛布団と掛布団カバーは施設のものではなく、
持ち込みなもんで。
いつも、タオルを引いてからにしていますが、
こぼす方が多くなってしまいました。