母の施設(特別養護老人ホーム)の名前に
「山科」という地名が使われています。
母はその「山科」に反応します。
亡き父が、勤めていた土木会社の現場が京都の
山科にあったためです。
正面玄関のマットに施設の名前があるのに気が
つき、
まあ、ここは山科なの?
パパも来たことがあるのね。
ちゃうちゃう!とは言えず、むにゃむにゃと
誤魔化してしまいました。
或る時、アタクシに言ったことがあります。
遠くからここに来るには大変だったでしょ。
いやいや、今は、そこの衣笠というところに
いるから。
あら、衣笠なら・・・
あれれ、ひょっとして、京都の衣笠と間違えてる?
京都の衣笠じゃあなくて、横須賀の、なんよ。
まぁ、横須賀だったら、おじいちゃまが居たのね。
母方の祖父は、戦前、海軍に所属してました。
記憶がごちゃごちゃになっているようで。
少しずつ、記憶が消えていく中で、昔のこと
でも覚えていてくれていたほうが嬉しいのですが。
母のこんな言動を思い出したのは、昨日、貰い物
だけど、と友人がくれた「あも」。
今や、全国区の和菓子屋になった叶匠寿庵の製品。
アタクシが小学校の高学年の頃、父の現場が、
京都から滋賀のほうへ拡大になりました。
当時、まだ、大津市の小さな和菓子屋だった
叶匠寿庵。
アタクシは、当時「おこぼさん」と呼ばれていた
洋風のお菓子が好きでした。
京都の鼓月の千寿せんべいが、形も味も同じ
商品。現在、叶匠寿庵にはおこぼさんはあり
ません。
こうやって、子供時代の思い出を語るのですが、
いずれ、アタクシも記憶が消えていくことでしょう。
keep your social distance
自分を、周囲の大切な人を、そして社会を
守りましょう!
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コメント
コメント一覧 (5)
消えていく記憶、切ないもんです。
頑張ってやった畑仕事も帰宅して10分で忘れてしまう実母…
午前中、支柱たてたり、害虫駆除ネット張ったり草むしりしたり、どんなに大活躍しても…昼御飯食べながら「85歳、凄いわ~」と誉めても、「え⁉️そんなことしてきたけ?」となる実母…
こんな頑張った事が記憶に残れば、自分の自信にもなるのに、可哀想にみんな忘れてしまうから、更に自信喪失になるんだな…と、心底切ない。
どんなに不安なんだろうか、と心配になる時もあるが、夜9時半に電話がかかり小さな事で呼び出されると、超不機嫌に対応してしまう。
もっと優しく安心させてあげんなんってわかってるんですけどね…
苦しんでいる娘にけんかふっかけてくる親最低だと思います。
私は四ちゅう推命とかはわからないから先生にきくのね。
おばあちゃんもおとうさん子だくさんでもかわいがってくれたっていっていまでも
田舎に帰りたいといっています。
子供の頃のこと思い出すみたい。
今足がむくんであるけないのでおばあちゃんのお祝い母にとどけてもらって電話でおめでとうと言おうかなと思っています。
そんなに長く面会コロナでできないみたいだtからね。
お母さまもむかしのこと思い出すでしょうね。
おばあちゃん100才のお誕生日おめでとう
まだまだ長生きしてね。
今の私があるのはおばあちゃんのお陰です。感謝してます。
そう書きました。ばばね、私が線維筋痛症でこしの骨がいたいとき父2年間もぶたぶたといいってね。そして正月足蹴りに会いました。そのとき私死を覚悟したのね
そしたらばばが一緒に線路歩いてあげるから一緒に死のうっていってくれてね
私がいないとさみしいといって私も目がさめて
父の暴言から負けないように考えました。
だから感謝してもしきれないです。ばばにはね。外の人は心配してるけど私には怒ってる父です。だから面倒もみないのね。死のまぎわしかいかないのね。決心してます。
ほかの人も悲しい人だねといってたことがありました。
当然、覚えているだろうと思っていたことを
母は覚えていなかった・・・
こういうことが多くなってきました。
直近の記憶をすぐに忘れてしまうことから、
認知症が進行したと感じました。
でも、母自身、戦前の育った家のことは
覚えていましたから、そんなもんだと思ってました。
ところが、そういう記憶も消えるんだとわかり、
いずれ、私も同じ道をたどるんだからと思うと
ほんまに、切なく思います。
結局、「不安」なんですよね。
今の季節は何?
今、何時?
今日は何日?
どこにいるのか?
だんだんとではなく、一気に認知症が進んだ方が
幸せなんだろうかと思ってしまいます。
お母様も、不安で不安で、電話しようと思われるんですね。
電話が出来るだけ、まだ、しっかりされていますよ。
そそ、あんなにしっかりしていた母親が・・・
そんな気持ちもあって、不機嫌な対応もしてしまいますね。
大阪は、規制がなく、コロナに感染しないようにすれば、
面会も出来るようですね。
そうですね、無理をせず、もも様自身が体調のいいときに
ばば様のところへ行って、お祝いの言葉をかけて差し上げればいいですね。
母はだんだん、子供の頃のことも忘れていくみたいです。
ばば様はお優しい方ですね。
そして、もも様のことをとてもかわいがっておられる。
お父様は、いわゆる、自己チューなんですね。
無視するほかないですね。
ばば様へのプレゼントの写真、楽しみにしています。