今日は、8月2日。母のすぐ上の姉、伯母の祥月命日
でもあります。
母の兄弟は、兄が二人、姉が二人の5人兄弟。
それぞれの連れ合いを勘定すると、8人の伯父伯母、
そして、義理の伯父伯母と・・・。
それぞれのご命日なんぞは、覚えておりません。
しかし、すぐ上の伯母だけは、強烈に覚えている
のです。
伯母が亡くなった2010年の8月2日、母は熱中症に
なり、脱水症状を起こして、救急車で病院へ。
その日から、暫く入院しました。
伯母が亡くなったことは、その2週間後に従姉
から、事後報告で電話がありました。
その年の夏は、観測史上1位とか言われるほどの
高温でした。
従姉の考えで、猛暑の中に高齢者が葬儀に参列と
なると、母のように熱中症になるかもしれない。
それもあり、家族葬で見送ったとのことでした。
伯母のことを母に話すと、まず、言ったことが、
なんで、アタシを葬儀に呼ばなかったの!
母には伯父側の親戚も呼ばなかったし、東京から
誰も参列していないことを、何度も説明すると
伯母が亡くなったことを嘆きました。
ママはさあ、その日、脱水症で救急車で病院に
担ぎ込まれてたんよ。
どっちみち、参列出来へんやったんや!
あら、そうだったの?、アタシ、覚えてない。
それから母は、伯母の死を忘れてしまい、
かおちゃん(伯母の名前)、どうしたの?
と何度も聞くようになりました。
母が認知症になってからは、誰の葬儀にも参列
させることなく、また、亡くなったことも知ら
せることもなくなりました。
母から、聞かれれば、その事実を話をしました。
まぁ、亡くなったの?
と、一瞬、泣き顔になるものの、すぐに忘れて
しまう。
母の中では、死者は生きている・・・。
やっと、湿気がなくなり、洗濯物もカラッと
乾くようになりましたね。
母の車椅子に敷いている座布団をこのお天気で
干したいなあ・・・
keep your social distance
自分を、貴方の大事な人、周囲の大切な人を、
そして社会を守りましょう!
うつさない、うつらない。
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コメント
コメント一覧 (8)
今日も暑い朝の始まりです。
死者は生きている。
そうですね…
認知症の方の世界では「死」など無く永遠なのだと私も思っていました。
母がいくつの頃か定かではありませんが…
伝わるかわからないし…迷ったあげく一番仲良しだったご近所のおば様が亡くなられた事を告げました。
「ぐらしかねぇ…」
【かわいそうにねと言う意味】
地元方言で母はすかさず私に言いました。
驚きました!泣けました!
誰かまでは解らなくとも恐らく「死」は理解したのかな?と思いました。
方言で言ったのが何より嬉しかった!
母のありたっけの気持ちが込められていたからです。
母は既にちぐはぐな会話さえ出来なくなっていた頃でしたので通じた事も奇跡でした。
言葉は通じなくとも認知症の方は相手の表情は見ていて感じているのだと思います。
父と私が言い合いをしていた時の母の悲しそうな今にも泣き出しそうな顔を未だに忘れられません。
でもね…私もいっぱいいっぱいでした。
父の吐いた言葉はすべて日記につけています。
つけていて良かったと思います。
私が逃げずに母と向き合った軌跡ですもの。
あんず様の「鬼娘の介護日記」
あんず様とお母様のかけがえのない絆。
どうかこれからも続けてくださいませ❤️
多くの介護で頑張っていらっしゃる皆様のささえや励みになっていると思います。
先日の「死装束」のことですが、あれから美代さんに訊いてみました。
なんと!
出羽三山への詣でのこと、キレイに忘れていました。
故に、父に着せた死装束のことも、憶えていないと・・・
遅かりし、でした。
最近の美代さんの記憶の衰退は激しいのですが、
まだ大丈夫と思っていた、あたしの落ち度です。
もう、毎日ため息しか出ないです。
今が正念場と、解ってはいるのですが、
気持が追い付きません。
死装束のこと、あたしもブログに載せたいと思います。
事後承諾、お許しください。
昼御飯作って一緒に食べた後、私も自分の家の晩御飯用意に、また2時間程帰宅します。
「晩御飯作って、また4時半頃来るね。このままクーラーつけてテレビ見てゆっくりしとるまっし」と言って一時帰宅しますが、実家に戻るとクーラー消してる事もあり、ヒヤヒヤします。
結構感覚鈍ってるから、熱中症怖いです。
五男坊の嫁となり本家を継いだ母が、お盆やお正月にたくさんの兄夫婦や姉夫婦が来て苦労してたこと、私は幼いなりに覚えてます。
よっぽどの苦労だったからか、身内兄姉たちの死は今も覚えているようです。
これでしばらく行けなくなるのでさみしいです。
来月からお小遣いがまた減ります。ばばの洗濯代とかいろいろいるそうです。
それで就職活動してるのですがなかなか才能がないのかうかりません。
おちこみます。またばばの胸でなきそうです。だから私がないてないのか心配になるんですね。
ばばはよくいなかに帰りたいといいいます。田舎に帰っても知り合いばばよりさきになくなっているのにね。
汗をかく、夏が来た!!、ですね。
エアコンをかけたいのですが、掛け過ぎると
鼻の調子が悪くなるので、なるべく、扇風機で過ごしています。
いつも応援頂き、嬉しいです。
面会禁止になる前も、「アタシの兄弟は?」と聞かれて、
「はぁ?!」でした。
“ママは、95歳。末っ子が95歳だと、兄弟は?”
というと、誰もこの世にいないとわかります。
まだ、少しは理解するんだと思いました。
お母様は認知症であっても、夫と娘の間にあって、
それぞれのことを気遣っておられたのですね。
脳の中で、どれが残ってどれが欠如するか、
認知症が人それぞれであるのと一緒なんですね。
私も在宅介護中にどうにも我慢ならず、
母の真夜中のトイレへ付き合い、その後、
当時のブログ(ヤフーブログでした)に母のことを
クソみそに書いて、一階の母のそばに敷いた布団へ
行くので、二階から降りようとしました。
ところが、足を滑らせ、転倒しかけ、壁に激突。
耳を切り、出血しました。
クソみそに書いたからだと、その記事を慌てて
削除しました。午前3時でした。
そういうときって出血量が半端ない・・・。
5針ほど、縫いました。
在宅介護中も、色々ありました~
どうぞ、気にせず、断らずに、ブログに書いてくださいませ。
私もときどき、他の方々のブログを読んで、ヒントというか、
書きたいことを思いつくことがありますので。
あらまー、出羽三山、お忘れになりましたか。
だったら、暮らしていくなかで、お気に入りがあれば、
それをとしていったほうがいいかもですね。
思い出話をすると、ときどき、嫌がっていました。
何故なら、母の中に思い出がないから・・・。
悲しいですが、仕方ないと、その場を濁してしまいます。
でも、たぶん、覚えているのは、いい思い出だけだと思います。
それでいいと思います。
そそ、クーラーを付けない。
まず、電気代が勿体ない、
暑くない、結構、寒いという
といって、クーラーを切って、網戸にしていると、
暑いと言って、全部脱いで、こっちの目がシロクロ。
全裸になったことも。
認知症で高齢者の健康管理は大変です。
あー、本家の嫁は、昔はこき使われた・・・。
今は違いますね。
ばば様に会えること、羨ましいです。
コロナに感染させないため、施設にいてくれる、
有難いと思います。
認知症では、直前の記憶より、子供時代の記憶の方が、
よく覚えているようです。
ばば様には甘えられる、特別な存在ですね。