母が認知症を発症したとき、たまたま、会社が
倒産、リストラして、好都合なことに、そのまま
在宅介護に。
認知症って何?と、学ぶというか、理解する前に
母はどんどん進行して、別人格のようになって
いきました。
母より先に、亡くなった上の義姉の母親が、
認知症になっていました。
アタクシから母の様子を聞いた義姉が、彼女
なりに読んだ認知症についての本を貸してくれ
ました。
母の悪魔的言動や行動は、同窓生の先輩の
お母様と一緒でしたから、その後はどうなるか
教えて貰いました。
あんずさん、いつになるかは、人それぞれ、
だけど、必ず、好々爺、あ、好々婆になるから
安心して。
当時のアタクシは、真っ暗闇のトンネルの中、
一筋の光も見えず、ウソやーと叫んでました。
でも、言われた通り、現在、母は好々婆となり、
さらには、あなた様、どちら様?状態になりつつ
あります。
施設(特別養護老人ホーム)に入所したとき、
早く、認知症が進行してアタクシを忘れて
欲しいと思いました。
願いが叶うのですが、アタクシの気持ちは
複雑です。
著者、桜木紫乃氏もやはり、介護の中にいて、
母親が娘の名前を忘れたのは実際のこと。
実際にうちの母が私の名前を忘れたとき、
悲しいと思わなかったんです。
忘れられたということはこちらが抱く感情
なので、忘れゆく人に負担をかけない私で
いたいと思っています。
ただ、それは私と母のこれまでの歴史あっての
ことだから、万人に伝わる感覚ではないですよね。
すべての人が親に忘れられて悲しくないわけが
ない。
うちの母は辛い過去がいっぱいあって、記憶が
非常に重たい人でした。
けれど、母の体はその記憶という“荷物”を
下ろし、女の人としての輝かしい記憶は鮮明に
残して、“かわいく”老いることを選択した。
今は父が毎日そばにいてくれるのがうれしい
そうなんです。
母がアタクシを忘れてしまうことに、もっと
前向きに考えていい。
アタクシなりに考えてみようと思いました。
母の負担ってなんだろうと・・・。
Keep your social distance & Stay Home
人から人へ広がっていくウイルス。
今は、ウイルスに付き合って行くほかあり
ません。
そのためには、従来通りの3つの基本。
「相手と身体的距離を確保すること」
「マスクの着用と手洗いや咳エチケット」
「三密(密集、密接、密閉)」を避ける
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コメント
コメント一覧 (4)
【認知症】
この世になんでこんな病気があるのだろう。
そして、なぜまた、私の母が…。
私の母が認知症を発症し始めの頃の様子は攻撃性よりも「どっかに行きたい」「死んだ方がまし」と絶望の気持ちが強かったようでした。
当時、仕事に就いていた私は、家に帰ったら母が居なくなっていたらどうしよう…とか、母が自殺していたら…と悲しいことばかり頭にちらつき仕事がまともに出来ない有り様でした。
父がいましたが…
だいたい父の存在が母の気持ちを追い込んでいたわけで頼りにするどころではなかったです。
認知症が進んできた母は、絶望的な発言は無くなっていきました。
ヘルパーさんと私でお風呂入れの時も「ありがとうねぇ~」と笑っていました。
恐らくヘルパーさんを身内で姉か誰かと思っていたのでしょう。
元気な頃の母の口癖は「おかあさんはひと(他人様)に迷惑をかけてまで長生きしたくなかのよ~」でしたからね。
認知症じゃなかったら恐らくヘルパーさんの介護は拒否していたでしょう。
【認知症】
人其々でしょうが母に限っては悪い事ばかりではなかったなと思っています。
だからといって…
私は絶対に認知症にはなりたくありません!
息を引き取る間際迄、母との思い出を忘れたくありませんし甥や姪に迷惑かけたくない。
あ、母と同じことを言ってますね…笑。
認知症の症状は人それぞれ、だから、介護もそれぞれ
なんですよね。
お母様はどちらかというと老人性うつの傾向だった
のかもしれませんね。
攻撃性があっても、そうでなくても、認知症が進行すると
穏やかというか、ヘルパーさんや、施設の職員さんに
頼るように変わっていく。
自分自身が認知症であることも忘れてゆく。
私も認知症になりたくはありませんが、認知症を忘れることは
そうありたいと思います。
コメントのお返事ありがとうございます。
父が入院する事になり、仕事に就いていた私は認知症気味の母をお世話出来なくて…
兄が必死に探した老健施設に一時的に入所しました。
姉、兄、私の3人が院長室に呼ばれて母はアルツハイマーだと診断を受け、同居しているのは誰かと言われ「私です」と言ったら院長から「なんでこんなになるまで放っていたかぁ!」と頭ごなしに怒鳴られて…
不覚にも当時四十過ぎであるにもかかわらず号泣してしまいました。
姉も兄も「あんたのせいじゃない、怒鳴られるのは本来ならお父さんよ」と言ってもらいましたが、あの時のショックは忘れられません!
あんず様が仰るように、母は老人性うつもあったのかもしれませんね…。
なるほどなぁ…と当時を振り返り考えさせられました。
ありがとうございます。
追伸
ウォーキング途中の道端ヒメオウギの可愛い花が風にそよいで咲いています。
桜も散り新緑の季節になりました。
ヒメオウギの名前を教えて下さったのはあんず様でした。
この花を眺めつつ…あんずブログを想います。
きっとこの先もずっとですね~♪
認知症を発症と言っても、明確な日時は誰もわからず、
そういえば、あのときのあの行動からおかしかったかも
と推測しかありません。
特に、初期の日常生活は普通に過ごしていますから、
一緒に暮らす家族には、相当、進行してからでないと
気が付かないものです。
特に、お父様とご一緒だともっとだと思います。
母と二人暮らしだった私だって、後に思うに、
ほとんど、気遣いなしに生活していましたもの。
でも、その院長、とんでもないです。
頭ごなしに言うなんて!
思いやり、大切ですね。
ヒメオウギ、先日、街中でみつけました。
ピンクよりオレンジに近い色で、アレ、これ、なんだっけ?
で、またまた、調べ直しました。
忘れちゃいました(笑