やけにご機嫌な母でございました。
テレビを見ながら、声をかけてくるのですが、
その内容がえーっ?と思う創作ストーリー。
この時の番組は、ケンミンショー
パパによく連れて行って貰ったわね!
このお蕎麦、よく食べたわよね。
はぁ?!出雲に親子揃って行った覚えはない。
鳥取県は行ったことがあるけれど、島根県は
ないざます。
アータさ、パパがよく連れて行ってくれたと
いうお蕎麦屋さんは、大津の坂本の鶴喜蕎麦
やんか!
えっ?と母の目が丸くなりました。
ほんとに、鶴喜蕎麦のことは忘れている?!
次に、出雲の釜あげ蕎麦、アタクシは食べて
みたいと本心思いました。
こんなお蕎麦なんか、食べたくないわよね?
どうして、母はアタクシを道連れにしたがる
のでしょうか。
認知症の母なんですから、そうやねと言えば
いいのでしょうけど、アタクシは無償に反抗
したくなるのでございます。
あたしは、こういうのを食べたいんよ。
次に、名古屋の台湾まぜそば。
アタシね、これ、食べたことあるのよ。
えっ!唐辛子系の辛いものは苦手とちゃうん?
それに、2008年に編み出された料理で、母は
認知症発症後のことで食べてはいないはず。
これについては、寝たふりをして返事を致し
ませんでした。
台湾まぜそばの最後に「追い飯」と言って、
白いご飯を入れて、台湾ミンチと混ぜながら
食べると美味しいのだそうです。
それを見た母が申しました。
ご飯は白いご飯が一番が美味しいわよね。
混ぜご飯より、白いご飯!
ご飯があれば、ほかはいらないわ。
アナタもそうでしょ。
どうして、アタクシは素直に、そうだと言え
ないのか。
「アナタも」と言われると、違うと言いたく
なるのです。
そうね、と一言、言えばいいものを鬼娘、
余計なことを言ってしまいました。
あたしはね、ご飯を、今、食べていないんよ。
糖質ダイエット中なんよ。
そうしないと、あっというまに体重が増えて
しまうからね。
それは、食事が終わっても、何か食べたがる
母への嫌がらせ。
認知症という病気のために満腹中枢が壊れて
いる母にあてつけても、仕方ないとわかって
言っているんです。
子供の頃から、母には反抗できなかったのが、
母が認知症になって、やっと、面と向かって
反抗出来るようになりました。
それこそ、アー言えばコー言うアタクシ。
その度に、自己嫌悪に陥るのですが、言って
おきたいのは、
アータはアータ、あたしはあたし。
いまさら、反抗期でもないと思うのですが。
それとも、天邪鬼?
コメント
コメント一覧 (22)
お母さまに従順だった娘も、世間に揉まれて?反抗できるようになった?
姑に従順だった嫁も、今は立場が逆転、認知症の義母を言い負かす事は朝飯前?
なんちゃってね
でもね、まだまだ70パーセント程は敬語なんですよ、、、
~~してください、ごはんですよ~、着換えられますか~なんてね・・・
でも、そんな時の自分の顔はどんなだろ~とふと思いました
イラついていても敬語、そんな時はきっとすごい形相してるのかな?
よそ様の前ではハハ同様、にっこにこと外面よろしく話をしてるのかも?
幸い?というか、ハハは私の顔をあまりみて話しません、
これは昔からですが、私って顔を背けるほどのブサイクなの?
それとも生理的に気に入らない嫁なのか?
ただただ黙って、寡黙といえば聞こえが良いが、挨拶しても返事もしなかったし、、、
嫁いだ時、ホントに悩みました、、、
幸い?義父はとっても可愛がってくれましたけどね~
あ~ひょっとして嫉妬?
結局、そういう性格なんだと思いつつ、あれからン十年経ちましたけどね
今は立場が逆転!、ベソかいていた嫁も強くなりましたよ!
天邪鬼、なりますなります、そして自己嫌悪にも・・・
でも私達は親の介護というすごい事をしてるんですもの、胸張りましょ!
と自分にも言い聞かせてるうちわです。
疲れるけど・・・
優しくなろうと思っても つい 口が先に出るんだもんね
口が勝手にしゃべるんだもんね 別にわざとじゃないけどねえ・・・
でもでも くまはあんず様が お母さまの言いなりになって
前髪も切らない っていうのが すごく 強烈な印象で・・ こりゃあ 手ごわい
あんず様が 素直にお母様の愛を受け入れるには
お母さまの支配下にあった時間以上に 解放される時間が必要ですね
あっ これって 亡くなるという意味じゃないからね!!
ふむ・・・疲れているくま
耐震リフォームが終わり・・・しかし・・・ダンボール箱は 山積みのまま・・ふむ
キャンプ生活に 疲れております・・が・・クマ母が 耐震リフォームとやらを見たいと・・
「きれいに片づけたら見せるからね」 と いいつつ 忘れてくれること願うクマ
さささっ いつもの時間でーす
あんず様 & チームあんずの皆様
ガンが世間をにぎわせているけど・・
まずは 介護レディースの健康が大事!!
検診してねぎゅっ ハグ と 疲れたら一休みヨシヨシ!!送るからね~
月見団子・・あんこ? みたらし? 迷うくま
全く同じです。
私も今が反抗期なんだ!と妙に納得いたしました。
ニャン母もあんずさんのお母さんと同じ言い方をします。
「あんたもそうでしょ」
「今日は暑いと思わへん?(大阪弁です 思わない?という意味)」
私は即答してしまいます。
「違うよ」
「思わないよ」
すぐにこのように反応してしまうのです。
内心「もっと優しい返答の仕方はないの?」
と思うのですが
それが出来ないのです。
ニャン母今日も創作ストーリーです。
「へえ、そうだったの」
と言えない私です。
将来母を見送ったとき(私が先になる可能性だってあるのですが
自分の中では見送る予定です)
「ああ、何故もっと優しくしてあげられなかったのか」
と後悔で苦しむことのないようにしたいのですが・・・・・
そのためには 自分が成長しなくてはいけないです。
うちわ様も嫁の立場なんですねぇ。
「結局、そういう性格なんだと思いつつ、あれからン十年経ちましたけどね」そうそう、もともとの性格と思い自分を納得させるっきゃない。苦笑ですね。
嫁を家畜と思ってますもんね。息子が食わせている。だからそれくらいしてええ。って上から目線。私はデイへ行く日、仕度を促すと、「私は行かんといいよるじゃろが!私をなめるな!」なぁーんて言葉吐かれました。私はそのとき黙りはしません。「ハァ?なんて?なんて言った?」ととぼけたふりしてわざと聞き直します。復唱する気なら復唱してみぃ?もう一度聞いちゃる、の態度を示すと義母は「・・・・」ちとはたと考えるのでしょう。黙ります。
それでもなんだらかんたらいうときは「へぇーそう思ってるんだ。へぇー私にそう言うんだぁ。そうかぁそうかぁ嫌いな人のいうことなんかきかんもんね。そうかぁ」と見据えて意味深にうなづいてやります。笑。義母。これ不気味に思うみたいです。あはは。喧嘩より不気味で怖い、不気味ビームのお返しだい!
アー言えばコー言う。お母さんとの会話のキャッチボール懐かしや~。私もいつもアー言えばコー言うでしたよ。
当時は疲れたけれども、今となれば、我が家はまったく会話が成り立たなくなってきているので~あんず様はやっぱ優しい。
テレビそのものが理解できなくて、もっぱらBSで外人さんが出ている番組をつけっぱなしにしてることが多くなってきています。日本人がでると知人と間違えて混乱するのでね。
でもね、でもね、若い男前はわかるみたい。
昨夜は完徹状態だったけれども、今日はどうかな~
鶴喜蕎麦屋さん何回か行きました。いつも混んでます~
世間ではなく、母の認知症によってです。
母は私が子供の頃から、支配下におき、絶対権力行使でした。
立場が逆転して、やっと母に向かって、
「私はママとは違う!」と口に出して言えるようになったんです。
> イラついていても敬語、
嫁の立場を表していますね。
母はどんな嫁が来ても、いい嫁とは言わなかったと思います。
下の兄のお嫁さんは母が自ら選んだんですよ。
それでも、気に入らなかった。
可愛い息子を取られたと思ったんでしょうか。
顔を見ず、何も言わない・・・
悩みますよね。ずっとそうだったということは性格だったんですね。
お舅さんがいい方でよかったですね。四面楚歌ではやってられませんものね。
母は、嫁に向かって、ズバリ言ってました。
兄嫁達も大変だったことでしょう。
上の兄嫁との関係がよくなったのは、認知症になってからです。
あんなに嫌っていたのが、手のひら返し。
結局は、世話をして貰うというのがわかったのでしょうか。
>私達は親の介護というすごい事をしてるんですもの、胸張りましょ!
ほんと、そのとおりですね。
頑張ります!
ちゃんと、感謝するところはしているつもり。
でも、とても、疲れてしまう。
母に濡れ落ち葉のごとく、ぺったりと貼りつかれている感じ。
就職して、30年近く、好き勝手やってきたんだから、
大口は叩けないんだから。
いやいや、くま様、母の支配下から逃れるのは母があの世にいかないと無理。
おなじように育てられた従姉(母親どうしが姉妹だからね)は、
伯母が亡くなっているのに、いまだに呪縛されていると言っているから、
ぞーっとしています。
前髪ね、いまだに言われてます。
「アナタはね、おでこを出しているほうがいいのよ」って。
家の耐震リフォーム、お疲れのことでしょう。
工事の人が家のなかにいるって、神経使いますもんね。
そして、片付けたものを、また広げてしまう作業・・・。
来週月曜日に区の無料検診を予約してあります。
日曜日からのショートは、病院通院浸りの日々になりそうです。
鼻の調子も悪いので、また耳鼻科へ行くつもりです。
くま様のハグで元気を出してやっていきますね。
ヨシヨシを有難う!!
月見団子は、すあま、のようなものかと思ってました。
そうではなく、中に餡を入れてもいいし、みたらしでもいいんですね。
私は外に餡、中に餡、どっちでもよいアンコ派です。
そそ、うちの会話も同じ。
「今日は暑いと思わない?」
「思わへん!」
そうね、と言うのは、うーん、数えるほどか。
私はそんなに母に反感を持っているのかと自問自答するときも。
子供の頃から、母には反抗出来なかった。
中学の時に部活を決めるのも、就職先をどこにするかも、
すべて母の言いなり。
子供のときに、反抗しておけばよかったと思っています。
確かに、「優しくしてあげればよかった」と
後で後悔するようなことがないようにしておきたいですね。
肌寒かったですね。雨だったし、、気持ちは上がらず(-.-)
秋桜がゆらゆら雨に耐えていました。
あーまるで今の私みたい、、なんてネ(^^ゞ
そんな可憐に耐えるアチシではあーりません!
私の母も、娘は必ずや自分と同じはず!の意識のもとにありました。思春期にその束縛感に反抗し、父が助け船をだしてくれました。
が、父ともよくケンカしました。昭和のドラマによくある光景ですね!
あんずさんがその様子を見たらカルチャー
ショックだったかもしれませんね(×_×;)
あんずさん、今だから反抗期!「理由あり反抗」主演 アンズ・ヤデェ~ンでいいと思いますよ!これはお母様がたとえ忘れてしまうとしても、あんずさんの長年の何かから解放されるためのリハビリに思えます(*^^*)
あんず姐様。あっしも~重い母と頑張りやすよ(`_´メ)
シルバーウィークはひろちゃん様もお忙しかったようですね。
お疲れ様でした。
そうか、私も嫁の立場をほんのちょっぴりやりました(嫁であった期間が短いけれど)。
あのお義母さんとのお付き合いは嫌だなあ。
って、向こうもそう思っていて、せいせいしてたかも。
ひろちゃん様の対お姑さん策は、面白い!!
オウム返しビーム。お姑さんでなくても、使えそうです。
介護したての頃って、認知症初期ですよね?物盗られ妄想はあるし、やることなすことにケチをつける、死んじまえって思ってるでしょうと何かにつけて言う、ちょっと、身体に手が触れただけでも、そんなにアタシが憎らしいのねと言う。ほんと、ストレスでした。その後、だんだん、認知症が進行して、ファーマーK様がおっしゃるように、母に負けないで言い返すこと出来るようになりました。「イラついても敬語」を使いながらの介護はもっと辛いかもしれませんね。実は、下の兄は3年前にくも膜下出血で亡くなりました。単身赴任中の出来事で、いわゆる、孤独死でした。兄が二人いてよかったと思っています。
一人欠けても、もう一人いるので、心強いです。上の兄は表向きは立ち直った感がありますが、義姉が亡くなってから、ゴルフ三昧。家にじっとしているのが、辛いのでしょうね。ま、長兄は金銭的に面倒をみてくれており、母の入院費も払ってくれましたし、葬儀代も出すからと言ってくれています。しかし、私は、「お前の葬儀分はないよ。」と釘を刺されています~
完徹状態?!大変でしたね。お疲れ様でした。
>今となれば、我が家はまったく会話が成り立たなくなってきている
いやいや、母もそろそろ、そんな感じです。
会話するのに、面倒になることがあります。
話しているうちに、同じことを繰り返すのですが、それが、どんどんズレてくる、
そうなると、疲れますね。
ケアマネさんが、テレビがわからなくなったら、ラジオをつけっぱなしにしてみてはと
言ってました。
>日本人がでると知人と間違えて混乱する
認知症の症状もさまざまですね。うちはアルツなので、
幻聴・幻覚が少ないだけよかったと思っています。
母はキムタクだけは、「この子、素敵ね」といいます。
鶴喜蕎麦、道を挟んで、二軒ありましたが、今でもありますか?
朝から雨、今日は寒かったですね。
昨夜、シーツにくっつきベンちゃん。洗濯したのを、コインランドリーへ。
で、帰宅後、またもや、くっつきベンちゃん。
ベランダにシーツがゆらゆらです。
いやだー。もう!!!
やはり、母親は娘を自分の一部だと思うんですね。
カメ父様と喧嘩をされたんですか?羨ましいです。
父は私が18歳のときに肺がんが判明して半年で亡くなりました。
ちょうど、オヤジをウザイと思う年頃。
父が亡くなることに、心底悲しくなかったような気がします。
それに、小さいころから会話のない父娘でした。
だから、羨ましい。
認知症の母に向かって、「クソババア」と言えるようになった
「理由あり反抗」ですが、チコ様、まだまだ、インナーチャイルドです。
やはり、いまだに前髪を切ることが出来ません。
今、第1回目トイレ介助してきました。午前2時半。
次回はたぶん、4時半頃、そこから1時間おき・・・・。
日曜日のショート!!
私も今日は、2時に階上の物音が聞こえて目が覚めて、
介助に行ったのですが、その時の会話で
いつもの母のイヤな言葉を聞き、眠れなくなりました
一生懸命に母の事を考えてやったことでも
結果としてイマイチだったり
その時はよくても後から不都合になることってありますよね
それを何度も何度も
しつこく責めてきます
私にはもう「死ね死ね」と言っているようにさえ聞こえます
悲しくなって腹が立って
寝くれなくなりました
(字数制限があるようなので分けますね)
うちの母も自分が食べたいものがあるとき、
必ず「○○食べたいと思わへん?」とか
「今日は暑いと思わへん?」といういいかたをしますね
こうやって文字に起こせばなんてこと無く思いますが
そこに「逆らうな!」という雰囲気が満ちているんです
酷いときには喫茶店に入って
勝手にひとの飲むものまで注文しようとします
プチ反抗期で
「いや、それは食べたくない」
とか
「そんなに暑くないで」
というくらいしかできず、
それでも心の中で自分で自分に反抗期か!と突っ込んでいます
ある日「○○さん、歌上手くなったな」と言うので
私は、そんなに前から母が○○さんの歌知っているはずないし
特に上手くなったとも思わないので
「そんなことないで・・・」と言いかけた途端
「あんたはなんでもいちいち逆らってくる!逆らいや。
いちいち逆らわんとなんでそうやねぇ〜っていわれへんの」
と言われました。
「え?だってそれが会話のキャッチボールちゃうん?」
と言うのがせいいっぱいでした。
母はイエスマンが欲しいだけで
反論することは例えば芸能人の話題でも
食べ物でも気温でも許せないんだ。
私にとっては、却って馬鹿にしているように思うけど
母はなんでも「はいはい」と言って欲しいんだと
思いました
でも、今でも時々まともに対応して
反撃をくらい、「あー、ハイハイって言うんだった」と
反省の日々です
あんずさん、前髪切れないんですか・・・
うちも未だに美容院から帰ってくると
色々ダメ出しをします
たまには褒めるということができないのかと
そういう母を残念に思います
階上で車いすを動かす音がします。
気にはなりますが、身体が動きません。
顔を合わせばイヤなことがある・・・
呼ばれるまで放っておきます
高齢で認知症で身体も思うようにならない…
それは本人にとってとても辛いだろうし、周りだって何とかしてあげたいとは思いますけど…
年中無休の在宅介護では、優しく接するのは無理です。
それでも、チ―ムあんずの皆さんは良くやってます。自己嫌悪になったり、悩んだり苦しんだりしながらも、ちゃんとやってますもの。
皆さん!偉いです。
安倍首相、現実的かつ至急の政策、お願いしますm(__)mという感じです。
うちわさんのイライラしてても敬語、わかります。私も嫁なのでなんか丁寧に言ってるけど、顔は怖いかも\(>_<)/
そして、ひろちゃんさんがおっしゃってた不気味ビーム大量噴射してます。多分(-_-;)
仕方ないよ。神様じゃないしね…と自分を慰めてます。
義母は、昨日から3泊のショ―トです。
例によって、「行かない」「やっかい者だからね」と駄々をこねたり、お涙ちょうだい作戦に出たりといつものことながら面倒くさいやりとりが…
「今週はお彼岸でお風呂もリハビリも休んだから、行かないとね」でやっと。
納得はしてないと思うけど、諦めたのかな?
何でもいいから行ってくれ〜〜です。
ということで、少し休みます。
皆さん、頑張りすぎないでね。ココ
第1回目の次は、1時間後の4時。
2回目、3回目になると、私のほうが嫌味タラタラ。
眠りますが、とても眠りが浅く、起きるのが辛いです。
どうして、素直に有難うねと言えないのでしょうかね。
高齢になるとジコチューが激しくなり、
もともと、自己中心的な性格がさらにパワーアップしてしまう。
不都合による不快感情をぶつける先がはるる♪様ですね。
サンドバックにされている、はるる♪様が可哀想で、涙が出ます。
>「逆らうな!」という雰囲気が満ちている
よーーーくわかります。その通りです。
何も聞かずに注文する、そそ、あります、ありました!!
「この歌、いいわね。(アナタもそう思ってるでしょ!)」と
言われて、ほんとにいい歌だと思っても、素直にそうねと言わないというか、
言えない自分がいます。
努力している?ことは、いいものいい。そう思わないものは思わないという感情を
『母がどう思うか。』と最初に考えることを頭から外して、
自分の気持ちで言うようにしたいこと。
先日、歌の番組を見ているとき、私は半分眠くて、
母の言うことに対して、「はいはい、そうやね」と無意識的に答えていました。
すると、母の声がハイトーンになり、
こりゃ、私が反論しないから有頂天になっているんだと思いました。
そうなると、今度は、「そう、思わへん?」の連発で、うるさい!!
はるる♪様、今度、逆らってばかりと言われたら、
「そうやねえ、世の中にはいろんな考えの人がおあるから、
面白いんとちゃう?」と返してみては?
20代前半に、一度、前髪を切って、ショートヘアにしました。
その時は大変でした。来る日も来る日も、クソみそだし、
「アタシの言うことをきいていればいいの!!」と言われ続けました。
それが、懲りて母が存命のうちは前髪は切りません。
昆布、わかめを大量に食べたこと、今も忘れられません。
続きます~
書いておられましたね。
私もです。それに、たとえ、ユニクロで買ったポロシャツでも、
新しいものを着ると、何度も何度も、「これ、どうしたの?」と言います。
いちいち答えるのも面倒。
だから、今は洗いざらしのものばかり・・・。
そうだ、子供頃の洋服も、絶対、私に選ばせてくれませんでした。
「アナタには、これが似合うのよ。」でしたね。
人生いろいろ♪、介護もいろいろ♪、立ち位置もいろいろ♪
共通しているのは、「優しく接したい」と思う気持ち。
>年中無休の在宅介護では、優しく接するのは無理です。
そうなんです。思っているけれど、無理なんです。
でも、気持ちはあるんだと思うだけもいいかなと。
母への対応は、往診の先生が、ケアマネさんが、してくれればといいのに。
私は他力本願してしまいます。
そうではなく、当たって砕けろ!なんですね。
昨日からショートですか。
ゆっくり、しっかり、休養を取ってくださいね。
>「行かない」「やっかい者だからね」
はい、明日の午後、母はごねるでしょう。
毎回思うのは、「いつもご苦労様。アタシはお泊りしてくるから、身体を休めてね。」と
言えないのかなと。
言えないのが、認知症なんでしょうね。
私、明日は、女優になります(笑