今日はうんざりするような暑い一日でした。
月末の最終日曜日は、母のいる介護老人保健
施設(老健)では、一階のデイのフロアで、
ケーキと好きな飲み物を頂く日。
まだ、入所が浅いので、なるべくイベントが
あるときは、参加するようにしています。
まあ、ケーキだなんて、久しぶりだわ。
ここは広々としていていいわね。
出掛けてきて、よかったわ。
でも、それにしても、お年寄りばっかりよね。
はぁ、母よ、あなたもお年寄りですけれど?
三階に戻る前に、一階に居るので、外へ連れ
出すことにしました。
いつもの面会で、三階から一階へ降りて外へ
となると、帰れるものと思われるのではと、
アタクシは警戒してしてしまうのです。
丘の上にある施設は、竹林に囲まれており、
日陰の風は、湿気がなく、爽やかでした。
花壇の紫陽花を見て母が申しました。
うちにもあったわよね?
あー。今の家にはないのですが、否定もせず、
そうねとだけ答えておきました。
三階に戻ると、午後三時。
今日は、一階でケーキを頂いたのでお三時は
なし。
いつもならば、おやつをきっかけに、母を、
定位置のテーブルに連れて行き、帰るのです
が、さて、どうやってそれじゃあと切り出す
か迷いました。
アタシはこれから、何をするの?
何をするって、何もないんだけれど。
お夕食を頂いて、今日はここでお泊りや。
ここにいればいいのね。
テレビの見える壁際に車椅子の母を置いて、
そうや、明日からまた、歩く練習があるから、
頑張ってや。
4日後にまた来るから。
と言うと、母は黙って手を差し出しました。
じゃあねと母と握手すると、お隣にいた婆様が、
ニコッとアタクシに笑いかけ、「また、来てね。」
と手を差し出してくれました。
他人様ですが、「また、来てね。」と言われて、
切ない気持ちになりました。
施設の玄関を出た途端、ああ、終わった!と
義務を果たしたという気分になりました。
木曜日まで、行かなくてもいいんだと思う、
鬼娘でした。
コメント
コメント一覧 (14)
「認知症はいつから?」
私も実母の過去をずっ〜と振り返り
考えてます。
20年も前でも印象に残っている、ちぐはぐな、非常識な言動。
10年前からは、相談してくるわりに人の意見聞く耳もたずの意固地さ。
指摘すると、馬鹿を言えっ!と必ず怒鳴り、誰⁈と思う違和感。
70前の老人性鬱病が決定的と、今にして思います。
80で、通帳を無くしたと言っては、銀行に電話して行員を呼ぶ。
約束の曜日を忘れる。
…同居してなかったので、この後すぐ
訪ねて私が気づきました。
認知症になりやすいと言われている性格や環境には、あまり当てはまらない人です。
思い当たるとすると、
頭が堅い・運動嫌い・自己愛が強い・
他者依存型
反面教師です。
面会お疲れ様です。お母様、あまり激昂されることがなくなったのかしら?
施設に慣れてきたのでしょうか。
あんず様はご自分のペースは作れましたか?
毎日在宅で生活されていたころのピーンと張った精神状態は少し緩ませろことはできていますか?
これからどんどん暑くなり今年は猛暑になると言われています。
お身体ご自愛くださいね。
こんにちは 吐かせてね
私は認知症初期~中期あたりの実母とがっぷり四つの毎日です。
訳の分からないことを言う母に(認知症だからしょうがない)まともに絡んでしまいました。
言うことが半分まとも・・・でもどこか激しい思い込みをしている母についその思い込みを
解いてしまいたい衝動にかられてしまいます。
月曜の10時から1時間半「生き生き100歳体操」に参加しています。ヨガにも通っている私にはちょっと緩いですが母に通ってもらいたいために初めは一緒に行っていました。
でも母はすぐに挫折。ガンバルーンボールも購入してしまったので、私だけ今も通っています。先できっと成果は現れると信じて・・・・続きます。
正午すぎに母の家に顔を出しました。
ちょうど自分でパンを焼いて食事をしようとしているところでした。
私「あら昼ご飯?」
母「違う今が初めての食事よ。あんたは留守だったから」
私「私が留守するのと今頃朝ご飯になっているのと関係ないでしょ」
母はすこぶる機嫌が悪くて
「だって今日はどこの家も留守でひっそりしていて誰もいない」
と言います。母はたびたび「ひっそり」と言う言葉を使います。
「どこの家も誰もいないなんてそんなこと見えないしわからないでしょ」
母「2階の人はちょっと音がしたけれど その上も上もだれもいない。
みんなでかけている」
私「2階の音は聞こえてもその上や5階の人の音なんて聞こえるはずがないでしょ
家の中にいて」
母怒ったように
「私にはわかります!!!気配でわかる!!!誰もいない。
あんたらも夫婦でどこかに出かけていると思ってたわ。何も言わんと」
私「行くはず無いでしょ。私は昨日から100歳体操に朝のうちに行ってくるって言ってたでしょ」
母「そんなこと知らないわよ。朝起こしてくれたら良いのに」
私「集会所(徒歩1分)に100歳体操行くのまでいちいち今から行ってくるよと言わないといけないの?わかりました。これからはすぐ近くに出るのもいちいち、集会所行ってきます。コープに買い物に行ってきますって報告してから行けば良いのね!!!」・・・・続きます
私「何も変な天気じゃないわよ。ほら日が差して良い天気よ。それに子ども達は
昼間学校に行っているから、毎日ここらは静かなのあたりまえよ。なんで私ら夫婦が
勝手にどこかへ行っているって決めつけるのよ。そんなときは行ってきますって報告するわよ。夫婦で出かけるなんて月1回ぐらいよ。ついこの間行ってきたところでしょう。遠くに出かける時にはちゃんと行ってから出ますよ」
母はうちわでテーブルをバンバンたたいて癇癪を起こし
「ああ、私は勝手に電車に乗ってどこかへ出かけたるわ!!!」
と どうして話がそこへ飛ぶのかわかりませんでした。
「おかあさんの言うことわけがわからへんわ!!!」
と言って自分の家(徒歩3秒)に帰ってきました。この徒歩3秒の離れた空間は私には貴重です。
静かな家に1人でいると母は不穏になるのでしょう。そして「とりのこされ感」があるのでしょう。
それが「ひっそりしている」と言う言葉に表れます。
日に何度か母の家に行きますが
「あんたひっそりしていたね。どこかへ行ってたの?」
とよく言われます。
今日も散歩に誘おうと思って母の所に行ったのに話がおかしくなって計画はつぶれました。
きっと1人で家にいるのが淋しくて仕方が無かったのでしょう。
出かけたいけれど体がしんどくていうことが効かないもどかしさ。
昨日は散歩に出ましたが大して歩かないうちに「しんどい」とUターン
駅まで行き1人で電車に乗って出かけられるはずがないのに
よく「1人でも電車に乗って出かける。宝塚でも天王寺でも行ける」と言います。
どちらも電車で1時間かかる距離で乗り換えもあるところです。
母の願望でしょう。こうして冷静に分析できるのに 対面になるとまともに絡んでしまいます。また自己嫌悪です。そして母に対しても嫌悪感が残っています。
認知症の介護って・・、本当に疲れますねぇ・・神経すり減りますよねぇ。
「言うことが半分まとも・・・でもどこか激しい思い込みをしている母についその思い込みを
解いてしまいたい衝動にかられてしまいます。」
ニャンコ様、ハゲドウです。
出来るだけ受け入れるようになんて、実生活の中で全肯定なんてできませんよねぇ・・・。
家庭外の施設かどこかだと、他人事で「うん、うん、そうだよね。わかるよ。そうよね。」ってとにかく肯定ってこともその場、可能だけど家庭では、肯定してたら増長して大変なことになり、肯定により単なる安堵だけで済めばいいけど、肯定により本人思い込みしていきますもの、しいては介護する家族の生活はドミノですものねぇ。白雪姫の「鏡よ、鏡よ、鏡さん・・」みたいに認知症の人が大満足するような受け答え返すことができないのが現実の家庭生活ですよね・・。
ニャンコ様は、とくに別居と言ってもお隣と言う超近距離介護ですもの、いっそ、偶然その場目にしなきゃ心配も気にもしないで済むかもしれないこともイヤでも目に入るから心配も、苛立ちも倍増ですよね。そのストレスは大変なものだと思います。ほんと自己中な言動にお世話している方は辟易しますよねぇ。心も体もズタボロ(心ズタズタ、体ボロボロ)になりますよねぇ、それが毎日毎日繰り返される・・本当に同居やそれに等しいほどの近距離でがんばっている方もここにいっぱいいてあんず様のブログを見てその懸命な姿に頭が下がります。
人生の終盤期おだやかに良き老後、良き人生でできるだけ終わらせてやりたいと切に思い介護している家族の気持ちをわかってよぉ・・・ですよねぇ。(続く)
初めまして、お読みくださり、有難うございます。
>ちぐはぐな、非常識な言動。
そそ、あれ?と訝しく感じます。
意固地さ、そそ、頑固一徹。
「待つ」ことが出来ない。
相手を慮ることが出来なくなること。
しかし、元来の性格だったのでは?
と思うことが多々あります。
私も運動をしないので、気をつけねば。
まだまだ、自分のペースが掴めず、おかしなパターンになっています。
睡眠も浅く、在宅であったときのほうが、よく寝ています。
母は施設に馴れたというか、諦めの境地もあるようです。
お茶っ子様も無理をされないように。
母もよく似たことを言います。
>だって今日はどこの家も留守でひっそりしていて誰もいない
そそ、母は、夜、台所の窓からお隣さんの光が見えないと、
誰もいないと言います。
そのお宅は、二階がリビングなので、階下に光はないんです。
不安を感じるようです。
反対側の家にも同じことを言い、ニャンコ様同様に、「居るから」と
言っても、「いない」と言い張ります。
あの、認知症の思い込み、頑固さはなんあんでしょうね。
それが、母親だと、思い込みをなんとかしようとしてしまうんですよ。
ニャンコ様、だんだんと億劫がって、外出しなくなります。
続きます。
お天気のせいにするのは、「老化拒否型」だなんだそうですよ。
「何かうまくできないと物のせいにしたり、他人のせいにしたりして、
老いを認めないというものです。」
と、認知症患者担当の看護師さんが書いておられました。
電車に乗って、天王寺や宝塚へ行けると思い込んでいるのも、
「あたしゃ、老人とちゃう!!」という拒否感なんですね。
そして、「自慢型」というのもあるそうです。
「劇的ビフォーアフターって、番組を見て、
母は必ずこう言います。」
“これ前に見たやつだ!”
確かに再放送も多い番組ですが、新しい回のものもわたしは見た!と
知ったかぶるし、自慢します。
外食に行くと、どの店に入っても
“前にここに来たことあるよね?”
と言います。
わたしは初めから知っている、すでに体験済みと
いう自慢気な振る舞いをやたらするんですが、
実際は初めてだし、未体験なんですよね。
自慢気な振る舞いをすることで、
自尊心を保とうとしているのかもしれません。」
母もよく、テレビを見ながら、最近出来たレストランを、
「アタシは、昔よく行ったわ。」と、言ってました。
私は、「一年前に開店した店で、昔はなかった。」と
母を貶していました。
その看護師さんが、言ってます。
「今日も、しれっと、しれっと」
先日、施設で、他人様から、エンドレストークを受けて、何度も、うなづいて、お付き合いをしました。これが、母だったら、短気な私は、「何回も聞いた!」とぶった切りますね。母親だから、「しっかりして!!」という気持ちが先で、認知症の症状だからと容認する気にならないんですね。そそ、ひろちゃん様のおっしゃる通り、「増長する」ことを考えてしまいますね。施設に入所させてみて、家族だから、出来ないことが多いと実感しました。そそ、ニャンコ様は、なんとかニャン母様の気持ちを持ち上げて、散歩に誘って、体力をつけて、と努力されていますね。私は、途中から、外出拒否する母を放り出しました。いいや、どうでも、という気持ちでした。もし将来、時間が出来たら、エンドレストークにお付き合いして、介護をする皆様にお茶することが出来るようにしたいです。他人には付き合えると習得しましたから。
ニャン母様、はるる♪母様のように、絶対、デイへ行かないという高齢者には、ケアマネや福祉関係が、ケサカ婆様のように、強制的に連れ出すということをやって欲しいです。家族には、あの施設長さんのような、行かせる気分にさせる方法がありません。母のケアマネは、「私が言うと反感を持って、ますます、行かないと意固地になる。」と言われて、私は苦労しました。プライバシーがどうの、認知症でも権限があるとか、そういうことを言うから、介護殺人が起こるんですよ。「地理的距離置くことも時間的距離置くことも心理的距離も置く」そのためには、引っ剥がしても、デイへ行かせるという強行手段をして欲しい。もっと、ケアマネも、考えて欲しい。