同じことを繰り返し尋ねる。その理由は?

記憶力の低下である。

確かに、記憶力の低下があるのかもしれない
けれども、それが本当の原因、あるいは原因の
大部分なのでしょうか。

逆に、記憶力の低下があっても、同じことを
繰り返し尋ねる、ことをしない人が大勢います。

つまり、

「同じことを繰り返し尋ねる」=「記憶力の
低下がある」ほどには、強い結びつきはない、
ということです。

私は、その原因として、よく「不安」を取り
上げます。

記憶力の低下を自覚することはできません。
なぜなら、「記憶がないこと」を振り返ること
ができないからです。

痛みは、痛い自分を振り返ることできるから、
リアルにそこに問題があるのだ、と認識でき
ます。
でも、記憶力の低下はちがう。

(中略)

記憶できなかったことを振り返ることはでき
ないけれど、

「えっ、おかあさん、さっき言ったよ。」の
ように、ちょっと心に負担を生じるような周囲
の言葉を覚えていたりする。
そういった記憶の集積がある。

さらには、しばしばメディアや専門家(私も
そうなので、自戒の念を込めてですが、)等の、
プロの意見としての「認知症の世界」が、
別世界にあるかのように、
しかも、悪い世界観で語られるような世界と
して、無意識に喧伝(けんでん)される。

(中略)

間接的に記憶力の低下を自覚する自分と世間の
悪いイメージをもとにして、自ら集積した知識
から見える自分が重なり合う。

ここで不安を感じない人はいないでしょう。

我慢できず、失敗を恐れ、なんども確認したく
なる。

地獄の苦しみに近いものがあるのかもしれません。

ある人は、そういう自分を、あきらめもある
のかもしれないけれど、受け入れる。

(まだ、続きますが)

YOMIURI ONLINE  YomiDr.
木之下徹の認知症とともにより良く生きる
「繰り返し尋ねる」   より


アタシってトンチンカンだから。

この頃、母は自分のことをこう表現します。

認知症初期の頃、なんとかデイやショートへ
行かせようと、アタクシ自身が癌患者という
ストーリーを創作し、治療のために病院へ、
行くからと理由をこじつけました。

それでも、頑として、嫌だと行かないと申し
ました。

アタクシも、頭にきて、

アータはさ!、認知症や。
認知症の患者を一人にしておくわけにいかんの!

と母に、はっきり言ったこともありました。

このアタクシの言葉を聞いた母は、

なんで、アタシが認知症なのよっ!!
そのときの母の顔は、目が吊り上り、鼻先で
笑う、まるで悪魔のような表情でした。

今、思えば、木之下先生が書いておられる、

「認知症の世界」が悪い世界観で語られていて、
そうなった自分を受け入れたくなかった、という
ことだったのでしょう。

しかし、現在は自ら受け入れてしまっています。


木之下先生は、

目の前の「認知症の症状に対して……」では
なく、老いという変化と、どう、よりよく付き
合うのか。

ひとところで同じ姿で同じ人はいない。
要はどうより良く生きるか。


と、最後に語られています。


在宅介護から解放された分、母がこの先、どう、
より良く生きるか、をアタクシも見守らねば
ならないということでしょうか。

003

我が家の梅がやっと咲き出しました。

明日は、面会に行ってきます。

来週は介護認定更新手続きの面談があります。

また、外面よしこちゃん、全開でしょう。