さて、皆様、宴もたけなわではございますがぁ
とか、
さぁ、帰ろう!!
など、午後5時、リハビリの終了時間になると、
一階のホールに集まっている入所者さん達に
声をかける作業療養士さんのYさん。
その場を明るく賑やかにしてくれることは、
さすがはプロだと存じます。
リハビリと言っても、集まってきた数名が、
それぞれ、好き勝手なことやっております。
例えば、猫の佑介クンのお母さんはアイデアを
沢山お持ちの方です。
先日のひな祭りのときは、吊るし雛を提案。
簡単に出来るようにと、あらかじめ、パーツを
作っておいて下さいました。
普段は、施設内で使うようにと箸袋や箸置き、
爪楊枝入れを折り紙で作っておられます。
編み物が得意なOさんは、普段、編み物を。
しかし、イベントの作品作りには芸術的発想を
お持ちの方。
で、母はというと、毎回、言い切ります。
アタシは、何もしないわよっ!
折り紙も、編み物も、イベントの作品作りも
しません。
そこで、いつも塗り絵をしております。
気がのれば、30分は塗っていますが、ダメな
場合は10分ほどで、
アタシ、帰りたい!
アタクシにしてみれば、ユニットにずっといる
より、たまには、違うユニットにいる人と会う
のも気分転換になるかと思いまして・・・。
10分でも、その場にいて、皆さんがやっている
ことをみればと連れ出しています。
昨日は、10分でユニットに戻りました。
作業療養士のYさんが、母が塗っている桃の
絵を見て、
みっちゃんさん、美味しそうですね。
あたしみたいでしょ?、あ、違うっか?!
と、母の気分を盛り上げてくれました。
母も、それに対しては、
あら、そう?。貴女も素敵よ。
外面ヨシコさんを発揮しました。
ユニットに母を連れていくと、残りの時間は
アタクシ自身が、リハビリに参加。
何分、不器用なアタクシ、すると、Yさん、
あんずさんのおかげで、あたしも平気でここで、
物が作れます~
Yさんも不器用な部類なもので、佑介クンの
お母さんから、
アンタは、もうっ!
と言われているからです。
アタクシには、楽しい一時でもあります。
この頃は、母をユニットに連れて行った時点で、
面会は終了しておりますもので、安堵感もある
からでしょうか。
リハビリで、ここに来て、母をユニットに
戻すとほっとするんですよ。
施設のスタッフの皆さんには、頭が下がります。
すると、Yさんから言われました。
いやいや、ご家族の皆さんのほうが大変です。
私達は仕事ですから。
気遣いはご家族のほうが大変ですよ。
有難うございます。
そう言って頂けると心のモヤモヤが少し晴れる
気分がします。
と、言いながら、頭を過る言葉があります。
ブログに介護友からのコメント。
介護って自己満足と、友人から言われたという
こと。
コメント
コメント一覧 (10)
ちょっと休憩してもらって
手を合わせてせっせっせと
♪もしもし亀よかめさんよと3番まで歌って手遊びをしてました。
ばばはもしもし亀よしかしりませんので
私が♪せんろは続くよとかにじいろとかなだそうそうとか
いろいろ歌います。
尿漏れもしなくなったみたいでこの頃においません。
気づいたときにばばいってるみたいです。
あんず様ブログの話をのせてしまいました。忙しいのでごめんなさいね。
お母様ぬりえも続かないんですね。
ばばはデーの日にち忘れてもサブトンは編めますね。
サブトン編んどくからだれかきたらひいたげてといつもいってます。
介護査定にきた男性にあげてしまっています。
今日は編み物ばかりするので手遊びをしてました。
なだそうそうはばばのお気に入りなので歌ってあげてます。
介護は自己満足という介護友達の ご友人のお言葉が 心に引っかかりました。
私も 以前は 自己満足だと思っておりましたが、 介護は やってもやっても 満足することなんて ないと 感じているこの頃です。
最後まで娘と暮らし、自宅で最後を迎えると信じていた母にとって 今の施設での時間は理解出来ないことです。
自宅で介護していた時は、満足とは ほど遠く、毎日が母との 戦いでした。
施設に入ってからも、後ろめたさとの 小さな戦いが 続いています。
物理的な大変さに比べたら、今はどれだけ楽なことかと 施設のスタッフの 方々には感謝しております。
しかし、面会に 行く度に帰りたいと言う母を見ていると 逃げ出したい気持ちで いっぱいになります。
どうすれば 母に 穏やかな時間を過ごして貰えるのかと 悩む日々です。
そんな時、あんず様の ブログを拝見すると なぜか ほっとする私です。
これからも 宜しくお願いします。
お母様の所は、各々が自分の好きな事をリハビリとしてやられるのですね。
お母様の塗り絵、陰影がついていて、お上手だと思います。
母の所も、塗り絵をするリハがあるのですが、「こんなの、やりたくない!」と言って拒否し、まっさらの状態の絵⁈が飾られています(笑)。というか、全ての作業を、やりたくないと。
ただ、外部からのミニ演奏会やらイベントは、嫌がらずに参加しているようです。見るのは良いけど、自分が何かしなきゃいけないのは嫌だという事ですね。
家族しか接触しない在宅より、施設で単調な生活だけども、程よい刺激を受けながら過ごせているということは、良かったのかもしれません。
でも、やはり皆様が仰るように、後ろめたさだけは、どんなに面会に通ったとしても、消えない‥‥。頭から離れない‥‥。
親の為に、自分達が後悔しない為に、一生懸命尽くし、よりよい道を見つけ行動したとしても、悔いって何かしら残るような気がします。結局、どの道を選んだとしても。
やってもやっても終わりがない家事のように。
落としどころをどこに持っていくか、ですかね。
介護は自己満足 いまのくまには当てはまります
くまにとっては くま母のため ではなく くまの気が済むか済まないか 施設面会をするかしないか・・・ したくないけどしなくちゃいけない ねばならない
知人が 頻繁に面会にいくと 職員さんに「ほかの方が嫉妬するから控えてほしい」といわれたとのこと・・・・、むっちゃ憧れるわ くまもそう言ってほしい(行けない理由ができるものんね) とはいえ わが親が少しづつ でも確実に 弱っていくのを見るのはつらいね
年は取りたくないけど くまははを看取るのが 最後の大仕事だわ
みなみなさま 心も体もしっかり充電してね
ぎゅぎゅっとはぐ やさしくなでなで 大きな手で包み込んでよしよし 送るね
初めてコメントさせていただきます。
七年間、私の母を自宅介護していましたが、先日特養に入所させました。
96才、要介護4,自宅介護が限界に来ていて、仕方がなかったと自分では納得
出来なくて、施設に順応出来ない母をみて、胸がつぶれる思いでいます。
あんず様のブログを見て、同じ思いの方がおられると、なぐさめられます。
ちょっと休憩をして貰うのに、せっせっせをする、
いいアイデアですよね~。
それにちゃんとお付き合いをするもも様はえらい!!
ばば様が「○○ちゃんがいいねん、○○ちゃんが好きやねん」と
おっしゃる気持ちが痛いように伝わります。
持病や更年期、身体が辛いことでしょう。
でも、ばば様を気にして差し上げているもも様、ほんまに優しい。
ばば様がザブトンを編めるのも、もも様がおられるからではないですか。
きっと102歳まで生きられることでしょう。
いつも、ブログを見て頂き感謝です。
yoko様も私と一緒ですね。
介護をしている殆どの人が感じていることなんですね。
「最後まで娘と暮らし、自宅で最後を迎えると信じていた母にとって
今の施設での時間は理解出来ないこと」
母も同じように思っていることでしょう。
入所して2年にして、私が面会に来たことを瞬間に忘れるようになりました。
それまでは、一緒に帰ると言ってききませんでした。
今は、母の部屋からリビングへ行くと、母は、私のことを忘れてしまいます。
だから、じゃあねと言わず、スタッフに目配せをしてユニットを出ることが
出来るようになりました。
きっと、yoko様のお母様もそうなります。
そうなるとちょっとほっとしますよ。
次第にすっかり、私のことを忘れてしまうんでしょうね。
覚悟をしているつもりです。
うちの母は、はるはる様のお母様とは別に、外部からの演奏会、イベントへの参加は嫌がります。
でも、私が一緒にというと参加するんですが。
何かするのが嫌というか、なんせ、一緒がいいという、ベッタリ感・・・。
在宅介護をしたら、このベッタリ感はもっとひどいものになっていたでしょう。
だから、施設へ。だから、それでよかった。
そう思うことにします。
「どんなに面会に通ったとしても、消えない‥‥。頭から離れない‥‥。」
そそ、これ!
一週間ほど、面会に行かなければどうだろうかと考えるときもあります。
しかし、気になって仕方ない状態になるのはわかっています。
こうやって、過ごしていくんですよね・・・
同じくです!!
「くま母のため ではなく くまの気が済むか済まないか」
この冬、「インフルのために面会に来ないで下さい。」と言われたいいのにと
思いつつ、面会へ行った鬼娘です。
私の都合ではなく、施設の都合であれば、理由がつくのでね。
そそ、看取ることが仕事、私に与えられたこと。
これを全うするほかない、
毎回、そんな思いで面会に行ってます。
くま様、有難う
初めまして、ブログを見て下さり感謝です。
入所させて2年になりますが、やはり、リビングのテーブルの前に
ポツンと座って、テレビを見ている母を見るたびに、
同じく、胸がつぶれます。
すぐには、順応できませんが、慣れるというか、諦めるというか、
落ち着かれる時期がきます。
それでも、これでよかったのかと自問自答するときもあります。
きっと、母をあの世に送るまで、否、送っても思うのかと
ゾッとする思いもあるのです。
お互いに頑張るほか、ないですねぇ。