アナタが帰る前に、アタシ、トイレへ行って
おくわ。
おっかさん、トイレへ行くって、そこにある
ポータブルでなんやけど・・・。
スタッフさんによると、本人がベットの上を
いざって、後方にあるポータブルを目指すので
そばで、見守って、座るのを待つそうなのです。
取りあえず、来て貰いました。
スタッフさんと二人、さぁ、トイレへどうぞ、
と示しましたら、母が申しました。
アナタ!、アタシは膝が痛いのっ。
パンツを下ろせないのが、わからないのっ!
と、お怒りモード。
スタッフさんが手を貸すと
アラ、先生に言ったんじゃあないのよ。
娘に言ったのよ。
あの子、何をやってるの?
それを聞いて、またまた、昔の悪夢が蘇って
きました。
大腿骨を骨折したときの入院先で、同じような
光景があったことを・・・。
そこで、過去のブログを記事を探してみました。
オシッコ!と叫ぶ母
いやいや、なんと、同じパターンで始まって
おり、恐ろしや・・・。
つまり、母にとっては、オシモのお世話は娘が
やるものと・・・。
おっかさん、
あたし、オシモの世話はしないので。
ここ数日の関東地方のの気温は11月の頃とか。
慌てて、セーターやフリースを出しました。
しかし、来週は29℃の日もありそうです。
その上、またまた、台風が列島を横断するん
ですね。
被害が少なくて済みますように・・・。
コメント
コメント一覧 (10)
この手のブログ ちゃんと読んでいるととても役に立ちます ホイ!
以前は 「まだ先」 とか 「困るだろうなあ」 はい 上から目線!!
それでも 読んでおいて あんず様がご自身の気持ちを綴ってくださって 助かりました。
が・・ わが自分のことになると どうなのかなあ 怖いわ くま
あんず様はお母さまだいぶひざの調子がよくなってきたんですね。
ばばはショートステイに体験お泊りするのよというとデーの友達もおらんし家でおりたいとだだをこねますこまったばばさんです。
母が病気にでもなったらショートステイにいってもらわないといけませんね。
ばばは私家事するっていうけどなんにもできないのにははがいない日おしっこたればばおいておかれたら私が困ります。
お母様、お元気ですね。
女は、強いし、元気。私も、女だけど(笑)
今日は、入院の手続きし、顔見て帰る予定が、外来の廊下に父が居ました。
体が痛い、痛いって……
検査の結果、左足の血管がつまってるとか。
治療して、血管が、流れなければ、手術……
そうなった時、やるか?ヤらないか?
決められないです
特養に居る時から、痛い、痛いと、診察受けてたのに、、骨に異常ないから…で、終わり…早くに、検査してくれてたら……
特養の看護師も、痛い、痛いって、でも、骨には、異常ないからね~何でかな~?って……今更ですが、父に申し訳ないです。
通院の付き添いで、特養に戻った時、
薬など、看護師に渡した時、看護師と、相談員の二人で、足の痛みは、どうする?入院になりそうだから、任せよう、そうねって会話を聞いて、、
悲しくなりました。
父に謝るしか、できません
あんず様、話し聞いて頂き、ありがとうございます。
明日は、早く起き、雨が、降る前に、オムツ、届けて来ます❗
お母様の痛みが早くなくなりますように。
私もおしものお世話はいたしません。
施設にいる姑は、普段は一人でトイレに行くのに、私と夫が行くと、トイレに連れていけというようになります。私は、自分でいけるよね?と断っていますが、夫はつい手伝ってしまい、それからトイレ係になり、更に召使いのようにいろいろ命令されています。まあ面会の時だけだから頑張ってと励ましてます。
同じ話を何百回も聞いて、ウチにかえる!というのを、まだ歩けないから暫くここで世話になってましょ、という係は私です。夫はまだそのごまかしがうまくできません。
あんず様、衣笠十字路からバスに乗っているんですね?月に一度位行きます、衣笠十字路。でも地下道で交差点を渡ろうとすると必ず間違えてしまいます。
更新楽しみにしてます。よろしくお願いいたします。
コメント返しが遅くなってしまいました。
在宅介護では、オシモの世話は当たり前なんですが・・・。
母は、たぶん、死ぬまで、私がやるものと思っていることでしょう。
リハパンを履かせるくらいと思われるかもしれませんが、
それをやれば、それが当たり前になり、それ以上のこともやるんだと
思われてしまう・・・。
とても、複雑な気持ちです・・・。
台風24号は、関西より関東のほうがすごかったようです。
関西の友人から、修理中の屋根も事なきを得たとメールがきました。
風の音で眠れませんでした。
色んなお薬を飲んでいるから、だるいし、しんどいことでしょう。
ショートも結局は、嫌々ながら、ばば様は行ってくれると思います。
私もカルピスが好きです。
子供のころ、お中元お歳暮であの瓶(昔はビール瓶ほどのものがあった)で
貰うと嬉しかったです。
ご無理をされませんように。
お父様の症状をググってみました。
閉塞性動脈硬化症と言われるものなんですね。
歩く→痛む→休む、ただ、脚が痛いだけと思いきや、
最後は、歩いていないときも痛みが出る。
「脚だけでなく、脳や心臓などの血管にも動脈硬化が及んでいる」
怖い病気だったのですね。
短い間でも、お父様が笑顔でグループホームで暮らせたこと、
お父様は、たまのママ様に感謝されていると思います。
否、そう思って下さい。
そうでないと、介護の意味がありませんもの。
でも、わかります。
私も施設側には、「母の寿命」と言いつつも、
なんで、早く、部屋に行ってくれなかったのかと
思っていました。
コメント返しが遅くなり、タイムラグになってしまいました。
ごめんなさい。
コメント返しが遅くなりました。
やっぱりねえ。なんで、「トイレに連れていけ」と言い、
スタッフに頼むと、娘なのにと私を睨みます。
先日、トイレへ行きたいと言い出して、スタッフを呼びに行くと、
二人とも、食事の介助中でした。
エプロンを外して、ゴム手袋を外して、母の面倒を看る・・・
それではと思い、トイレを手助けしました。
ベットの上をいざりながら、ポータブルへ移る・・・
リハパンを下ろすのと、終わってから、履かせるだけ。
腰を浮かせることも出来るので、私がやりました。
なーんて、偉そうにいえませんが。
そそ、「いつ帰れるの?」と聞かれて、歩けるようになったらと
私も答えています。
衣笠十字路の地下道、まだ、通ったことがありません。
実は、十字路の端を、チャチャッと横断しています・・・。
先日の関西方面を直撃した台風のときは、お母様は関東にお暮しだったのですね。この台風24号の暴風は夜中でしたが、眠れませんでした。そのときは、関西にいらして、よかったです。「不満があれば叫んだり、人格が変わってしまいました。」7そうなんですよね、理性という蓋で押さえていたのか?と思うほどの変貌だと思います。食べ方もわからないというのは、認知症の後期ですね。母を抜いて進行されましたね。そそ、だんだん、食べることを拒否していく・・・。介護友の方が、ブログに「父も母も、とても細い命の綱で、この世と繋がっていると思う。」と書かれているのをみると、いずれは、そういう覚悟をしなくてはならないのだと私自身に言い聞かせています。食事の介助は、スタッフにとっては、助かるようです。母は私が一緒だと、私に食べろと勧め、どういうわけか、食事を残そうとするので、食事時前に帰ってしまいます。穏やかに最期を迎えて欲しいと思うこの頃です。