親が命にかかわるような不調を訴えたとき、
どのように感じて、どういう行動をしたっけ。

介護友の方から頂いたコメントを読んでいて、
「後悔しないために」何かをしたかを考えて
みました。


母は70代後半から、やれ、脱水症だ、大腸菌に
よる感染症だと、救急車を呼んだり、病院へ
担ぎ込んだりすることが多ございました。

その都度、短期の入院で済んできました。

87歳のときの誤嚥性肺炎では、2ヶ月の入院。

このときは、重篤な状態で、危なかったと、
退院するときに言われて、びっくり。

入院中に、80歳の初め頃からしきりと、訴えて
いた乳房のしこりが、ガンだとわかりました。

2ヶ月後の退院の際に、主治医から言われました。

お年が87歳ですし、ガンの進行より、感染症に
罹る方が可能性が高いです。
それに、心臓があまりよくないのに、麻酔を
かけるとが命取りになります。


しかし、しこりはだんだんと大きくなり、まず、
認知症のために、母はこれは何?と四六時中、
言うようになりました。

一応、乳腺外科でマンモグラフィーで診て貰い
ました。

すると、ガンはピンポン玉の大きさで数ヶ月で
皮膚を破る状態だとのこと。

そこで、切除を頼んだところ、内科の主治医が
許可したらということでした。

診断結果を元に主治医に切除を頼んだところ、
やはり、高齢を理由で勧めないと言われました。

アータがさぁ、感染症で亡くなる可能性が高い
って言ったから、そのままにしてたんやない!


このとき、母は89歳。
手術は、90歳の誕生日の2日前でした。

ご近所でも、糖尿病で壊疽した足の切断手術で、
麻酔をかけた途端に亡くなったというお婆さん
のことを聞いていました。

主治医は、生検も麻酔をかけることになるから
しないとのこと。

アタクシは考え込みました。

皮膚を破ってガン細胞が出てくるままにして、
介護を続けるのか。

命を落とすという麻酔をかけること、成功する
としても、認知症も進行するとのこと。

母の命もアタクシが握っているんだと切実に
思いました。


そこは、鬼娘のアタクシでございました。

在宅介護をするのに、ガン細胞の始末を毎日
しながらは、勘弁してやという気持ちが強く
なりました。

絶対に手術をしないという東大病院には失望
しました。

地域提携医にも相談し、近所の病院を調べ、
とにかく、家から歩いて行かれる都立病院を
選びました。

その乳腺外科の先生の一言で決めました。

僕は、患者さんが100歳でも、90歳でも、
ガンならば、切る。


必死で考えて、調べて、聞いて、迷って・・・。

後悔しないためなんだと思いつつ、しかし、
アタクシ自身の生活が一番でした。

そのとき、そのときに決める、それが母のため、
だけでもなく、自分の生活も考えのうち。

これからも、同じように、そのときの状況に
応じて決めるんだなと思います。

014


今日、午後に停電がありました。

テレビがプッツリと切れて、あれ?どうした?

ブレーカーも落ちていないし・・・。

崖下の老人ホームで「停電だ。」と大きな声が
聞こえました。

スマホで調べると停電中とのこと。

でも、下の施設の声が聞こえないければ、不安
だったかも。