2025年の国際博覧会(万博)の開催が大阪市に
決まったというニュースが流れました。

万博というと、1970年の大阪万博を思い出し
ます。

当時15歳のアタクシは、宝塚市に住んでおり、
実際にも行きました。

2025年となると、アタクシは70歳。
大病をしない限りは、存命していることで
しょう。

今から7年後、となると、ひょっとして、母も
生きているかもしれません。


認知症の母は、「死ぬ」ということを忘れて
いるような気がします。

むしろ、アタクシは、死後はどないなるんや、
とか、現在の意識は臨終のときには、どんな
感じになるんや?と考えてしまうことが多く
なりました。

母も認知症初期の頃は、死への恐怖感があり、
アタクシに言っていました。

死ぬのが怖いから、アナタ、一緒にきてよね。

今は、そういうことを口にしなくなりました。

アタクシが、死後を考えるようなったという
ことは、認知症初期には母と同じようなことを
口走るかもと、ゾッとしますが。


母は直近の記憶がなくなりましたが、現在と
過去の区別は、まだ少しあります。

しかし、認知症が進行すれば、言葉の意味も
わからなくなり、日常のストレスも、もっと
なくなってくるでしょう。

その日、その時、その瞬間を楽しいと思う、
刹那を生きるようになるのかもしれません。

そうなれば、もっと、死は遠いものになるので
しょうね。

認知症になる前に母は言っていました。
延命しなくてもいいから、息が出来ない苦痛と
痛みだけは感じさせないでね。


認知症は神様の贈り物という人もいるようです。

まさか、痛みや苦痛もなくなるのでしょうか。

どうも、事故で死なない限り、脳は、できる
だけ快適な死を迎えようとするようです。

IMG_0299


還暦を越えると、今までやってきた人生よりも
先の人生の方が短いのだとわかりました。

当たり前ですが・・・・。