また、在宅医療の奨励する番組かと思いつつも、
見てしまいました。
「人生の最期をわが家で」は多くの人の願いだ。
国も医療費抑制などのため在宅医療を推奨し、
増えていく見込みの自宅での死。
しかし、現実には介護する家族の高齢化や疲弊、
貧困などさまざまな問題が立ちはだかる。
そんな現場に身をおく80歳の老医師がいる。
埼玉県新座市の堀ノ内病院の小堀?一郎さんだ。
森鴎外の孫で、かつては東大病院の外科医と
して活躍した老医師が、最後にたどり着いた
のが“死に際の医療”を地域で行う、在宅医
だった。
死の床にある患者と同世代、いわば“老老医療”
である。
患者にかける言葉は友人同士のようであり、
時にハッとするほど厳しく、時に深く共感し
つつ、等身大で向き合う。
その人らしい最期の時間を患者や家族たちと
話し合いながら作っていく。
二家族のケースが紹介されていました。
盲目のお嬢さんが、父親を在宅介護し、その
医療を小堀医師が見守る。
そのお嬢さんの声掛けや話し方が、優しくて
穏やか。
なんでやのん?と鬼娘は思いました。
もう一つは、103歳の母親を介護する70歳代の
息子夫婦。
番組の最初は、認知症を発症していないクリアな
老女でした。
ところが、認知症ともなるとやはり、表情も
変わってきたのがわかりました。
老夫婦には、辛い介護となり、施設入所を
決心しました。
それを、小堀医師が、母親を説得していました。
家族だって、温泉に行きたいときもあるよね。
と言う小堀医師。
息子夫婦が、しんどいことも分かっている、
だから、一人でここで留守番をしているから、
ゆっくりしてくればいいと、どこかで聞いた
ような言い方をする母親。
いやいや、一人で大丈夫だろうけれど、家族は、
留守番をしていると思いつつ、旅先でゆっくり
出来ると思う?
家族の心情なんだよ。それを考えてみようよ。
何度も、一人で出来ると言い張っていた母親は、
最後は、小堀医師に頷きました。
母親は、「今日はデイセンターへ」と言われて、
お迎えの車に乗り、施設へと行きました。
だから、こういう話を、アタクシが母にする
のではなく、立ち場のある日人にして欲しかった。
話しをして下さる方もいるんだと羨ましい
気持ちが致しました。
コメント
コメント一覧 (8)
昨日の面会は伯母の体調不良で延期になりました。気使わなくよくなってホットしました。
面会回数は私は月1~2と決めて、お昼の食事介助して、これから暖かくなったら、屋上に散歩して、時間つぶします。
月1の面会も疲れます
そろそろ、春物も、用意しなくては……ですね。毎回、来年もやるのか……考えます
父の特養は看取りしません。看取りOKの特養は少なく、待機人数も多く諦めました。最後は自宅でと思いますが、病院か朝見たら……にして欲しいです。
医者も色々ですね
上から目線、認知症だから、まともに診察してくれない医者もいました
主治医が休みの日、知らずに行き、有名大学の教授の日でした
頭がモヤモヤすると言ってますと、ディの方から言われて行ったら、皆そうなる
問題なし、と
脳梗塞やってるし、血圧も最近高いけど大丈夫ですか?確認しましたが、怒り出した父を見て、ほらね、すぐこうなる、ケアマネと相談して施設探せと言われました
父が怒ったのは、看護師が後ろから父のコートをぬがそうとしたからです。
後日、TVに出てるのを見て、皆騙せるなって思いました
あの日は、帰り父と手をつなぎ、歩いて帰りましたが、泣きそうになりました
父が可哀想でした
もし、父を在宅看取りするなら、良い先生を探さないとですね……。
やっぱり、朝見たら……に、して欲しいです。
お母様の特養の番組見ました。
雄介君可愛いかったです。
猫飼いたくなってしまいました。
ありがとうございます
私もあの番組を見ていました。NHKの大往生。
私が感じたのは、認知症になりさえしなければ自宅で穏やかな死を迎えることも可能なのだなということ。あの全盲の娘を思いやる老父の死がそれでした。彼は最期まで、寝たきりでも娘を案じる父だった。全盲の娘の作ったうどんを介助されることもなく食べていたあの姿に涙が出ました。
一方で103歳まで正常だったのに最後の最後で認知症になった老母は老いた息子夫婦に悔恨を残す結果となった。つくづく認知症とは厄介な病だと思いました。
母の認知症が絶好調になってきた頃、二代目ケアマネが突然現れました。私が何もしてくれない初代ケアマネとイガイガになっていたからでしょう。彼女は30代半ばでしたが、初回の面談で「お母さんは否定的発言の連発ですね。あれでは娘さんの言うことは聞かないだろうから私がお母さんの懐に飛び込んで何とかします」と言ってくれました。それから訪問の度に禁止されている茶菓の接待をし、二代目女史はお茶をしながら「お母さん、美味しいねぇ」とまるで親戚の子のように母の懐に飛び込んで信頼を勝ち取りました。
母がデイサービスに行ったのも二代目女史のおかげ。ショートステイを拒否した母をお泊りデイサービスに行かせてくれたのも二代目女史。「〇〇病院の最上階には老健があるから、次に救急搬送を頼む時には〇〇病院を指定しなさい」と一歩も二歩も先を見て悪知恵を囁いてくれたのも二代目女史。彼女は私の恩人です。
二代目女史のモットーは「介護は家族だけではできない」ということ。彼女はケアマネとして超えてはいけない一線を越えてでも私と母に寄り添ってくれたのだと思います。母はともかく、私にとっては最上の戦友でした。
認知症の老人は殆どの場合、家族の言うことには従わないと思います。その間に入って盾になってくれる医師やケアマネがもっと増えてくれればと強く思います。
うちの父は病院嫌いで、たまたま病院に行って、高血糖だと言われて教育入院もしましたが、その後は病院にもかからず薬も飲まず。
しもが弛くなったりの症状はありましたが、男だったこともあり普通に生活して、85歳のときに、ふらふらと座りこんだので、これはおかしいと病院に行ったら、超末期の癌で、
病院から紹介されて在宅医療を選び、それでも一年数ヵ月自宅で過ごして、自宅で亡くなりました。
時々高熱を出しても食欲だけは衰えず、普通はダイニングまで一人で移動してご飯を食べ、あまり痛がらず、
亡くなる2週間前くらいから元気がなくなりましたが、最後も眠るように亡くなりました。
こういう介護なら、家族もそんなに苦痛はないんです。
問題は認知症です。
身体が元気な分、進むにつれて人格も変わりますし、なのに自分は正常だと思っているわけで、ご近所の他人様が施設に行った等と聞けば、まるで自分には関係ないように、その家族の悪口を言ってみたり…
気遣いなどとは無縁になっていきますよね。
同じ介護でひとくくりにして良いものか?
そのお医者様はとても立派な方だと思いますが、うちの母なら医者の話などきかないと思います。
結局は家族が何とかするしかないんだと思うのですが…
そのご家族もお辛かったでしょうね。
明日は我が身ですから。
でもその方たちもきっと、正常なときには子供に同じ思いをさせたくないから、自分達はすすんで施設に入ろうと思っているのでしょうが、いざ認知症になってしまったら、あんず様のお母様やうちの母と同じ事を言うんだろうなと想像します。
なので私はそれを見据えて、娘には、認知になって私が施設入所を拒否しても、罪悪感を持たずに施設にいれてくれるようにと常々話しています。
本当に、明日は我が身。
伯母様との面会が流れてホッとするお気持ち、よくわかります。
面会に他の人がくると、取り繕う母は、私の顔を窺い、
思い出せない場合は私に間を取り持てという表情をします。
ほんまに疲れます。
母の春用のズボンを先日、ネットで注文しました。
夏用のパジャマも考えなくては。結構、洗濯するので、すぐに
ヨレヨレになりますものね。
お父様の特養は看取りをしないのですか?
母のところはするので、書類ではお願いしてあります。
私も母の最期は、おっしゃる通り、「朝見たら・・・」で
あって欲しいと思います。
亡き父には、そういう最期にしてくれと頼んでいます。
ゆうすけは可愛いですよ。
小さな枕を人間が使うようにしているので、まるで、
おじさんです(笑
私のひがみでしょうか。全盲の娘が一人で介護は無理なのに、
あの内容だとそれが出来るかのようです。
実際は、ヘルパーさんが定期的にくるのでしょうけれど。
障害があっても出来るのだから、在宅をやれ!と
国は奨励しているんだと。
そういう場面も取材して欲しい。
103歳まで、認知症でなかったことにはびっくりですね。
それに、認知症になると、全く顔つきが変わるんだと思いました。
在宅で最期を迎えたケースと、施設入所になって最後は病院ということ。
二つのケースがあって、私の僻みも半分ですけれど。
二代目女史のように、介護家族の立場になって接してくれる
ケアマネ。羨ましい限りです。
103歳の母親に老医師が、「家族の心情を考えなさい。」と諭している
のをみて、母にも言って欲しかったです。
地域包括センターも、ケアマネも、在宅介護中は私には、
何の役にも立たなかった。
福童様の提案のように、認知症患者と家族の間に入って、
盾になってくれる医師やケアマネの存在。
大事だと思います。
男性には病院にかからず、薬も飲まずという人が多いですよね。
知人にもいました。そそ、やはり、80+α歳で心筋梗塞でした。
買い物に出た妻に「苦しい」と電話を入れて、亡くなったのだそうです。
羨ましいことですが、ロコ様のお父様のケースは稀ですよね。
お母様はご家族以外は無理なんですね。
母は権威には弱いので、医師が言えば聞くのですが。
家に来てくれていた医師には言われていたものの、
行く前日になると、そんなことすっかり忘れて、
暴言を吐くことがありました。
先日、姪と会って食事をする機会がありました。
そのときに、すでに、軽費老人ホームには申し込みをしているからと
将来のことを話しておきました。
「でもねえ、自分で決めていても、認知症になって、
貴女に、“何でも自分で出来る、そんなに施設に入れたいのね”と
言うかもしれないわねえ。」と言うと、
慣れているから大丈夫と言ってくれました。
ほんと、将来が怖いです。
特にまだら認知症になりやすいことがわかっているだけに。
私も昨夜、「ベイリーとゆいちゃん」を見ました。こども病院は横浜市内ですが、母の施設は横須賀市なんです。全部で10匹のワンコがいます。飼い主と一緒に入所した子もいます。文福(雑種の中型犬)は人間並みの介護犬です。母が帰りたいという駄々をこねると、スッと母の横にいき、前足を母の膝にのせて、“僕がいるから”と言うようにするんですよ。私が散歩のボランティアをするのも、結構、彼らにもストレスがかかるんだと思っているからです。私は一応、すでに、中野区にある施設に申し込みをしています。ただし、自立していることが条件ですが。しかし、認知症とか病気になると、また違うところをかんがえねばなりません。そこまではまだ、考えていないんです。そそ、心配して仕方ないですよね。