今日は久々の集団リハビリへ母を連れていき
ました。
施設(特別養護老人ホーム)に居る母の面会で、
一対一で過ごすより、ユニットの外へ連れ出す
ことで、また違った空気にもなるからです。
同じエンドレステープの会話でも、皆さんが
笑って下さるほうが有難い。
アタシ、運針したのは、小学生以来よ。
ちゃう、おっかさん、先週もしたやんか。
ユニットに戻るときに、母が申しました。
これから、帰るんでしょ。
アタクシは、即答出来ませんでした。
とにかく、ユニットへ行こうね。
そんで、トイレへ行ってから帰ろうね。
母が入所してから、「帰ろう」と言ったことは
ありませんでした。
明日は、健診があるからね、今日はお泊りや。
毎回、これを使っていました。
帰ろう・・・これもウソ、健診があるもウソ。
以前、ご紹介した 認知症がやってきた と
言う本に、下記のくだりがありました。
さらに、自分でビックリしたことが、ウソを
言えないことだった。
一般社会での私は、いい加減なタイプでホラも
吹くのだが、ママに口からでまかせの適当な
ウソがなかなか言えないのだ。
相手は10秒で忘れるし、納得させる必要もない
のだから、ウソをついても針千本飲まされないし、
ウソも方便が最大限に生かされる状況なのに、
良心の呵責を覚えてしまうのだ。
アタクシも、この著者の方と同じで、子供の頃、
水泳が嫌いで、風邪を引いたとウソをついて
休んだし、社会に出ても、適当にウソをついた
ことも多ございました。
なのに、良心の呵責を覚えてしまう。
今日は、帰りたいという母に帰ろうと言って
しまいました。
「帰ることはない」、つまり、ウソざます。
ユニットに戻り、スタッフさんが母に声をかけ
トイレへ。
トイレから出てきた母は、アタクシが来て、
一緒に集団リハに参加したことも勿論忘れて
しまいました。
気にすることはないのですが・・・。
面会を一日置きにしようと二日置きにしようと、
母にはわからないから、どっちでもよいようで。
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コメント
コメント一覧 (14)
良心の呵責…ドキリとします。
私は昔から、小学生の頃から随分と嘘をついて来ました。
そして今でも回りに沢山の?嘘をついては現実から逃れようとしています。
それでも一体何でしょうか?
在宅で寝たきりの父には話しても理解さえ難しい言葉も選んで何とか伝えようとしていたり
ショートやデイに行かせるのにも嘘をつくと
何となく後ろめたさを感じます。
行ってくれてホッとするはずなのに何故か追いやった自分を気にしたり…
いつになったらこんな気持ちから抜け出せるのでしょうか?
最近体調が安定してきた父と平日同じ家に居ることが息苦しくなり、私自身が家から少しでも離れるために就活し始めました。
それでも条件が悪すぎるから難しいですね。
週3~4日で短時間そして障害をもっていますから。
少しでも前に進むためには時には立ち止まり
また前に向いて行くしかないですね。
いつも吐き出させて頂きありがとうございます。
新聞で読んだのですが、中高年の自分探しが流行っているようです。女性は子育てが終わると、旦那さんよりお友達と出かけることが多いと聞いたことがありますし。でも、好きで一緒になったのに、不思議ですね。こんなことを言っている私は、ずっとお一人様ですが。でも大きな目標が終わるとそうなるのでしょうか。私も、自分探しに出かけますか。あんず様警察署に行き古物商の申請書をもらってきました。色々証明書を取らないといけないのでまた報告します。
良心の呵責…
介護を背負い込んで、必死でいるのに、その こちらの方が「良心の呵責」を感じなければならないなんて、なんて理不尽なんでしょうね。
という私も、のめり込まないようにと自分に言い聞かせながらも、元来の「真面目」が顔を出し、ここまでしなくてもと思いながら、自分が無理して余計なことまでしてしまいます。
母本人は、それが普通になっていくので、益々追い詰められる自分がいたりして。
割りきれない人が良心の呵責を感じるのですね。
困ったもんだ。
お気持ちすっごくわかります。
まさしく『良心の呵責』ですよね。
義母の施設見舞いも行こうが行くまいが、義母は果たしてどれだけわかっているのか定かではありません。
タイミング悪く行くと、泣いています。
誰も周囲の方々は泣いていないのに、何故義母だけがいつまでも⁉️
泣顔を見ると、まさしく『良心の呵責』です。
家に帰りたいのだろうけど、気付かないふりをするしかなく、夫にも泣いてたことも言いたくないので黙ってます。
情に流され連れて帰るなんて事になったら、今度は私が毎日号泣の日々になりますから…
実母もかなり記憶忘れが激しくなりましたが、とりあえず自分で炊事洗濯できるので、毎日様子を見に行きなるべく昼食を一緒に食べるようにしています。
私もあなたの娘としてできる限りの事をしているから、来るべき時が来たら施設に入る事を納得してほしいと密かに願いながら、毎日様子を見に行っています。
『良心の呵責』など死語であり全く無関係に過ごしている兄嫁や実姉が、正直心底羨ましくもあり腹立たしくもあります。
いくので母が怒ってあわててとめました。
こわいこわいとこでした。この前ショートにいって尿漏れを夜間におこして施設の人が洗濯してくれたそうです。良心的なショートステイです。
私は膀胱炎か胃腸もかぜがわからない症状になっています。
本当によく膀胱炎になりますね。いやになります。
20数年前、当時60代の伯母が突然に末期の肝臓がんと診断され、打つ手は無く余命3ヶ月と家族に宣告されました。担当医師は伯母の性格を考慮すると本人に余命告知すれば立ち直るのに時間がかかり、3ヶ月しかない余命を無駄にしてしまう。最後の1ヶ月ほどは入院することになるのだからその前の2ヶ月間を旅行に行くなりして存分に家族で過ごすことを勧められました。
その日から伯母が亡くなるまでの2ヶ月半ほど、私たち周囲の者は嘘をつきまくりました。伯母と会う度に「どうやって誤魔化せばよいのだろうか」と悩みました。
伯母に気づかれてはならない、でも自分の余命を知らせないことが伯母にとって本当に良いことなのか、今でも悔いがあります。
母の病は認知症ですから、伯母に比べれば他愛もなく誤魔化せます。母は、親の老後は子供が看るのが当り前という信念の人でした。認知症の親を施設に入れた甥夫婦のことを親の恩を忘れた人非人だと罵っていました。だから私は特養はおろかショートステイの利用さえも母には言い出せませんでした。
ただ、母の味方をする親族は徐々に切り、私の味方となる人のみを残しました。この頃が最も良心の呵責を覚えた頃かもしれません。今も母が特養に入ったということを知らない親族がおり、恐らく母はその人たちに会いたかっただろうなと思います。しかし、母とその人たちが会うことによって巻き起こるであろう大騒動は私には耐え難いことでした。
私は、私の心の平静を求めて母に嘘をつき続けます。「台風で家の壁が壊れたから修理中で今は帰れない」母は他愛もなく騙されます。もうそれでいいと思っています。母はまさか自分の娘が人非人とは気付いていないでしょうし、それが母にとっては平和な事ですから。
先週、母の部屋で楢山節考のDVDを見つけてからどんよりとしておりましたが、面会に行ってきました。相変わらずそのDVDがありましたが、見ない振りをしていましたら、母の方から、これ難しくて集中できなくてまだ途中なのよ嫌になっちゃう、と明るく言われました。他のをみたら?とすすめたのですがやはり楢山節考をみたいそうです。
でも、持っていった春物の服も喜ぶし、持っていった苺も喜んで食べるし、お花見も施設で連れて行ってくれたと喜んでましたから、気にしないようにします。
ありがとうございました。
世間を渡るためには、ウソも方便ですもの。
「認知症がやってきた」の中でも、親に対して
ウソがつけないことが良心の呵責という文章を
読んだとき、よかった!同じだ!と安心しました。
ショートへ行かせるときは、「私はガンで、その治療に行く」と
言いました。
それでも、母は「なぜ、泊りに行かなければならないのよ」と
言ってました。ウソだとわかっていたのでしょうか。
就活、是非、仕事をして下さい。
私もできるだけやろうと思っています。
なかなか、ないですけれど。
お互いに頑張りましょうね。
そう言えば、母が認知症でないときは、ウソをついたことがありました。でも、ほんになぜかウソをつけません。帰りたいと言われると即答出来ず、しどろもどろになります。古物商になるには提出書類が多いですよね。許可が出ても、年一回の講習会がありました。それと帳簿。帳簿をつけるまでの商売にはならずじまいでした。
女性はどうしても、ご主人より、お友達と出かけることが多いですね。
告白しますが、社会人になってから、女友達と旅行に行くと
言って、ボーイフレンドと出かけたことがあります。
そのとき、良心の呵責があったかというと、なかったです。
それが、なんで、すぐ忘れる母に対して、ウソがつけないのでしょうね。
ちょっと、矛盾を感じます。
毎日、お読みくださりありがとうございます。
介護するのに、「良心の呵責」はないのに。
どうして、そう思うのでしょうね。
在宅介護中も、母に自由を奪われた感を持っているのに、
デイやショートに行かせることに「良心の呵責」。
お義母様は泣くことによって、ご自分の不安を発散させているのでは?
泣きたいときは泣かせておくのもいいのでは。
そそ、家に帰りたいと思う気持ちを、知らん顔をする、
在宅介護にはない辛さですよね。
お母様と一緒にお昼を食べる、きっと、それで
お母様もご自分で出来る状態にあるのでしょう。
かりん様のおかげだと思います。
介護は平等に。ですよね。
コメントを下さる方の中にも、二人姉妹で半年ずつ、交代で
お母様を看ていた方がいました。
お母様ご自身が移動出来るから出来ることなんですが。
ほんと、難しいことです。
具合はいかがですか?
調子が悪いと、鬱陶しいものですよね。お大事に。
ばば様はかばんが気になって、靴下のまま、行こうとされたんですね。
認知症が少しあることを、ご両親様は認めたくないのかも。
自分の親に限ってと思ってしまわれるんですよ。私もそう思ってしまうので。
母も、親を施設に入れるなんてとんでもないという思想の持ち主です。
だから、「ここはどこ?」と聞かれると、施設とは言えず「病院」と誤魔化します。
本人も騙されてくれるようになりました。
骨折して退院後、そのまま、老健へ。
老健の看板を声を出して読み、施設だとわかり、兄と私に
「アンタ達!、アタシを騙したわね。」と激高しました。
今は、認知症が進行していますから、なんとか・・・。
今日も帰り際に「いつ、帰るの?」と言われて、
もう少し待っててと、返答し、そのまま、ユニットを出てきました。
私のこと、早く忘れて欲しいと思う瞬間です。
「楢山節考」はある意味文芸作品だから、お母様は見ておきたいのかもしれません。
今度面会に行かれて、DVDがあったら、こっそり抜いておかれてはいかがですか?
「お花見も施設で連れて行ってくれた」と覚えておられるくらいだから難しいかな。