今日も、昨日もですが、母の面会へは行かずに
友人とレンチャンランチでした。
二人とも、介護は終了し、それぞれの生活を
しています。
一人は二人目の孫が生まれて、そのお世話で、
息子夫婦の住む関西地区へ月に三回は出かける
忙しさ。
彼女は、先にお母様、続いてお父様とそれぞれ
見送っています。
介護が終了しホッとはしている、今は寂しさが
あるけれど、あの世でまた、両親に遭えると
思って暮らしているそう。
もう一人は、認知症で胃ろうだったお母様を
在宅介護で看取った友人。
しばらく、出かけるからと言っていたので、
たぶん、海外だなと思っていたら案の定でした。
ネットサーフィンで、日本オーストリア友好
150周年記念ツアーを見つけちゃって
アタクシは、どうしても、介護が終了しないと
と思うばかり。
現在の母の元気さから考えれば、海外旅行が
出来る年齢に間に合うかどうか・・・。
仕事についても、腰を据えたことを考えにくく、
どうしても、短期か日雇いか。
そのうち、仕事が出来ない年齢に達するかも
しれない。
おっかさん、あたしの人生は、アータ次第。
中身は普通のキャンディよ。
このエリザベート王妃の肖像画をみるだけでも、
ヨーロッパの雰囲気が・・・。
ブログをお読み下さり、有難うございました。
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コメント
コメント一覧 (10)
梅雨明け宣言後の この陽気
太陽が眩しゅうございます。
もとより 日焼け上等 むしろ好き!
太陽が何より 好物 夏に恋こがれ、、ゆくゆくは 南の島あたり?
おばあ なんくるないさぁ なんて 言われながらホームで暮らす 南時間、、
妄想を描いています 笑。
昨晩 夫に提案しました。
母親の身内があれよあれよ と亡くなっていく中で 弱音を吐き始め 目も悪くなり 歯医者も行かんとアカンけど
なかなか 歯医者まで歩いていくのも
厳しいしなぁ、、老人会も参加出来ず
家に引きこもり 目の前のスーパーへ
簡単な物を買い出しに行く程度、、人を家に入れることを極端に嫌う人 だから せいぜい週一のヘルパーさんが関の山。
大丈夫やで、何とか絵書いていくし〜 心配せんでええ!
ほんまかいな、迷惑かけんように言ってるだけとちゃう??
これ ほっとくわけには いきませんね〜 昨晩 夫に相談したのは
大阪へ帰り 母親の近くに住む という選択です。夫は いつかは その日が来る事は あらかじめ分かっていた事だから いいんじゃないの?と。あっさり、
ただ ルーティンの厳しい人だから
一緒に暮らすのは 私の身が滅ぶので
間借りして となるのですが、、
22で東京へ嫁に来て以来
地元で暮らすのは40年ぶり。私的には 嬉しい限りです。本当に生粋の大阪人ですもの。 生まれ育ったら町で 再び 暮らせる 夢は叶うかな
義母を見送り いろんな責任も終えた今 このチャンス生かし 親を支援する。
母親は 何ていうでしょうかね〜
両手を上げて ほんまに来てくれるんか⁈ 嬉しいなぁ そう言ってくれるんでしょうか、、。それとも、、。
でも お母ちゃん あんた 今のままやったら にっちも さっちも いかへんよ
娘の手を借りんと〜。
山科はショートステイもあるんですね。ユニットとは別になっているんですね。
私も最後は犬がいるところで人生を終えたいです。
まだまだ先ですけどね。まだ夢もかなえてないのでそれがかなったって
最後一人になったら考えますまた本の続きよみますね。
お母さまをモデルにしたうしろの冊子素敵でした。
雄介君のお母さま絵がとても上手なんですね。
もしも介護が終わったら‥‥何をしたいだろうか?
明日かも知れない、1年後かも知れない、5年後かも‥‥、そんな曖昧な目標、立てても意味がないような気もします。。
そりゃあ、ウチの母の認知症は怒涛の快進撃です。あんず様が10年を費やされた在宅介護を5年で突破し、特養入所後もあれよあれよという間にあんず母上を追い抜かしてます。
でも、結局のところ先のことは何も分からない。
先日、ウチの母と同じく糖尿病で認知症となった母上の怒涛の変貌に驚愕している友人とランチをし悩みを聞きましたが、私が彼女に言ったのは「認知症の進行を恐れても仕方がない」ということ。進行すれば介護度は上がるのだから要介護3になったら大阪府下の特養施設のリストをダウンロードして特養の見学を始めて申込をすること。病気で入院するなら老健施設を持っている〇〇病院を選ぶこと。彼女は必死で私のバッサバサの発言をメモしてましたが、問題はそうした果てに介護がいつ終わるかは分からないということなんですよね。今のところ流石にそこまでは言えませんでした。介護の入口で衝撃を受けている彼女には残酷すぎますから。
もしも介護が終わったら‥‥パリのオランジュリー美術館で壁一面に展示された巨大なモネの睡蓮をぼーっと見たいと思います。そんな日が来るのか否か、神のみぞ知る私の将来です。
介護の終わり そうですねえ・・・その時になってみないと分からないですものね
自分の体力気力知力 そして 財力が どんどんなくなっているので とても辛いです
だけど せめて もう少し自分が楽しいと思える時間を見つけなくちゃね
介護の皆さま 介護以外にも 山ほど悩みはあるけれど
まずは 見ざる 聞かざる 食べて寝る!
はぐなでよし 送るね~ へたれくま
おお!、眩しい太陽が好きとはいいですね。
梅雨寒からの、一気にきた蒸し暑さ・・・。
いつもならば、殆ど、扇風機だけでもOKな私は
今回は、エアコンをつけっぱなしに。
「人を家に入れることを極端に嫌う人」
そそ、これが認知症の入り口なんですよね。
生まれた町へ帰るっていいですね。
関西で育った私には羨ましいです。
母をあの世に送ったら、関西に行こうかなと
思ったくらいです。
下の兄の末娘が、大学を出て、関西の企業に就職。
育った高槻で一人暮らしをしています。
関西で育つと、東京は苦手という人が多いですよね。
本をお読みくださり有難う!
動物は飼い主を癒しますね。
そうなんです。ショートは4階にあります。
私は、もしここに入所するなら、もう一度、
ブーケと同じ犬を飼って、一緒に入所したいです。
猫の佑介君のお母さんは、ほんと絵がお上手です。
そそ、介護はいつ終わるか、なんてわかりません。
認知症を快進撃されている福童様のお母様が羨ましいです。
ある程度、症状が進行してくれると、私もそれなりに
覚悟するんですが。
そんなこといっても、母もいつ、体調が激変するかもしれませんものね。
また、逆に100歳まで長生きするかもしれません。
海外にもう一度、旅行したい。
だから、その体力があるうちにと願っている鬼娘です。
老健を持っている病院!そうですね。
それに、施設の見学。これが入所の肝ですね。
このところ、体力も気力も、そそ、財力もない・・・
ほんに、将来は真っ暗なんです。
趣味もないし、介護が終了したら私自身が認知症になりそうです。
私もへたれてます~。くま様の励まし、嬉しいです。
認知症の母を在宅介護している者です。
仕事を辞めて介護11年目突入です。
必ず終わりは来るからと周囲から言われてもなんだか無限ループの地獄にいるようです。
私も死ぬまでに行きたい外国があります。
いつの日か・・・
介護から解放されたら行こうと思って11年を迎えました。
私は神様から試されているのか?見捨てられているのか?
まだ93才の父もいます。地獄です!
母は優しかったのでまだ看取れますが父に対しては嫌悪感しかありません。
自分の自由な時間がある人、親の介護から免れてる人が羨ましくてなりません。
私の人生、あと何年残っているのだろう…
時々思うとすべてが虚しくなります。
こちらのブログは励みになります。
私と同じ気持ちなんだぁ…と慰められます。
紫陽花様、こんにちは。
こちらこそ、初めまして。
ブログをお読みくださり、感謝です。
私がこのブログを立ち上げた理由の一つは、
介護する家族は、同じような悩みに苦しみ、
絶望感と孤独感を持っているだろうこと。
それは、「貴方だけではない」というシグナルを
送りたいと思いました。
そそ、介護は、いつか、終わるのだからと
周囲から言われて、私も10年をしっかり越えました。
紫陽花様も仕事を辞められたのですね。
あの当時、政策に介護離職をなんとかしようという
スローガンがありましたよね。
あれは、どうしたんでしょうねえ。
お父様の介護は、母親の介護より大変だと思います。
職場の友人も、父親の介護でげっそり痩せました。
このブログの初期にコメントを下さった方のなかに、
父親の壮絶な在宅介護の様子をブログに記した方が
いました。
母親とは違う大変さにびっくりしました。
そうなんですよね。
介護が終われば、自分の人生が始まると思うものの、
私自身の人生が終了するまでの時が短いんだと
これまた、絶望しています。
今後とも、よろしくお願いします。