君の認知症研究は君自身が認知症になって
初めて完成する
認知症の判断に欠かせない、長谷川式スケールを
開発し、「痴呆」と言われた現象を「認知症」と
いう病気の名前に変えてしまった長谷川先生。
先輩医師が言った言葉をそのまま、自ら認知症を
公表して、NHKスペシャルで2年間の密着取材。
認知症の第一人者が認知症になった
自身が認知症になってみたら、こんなに不安で
大変だとは思わなかった。
生きている上での「確かさ」がなくなってくる。
いつも確認していなければならない。
「認知症である」と自覚している医師だから
こその言葉があり、番組を見ながらメモを取り
ました。
残しておいて欲しい言葉がいっぱい。
一番印象に残ったのは、先生は自身が提唱した
デイへ行き、しばらくして、行かないと言い
出されました。
何故なら、「何がしたいか、何をしたくないか」
聞いてくれない。つまらない、孤独だという。
有料老人ホームへ入ることを考え、ショート
ステイへ行かれました。
カメラに向かって、我慢、早く帰りたいと
おっしゃる先生。
デイへ行かないという先生にお嬢さんが、言い
ました。
「家族のために、家族の負担が減るって提唱した
のは、お父さんでしょ。」
それを聞いて、先生は苦虫を?み潰したような
顔されて、「でも、行きたくない。」と。
僕が死んだら、喜ぶかな。
きっと、ほっとするよね、悲しむだろうけどね。
負担をかけていることは自覚している。
まさに、認知症である母が言うことと同じ。
母も同じ感覚なんでしょうね。
認知症の患者とどう向き合えばいいのかなど、
気づかされることばかりでした。
再放送があるので、もう一度、見たいと思います。
ケアマネさんから、母のデイを提案されたとき、
越境してデイセンターへ通うことを尋ねました。
おしゃべりが好きな母でしたから、世田谷に
住む親せきであり、母の友人が通うデイへ
行かせたかったのです。
送り迎えもするアタクシがするからと言った
のですが、反対されました。
もっとアタクシ自身が強く出るべきだったと
今になって思います。
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コメント
コメント一覧 (14)
その番組、私も偶然に後半の少しだけ観ました。
適当にチャンネルを回したら、認知症の専門家が認知症になった…
とかいう文字に、大変興味を持ったからなんですが。
専門家がいざ自分がデイサービスや施設に通ってみたら、物凄い違和感で、早く家に帰りたい…
本人にしたら、当然だと思います。
私も気づいてはいます。
デイサービスなんて、退屈でつまらない場所だって。
延々とお茶のみさせてるか、子供相手のようなゲームや、練習帳みたいなのをさせているか…
それを7時間くらい簡易椅子に座って過ごすのですから、本当は私だって、下手したら苦痛だろうなと思います。
この医者は、実体験して実感しただけなんですね。
でも、看る側からしたら、デイサービスは本当にありがたい。
デイサービスも施設も、介護者のためにあるのだなと実感いたします。
私も昨夜のテレビを見て 胸にグサッと刺さる長谷川先生の言葉がいくつかあり 母の事と重ね合わせてツラくなりました。
確かに認知症になっても 自分が 家族の負担になっているということは心の隅では理解してると思います。
ですが、 自分の子供だけには それくらいのワガママを言ってもいいでしょ!という気持ちが 娘に対しての暴言や 反抗になって表れたのだなーっと 今は思います。
デイや施設では 我慢の連続だったはず、 どれだけの苦痛を私は母に 強いてきたのかと胸が痛くなりました。
しかし、デイや施設にお世話にならなかったら 私が 壊れてました。
母に 優しい言葉をかけることも出来ませんでした。
だから 今、思うのは介護中の皆様は 後ろめたさなど感じること無く デイや施設の力をお借りして 穏やかな時間を共に過ごすという事が 救いになるのではと思うのです。
こんな事を言っておきながら 私も 何度 母さえいなくなれば……と思ったことでしょう。
そんな娘の気持ちも知りながら 母は そっと旅立ちました。
親ってそういうものですかねー。
私も観ました。
長谷川式を考えた先生が認知症になるなんて‥‥認知症を長年研究し、知り尽くしていたはずなのに、なってしまうものなんですね。こうなると、予防とか無意味な気さえします。
でもまあ、認知症になられても、医者としての品格が残っているというか、声を荒げることもなく終始穏やかでしたね。ウチの母とは全く違います。奥様自身も、要介護認定を受けながらも、キチンとお化粧されて、ピアノ演奏もし(すごい上手!)、優しく長谷川先生に接し、これまたウチとは違う。娘さんも、諭すように接して決して怒鳴ってない、、、これまた、私と違う。育ちが違うとはこういうことなんでしょうか(笑)。
デイや老人ホームの宿泊体験、「つまらない、我慢」と言われたのも、印象的でしたね。確かに講演などもギリギリ行なえる状態ですから、そういう所は苦痛でしょうね。
何かの本に、施設への入れ時?について、本人自身がもう自分がどこにいるのか分からない状態になったら、と書いてありました。
認知症は長い旅ですからね‥‥長谷川先生の密着取材、今後どうなっていくのか、、、認知症の家族を抱える身としては気になります。
再放送教えて頂きありがとうございます。
早速、予約録画しました。
『生きている上での確かさがなってくる。いつも確認しなければならない。』
あぁまさしく実母の現実です。
胸にぐさりときました。
あんず様の記事をメモして、言葉を思い出しながら母に接しようと思いました。
毎日毎日「明日、デイ・ケアの日やね?タオル入れたかな…」と何度も何度も私に尋ねながら、バックの中身を確認する…まさしくこの心境なのですね…
決してデイ・ケアを楽しみにしてるわけではない事は、私もわかっていました。
実母もできるなら、家で好きなように暮らしたい。
でもいつもいつも同じことを確認繰り返すうちに、私といい合いになり喧嘩になる…
迷惑かけんよう、せめてデイ・ケアに行かなくちゃ…と思っているのだろうと…
考えたら切なくなってしまう…
だけどデイ・ケアを利用しなければ、私も辛い…
実姉は23日1泊で5年ぶりに帰省予定になりました。
私が電話で色々訴えて、ようやくの帰省です。
しかし仕方なく嫌々帰省のオーラ伝わりまくりで、早くも何とも言えず腹立つ気分です。
ばばは元気そうに猫と遊んでいたのに胸がムカムカするといってねてしまいました。
明日ショートステイあるのに行けるか心配です。
はるは朝の6時から部屋中走りまわっています。
にゃんぱく宣言私もテレビでみました。
電車にもつってあるんですね。
ばばは今日は尿漏れをものすごくして母がこまっていました。
長谷川医師の認知症闘病ドキュメンタリー、興味深く見ました。
認知症研究の第一人者だったのだから予防策も試しておられただろうし、早い段階で罹病に気づいておられたのでしょうが、症状の進み方がとても速かったように感じました。仕事の上で多くの情報に接し、人とのコミュニケーションも多かっただろうし、運動量が少なかったとも思えないし‥‥長谷川医師は認知症は神様からの贈り物と言われていたけれど、あの方ですら発症しあのようなスピードで進行するなんてひたすらショックでした。認知症というものはロシアンルーレットみたいなもので、高齢者には等しくある確率で神様からプレゼントされるものなのかもしれませんね。
長谷川医師並みのスピードで認知症患者として駆け抜けて来た我が母は、昨年12月24日に施設から病院に移動しました。口から物が食べられなくなり、ここ2年ほど安定していた慢性心不全が悪化したからです。
病院の医師からは予断を許さない状態と言われましたが、結果的には投薬が功を奏し、ゼリーなら食べられるところまでは回復しました。しかし今後の見通しは不透明。私は病院にお見舞いに行く生活に逆戻りしました。
いよいよ最終章なんだなと覚悟はしましたが、母は常に私の思惑を裏切って駆け抜ける人ですから今後のことは殆ど予想もつきません。今となっての私の願いは、穏やかな季節の陽のさす時間帯に逝って欲しいということのみです。
長谷川先生が認知症であることは、2年前に自ら
公表されましたよね。
そのときから、気になっていました。
デイサービスはつまらない。
私も母が持って帰る物を見て、一日いるのも
つらいだろうなと思っていました。
おしゃべりが好きな母。だったら、知人友人のいる、
地域外のデイへ行かせたかったです。
何がしたいかと聞いても、たぶん、母なんかは、
家に帰りたい、でしょうね。
入浴も嫌がっていましたから、それも嫌々入っていたと
思われます。
家族が休息できるように、システムを作ったのなら、
通所する人のためも考えてくれたらと思います。
いずれ、私もデイへ行きたくないとごねそうで・・・。
認知症研究は、君が認知症になって完成する。
その通り、ご自身がなってみてわかったことでしょう。
今、母を集団リハビリに参加させていますが、
参加者がそれぞれ、出来ることをしています。
最初は折り紙。これは幼稚園の教諭をしていたのだから、
得意なはず、と思いましたら、これが意外に駄目。
認知症だから、なんですね。
洋裁、レース編み、棒編みもやっていたのに、
すべてに興味がない・・・。
私が考えるべきことは、将来のこともですが、
何かできることを趣味として今からやるべきなんだと
思いました。
そうすれば、デイでつまらないとか、我慢するだけに
ならないかもしれません。
母さえいなければ、今も思っています。
たぶん、母も感じているでしょうね。
ちょっと、コメントとはずれてしまいました。
ごめんなさい。
見ていて、人間って平等なんだと思いました。
頭が良くて、最後まで学問をしていた人、
それも、おっしゃる通り、予防も考えられた方が
あっさり、認知症になる・・・。
印象的だったのは、長谷川先生が、何かというと
「瑞子、ありがとう」とおっしゃること。
ちゃんと、誰に迷惑をかけているということを
理解されている。
それに対して、寛容な奥様。
あーはできませんよね。
長谷川先生が、デイやショートでつまらない、
行かないとおっしゃることで、改善してくれると
いいなと思いました。
私もNHK特集を見ました。「確信が持てないから何度も聞く」というお話は大きな気づきでした。
また認知症は神様からの贈り物という言葉にも救われました。
私は昨年、大きな病気がわかって今までのように母のところへ行けない日々が続いたのですが、母には何も気づかれずここまできました。親の悲しむ姿が一番きついなと思ってたので、このときばかりは認知症でよかったと心から思いました。
デイサービスやショートステイ(介護施設)での過ごし方はやはり問題ですよね。
母の特養ユニットには若年性アルツハイマーの女性がいて、物忘れ以外はどこも問題はないような明るく元気な方なんですが、暇そうにしてるとスタッフが洗濯物たたみをお願いするんですね。
ところが最近は「みんなやらないのに、なぜ私ばかりやらされるんだ!」とスタッフに怒る姿をよく見かけます。もともと家事があまりお好きじゃないのかもしれません。
集団生活で一人一人の好みや特徴を見つけて対応してもらうのは贅沢なのかなと思いつつも、長谷川先生の生の声が見直しのきっかけになってくれればと心から願っています。
日々、抜けていく「確かさ」
自分自身の在り方がよくわからなくなっていている
長谷川先生が、番組中におっしゃっていましたが、
これも、かりん母様にも、うちの母にもあること
でしょうね。
母がよく言う「今日のアタシの予定は?」というのも
これかも知れないと思いました。
「あやふや」な気分になるのでしょう。
そそ、バックの中を確認しましたっけ。
それをやったり、言ったりされると苛立ちました。
介護する家族には共通の悩みですね。
ほんま、家で看ることが出来れば、こんなに
いいこともないでしょうけれど、認知症の母の
世話には、無理としか言えません。
お姉様の帰省、一泊ですか・・・。
それもムカつきますね。
認知症の第一人者が認知症、
このことは、人間は平等なんだと思いました。
99歳まで生きておられるのですから、容体も波があるでしょうね。
はるちゃんは大丈夫ですか?
猫も人間も環境に慣れるには大変ですものね。
お母様は病院へ移られたのですね。
ゼリーを食べられるまでに回復したこと、よかったです。
覚悟されているとのこと、そうですよね、急変することも
ありますもの。認知症の進行は早かったですね。
うちの母が遅いのかもしれません。
福童様ご自身の健康を第一に、お過ごしくださいね。
私もお母様が、穏やかに穏やかに最期を迎えられるように
祈っています。
コメントを頂き、感謝です。
あのテレビは、介護をする家族にも、今はまだ、
介護とは無縁という人たちに見て貰いたいものです。
>私は昨年、大きな病気がわかって今までのように
母のところへ行けない日々が続いた・・・
そのお気持ち、よくわかります。
最近、副鼻腔炎の手術をするかしないか、悩んだとき、
考えたのは、たった一週間の入院をどうするか、でした。
現在、調子がいいので、手術をしないという結論を
出しました。
母を見送ってからでも、いいやとも思ったからです。
そうなんですよね、その人、その人に合ったことを
施設でやって頂ければと思います。
預かって頂けるだけでも感謝なんですが。
長谷川先生の現状から、そういう施設でのレクも
変わってくれることを望みます。