認知症初期の母の言動を残しておいたはずの
ヤフーブログを不注意にも、移行せずに消えて
しまった・・・。
だから、思い出したときに、残しておこうと
思います。
あれ?、ちょっとおかしいかも?と思ったのは、
平成16年頃のこと。
その内容は、一昨日のブログに記しました。
それは、その年の夏のこと。
認知症かもしれないのを、加速した出来事が
あります。
平成16年の11月初め、アタクシは、突然に
物が二重に見える症状が出ました。
洗面所で鏡を見たとき、びっくり!
目の瞳が動かず、中心が右と左が違う。
さらに、右目の瞼がダランと下がっている。
ご近所の眼科から、総合病院の眼科へ。
そこから、すぐ近所の都立病院の神経内科へ。
重症筋無力症と診断が付いて、即、入院と
なりました。
結果は、その病名ではなく、フィッシャー
症候群とわかりました。
わかるまで、1か月かかりましたが。
その間、入院していました。
この入院が、後から考えると母の認知症を一気に
進行させてしまったのです。
二階家に母とM.ダックスのブーケだけ。
母にとっては、不安な毎日だったんだと、実は、
母を施設に入所させてから理解出来ました。
木造ですから、夜中に家が鳴るんです。
ミシッ、ミシッと・・・
アタクシですら、ギョッとしましたから。
兄に頼んで泊まって貰えばよかったかもと後悔
しました。
今まで、母と二人暮らしをしていたのに、急に
入院となって、母には環境が変わったのと同じ
だったのかもしれません。
幻聴、幻覚が出てきたのは、それから、すぐの
ことでしたから。
外出する用事もなく、母の面会にも行かずの
今日は、外にも出ずにおりました。
ブログの内容を何にしようかと考えているとき、
母の奇妙な言動を思い出しました。
これは、またの機会に。
ブログをお読み下さって有難うございました。
応援、よろしくお願いします。
人気ブログランキング
にほんブログ村
コメント
コメント一覧 (4)
その際にお母様も一人になるという環境の変化が、認知症悪化につながったのですね…
でも環境の変化と言えば、私も後悔することがあります。
認知症の父が突然血糖値が上がり、即入院になって…そこからずっと入院→療養病院へとなり8ケ月の命だったわけですが、思えば実母の認知症もその頃発症したのかなぁと思ってます。
入院してからは毎日病院通いつめ、傍らに母と二人での会話を聞かせ父を元気づけたいと思い、1時間半ほど面会しておりました。
でも正直、病院面会って、行くだけで居るだけで何かしら気持ちが疲れる。今後の治療方針を聞かれ、命の決断が迫られる重責。その判断で良かったのか、ずっと残る葛藤。どんなに面会に行っても、元気になる姿には会えず、確実に弱りつつある姿を目にする日々。相談に値しない姉。仲は良かったわけではなくとも、苦労を共にしてきた連れ合いが死に向かう恐怖感。それらを含めた色んな事が、不安感となりショックな気持ちに引きずられる毎日。
当時55の私ですら精も根も尽き果てる気持ちだったのに、あの時81の母にはもっと辛い事だったのだろうと…今更ながらに気付く事ができました。
よく病院面会の後、実家に送ると「上がってお茶でも飲んでかんか?」と言われたのですが、重苦しい気持ちから解放されたくて、「晩御飯の用意もあるし」と帰宅してました。この頃から孤食にならざるをえなかった母には、可哀想な事をしました。
その思いで、今一緒に昼御飯を作って食べてあげたいと思うのかもしれません。
在宅介護が、終わり
あの暴言、妄想、徘徊はなんだったのか?仕事辞め、一人で頑張った地獄の日々
忘れられません。兄は初めから介護放棄、母も、最後は放棄、全て私
母も、兄も、許してません
私は、在宅介護中から、耳鳴りに悩まされてます。薬飲んでましたが、良くならず、在宅介護が、終わったら、良くなると、薬も、飲まなくなりました
精神的なものだろう、、介護疲れだろうと。
特養入所しても、耳鳴りは、なくなりません。
また、病院行くか…悩み中です。
面会行かなきゃ…面会行かなきゃ…と
思い始めると、キーンとなってしまいます
父が死んだら、治るのかも(笑)
来月は父の誕生日です。
チョコムースかな…
私は、販売の仕事だったので、
服と靴がやたら、ありすぎです
もう、着ないだろう、着れないと、少しずつ処分してました
靴だけは、処分できなく、大事にしまってますが、いつか、また、履きたい、吐いて
通勤したい…けど、年齢もあるから、販売は無理かもしれない
仕事も、あるかわからない
介護さえ、なければ
一人で介護して、何にも残らず。
介護中でも、仕事できますよ、辞めた会社に戻れないか、聞いてみたら?
確か、包括センターの若い男子に言われました。お前、バカか?と、心の中で叫びました
介護友も、仕事したい、おしゃれしたい、
飲みに、行きたいよ…って
私も、同じです。
このフィッシャー症候群は、女優の池波志乃さんが
発症されて、テレビで説明をしてくださったので、
知っている人が増えました。
このときは、母のことより、自分のことでしたねえ。
年を取って、急激な変化はよくないと思います。
今日、これから、ブログに書こうと思っているんですが、
認知症のもともとの発症は、もっと前かもしれないと。
でも、その人が持つ性格と認知症になりやすいという
遺伝子が相まって、発症するのかなとも。
かりん様のお母様は、おっしゃる通り、
「苦労を共にしてきた連れ合いが死に向かう恐怖感。」
そそ、同じような年代の自分も、死が近いのではないかという
恐怖と不安。
そして、一人、残されて、どんな生活になるのかという不安。
確かに、お見舞いから帰ってきて、一人で孤食・・・。
しかし、それは、かりん様にもご家族がいて、
生活があるんですから、それを責任として責めることはないと
思います。
徘徊、私の場合、母が変形性膝関節炎で歩くのが不自由だったので、
外へ出るということがありませんでした。
大変だったことでしょう。
耳鳴りも苦しいですね。週に一度、耳鼻科へ通っていますが、
耳鳴りを訴える方も多いですね。
一度、診て貰うのもありではないでしょうか。
面会に行かなきゃという思い、よくわかります。
でも、無理をせずにお過ごしください。
包括センターの方々には、一旦、辞めて仕事を探す
大変さがわかっているのでしょうか。
チョコムース、お父様のお好きなものを
持ってお祝いする、たまのママ様は、お優しいんですね。