今日の午後、母の施設(特別養護老人ホーム)へ
洗濯物を取りに行ってきました。
一昨日から、面会謝絶になり、ずっと続けてきた
母の衣類の洗濯を、施設の洗濯室にお願いするか
どうか、迷いました。
ユニットリーダーさんからは、乾燥機に衣類を
かけないソフトという方法もあるからと言われ
ました。
乾燥機にかけないで、部屋干しする・・・、ねぇ・・・。
この時期は、各部屋には加湿器が24時間フル稼働
しているのに、しっかり乾くのだろうか?
母の背中は、老人性乾皮症のために少し黒くなって
います。
そのために、下着は綿100%ですし、パジャマも
ズボンも綿100%にしています。
乾燥機にかけたくない・・・、でも、乾かない。
アタクシは、コインランドリーでかけても、途中で
出して、家で除湿機で乾かしています。
それでも、縮んでしまう。
なんて、並べ立てても、洗濯にこだわる理由は
他にあるとアタクシ自身が思うのです。
母が大腿骨を骨折し、介護老人保健施設から今の
施設へと入所した際に強く感じていた後ろめたさ。
これで、在宅介護から解放された!という正直な
気持ちもあったし、いやいや、出来ることは何?
と思う義務感もあったし・・・。
東京の家を処分して、横須賀に引っ越したのも、
その一つ。
今日、施設に行くバスの中で、アタクシの中で
はっきりしたものが出てきました。
洗濯物なんか、任せていいんじゃないと言った
友人もいました。
アタクシがやりたいようにやっていこうと思い
ました。最期の最後に、後悔しないようにと。
昨年、インフルエンザの罹患者が出て、3週間の
面会謝絶になったときも、ユニットの入り口で
受け渡しを続けましたもの。
昨日は、二度目の勤め先の友人達と遅めの新年会。
新宿のしゃぶしゃぶ店でランチ。
空いてました。
ゆっくりとおしゃべりを楽しんできました。
ブログをお読み下さり有難うございます。
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コメント
コメント一覧 (8)
やりたいようにやる。
それが一番だと思います。
それでも回りの言葉に惑わされもしますし
思うようにいかないと苛立ち腹立たしくもなります。
どんな形にしても最期を迎えたあとは全くの後悔しない介護は無いのだと思います。
なんだかこの頃、自身の病気で悟りました(苦笑)
以前、友人から介護は自己満足だと言われたことに腹も立ち忘れることの出来ない言葉になりました。が、
今では介護は自己満足しなければやってらないものだと気付きました。
私も成長したものだと(笑)開き直りの境地にいます。
私だって、割り切れない人だから、こうしてアホ臭い立場でも、介護を続けているわけです。
得どころか、損しかしていないし、残り少ない自分の人生を削って削って…の自覚もあります。
どうしてこんなこと…と考えると、現状は何も変えられないのに、悶々としてきて、本当に病気の一歩手前まで行き、最終的には身体が震えて、赤信号を点滅してくれるのです。
割り切れないからやっていて、やらなければ罪悪感で、自分が潰れるからやっている。
罪悪感を持ってしまったり、割り切れなかったりする人が、真面目に介護をやっている。
自分中心にものが考えらる人なら楽だけど、できないからやっている。
と言うことは、結局は自分のためにやっている側面も大きいか…
と思えば、少し気が楽になり、少し割り切れる。^^;
ほんとに、まさしくです…
私もできることをできるうちに精一杯やって、孫守りとか始まって、実母onlyの生活が無理になったら、悪いけどはっきり伝えなきゃいけなくなるであろうと…今から覚悟してます。
それでも「そんな娘に育てた覚えない!」と言われるかもしれませんが…
やれる事には限界がある…と、割り切るのも結構な重圧で、毎日様子を見に行ってますが、命の終わりなんて誰もわからんから、見に行った時に倒れてるかも…と常に緊張も感じてて、ほんとに正直日々がしんどいです。
施設側からすれば、モンスター家族かもしれません。
でも、後悔しないようにと、やってきたことを
続けようと思いました。
副鼻腔炎の手術を勧められており、
(今は、やりたくないのですが)そのときは、
一週間の入院なので、お願いするつもりです。
「後悔しない介護は無い」
私もそう思います。
「友人から介護は自己満足だと言われた」
これは、はる様でしたか。
以前、このコメントを読んだとき、私も腹立たしく、
そういうふうにみられるんだと悲しくも思いました。
どうしても、「自己満足」という言葉が引っ掛かり、
そうではなく、ピッタリの言葉を探しました。
私は、「義務感」だと思っています。
どちらにせよ、開き直ること、ですね。
在宅介護のときも、そこまで、やらなくてもとか、
施設に入所させたほうがいいとか言われました。
そそ、割り切れないから、愚痴を言いつつ、
ムカつきながら、在宅介護して、
面会に行かないと罪悪感を覚え、何かしないと
気になる・・・。
「割り切れないからやっていて、やらなければ罪悪感で、
自分が潰れるからやっている。」
ほんまに、的を得ている言葉です。
私は、もう、自分の人生は諦めました。
というか、出たとこ勝負ですかね。
一周忌だと、まだまだ、寂しく思うことがおありに
なると思います。
「人間は何か使命のようなものを胸に抱えて産まれるそう」
うーん、使命ですか・・・。
人生の岐路で、どっちを選ぶとなったとき、
自分自身で選びましたから、最終的に母の面倒を私が看る、
これは、どうにもならなかったなと思い、この頃は、
これが私の人生かもと思うようになったところです。
「よしよし良くやってるよと自分を撫でてあげましょう。 」
大事なことですよね。有難うございます!
できることを精一杯やる、
それでいいと思っています。
認知症が進行して、「「そんな娘に育てた覚えない!」
なんて、言ったこともわすれますから、大丈夫!!
ほんに、見に行ったときに倒れているかも・・・と
思うだけでも、気が重いですね。