昨日は、いいお天気でした。
風もなく、崖の上にあるアパートのベランダは
布団干しには申し分のない日。
眼下の老人ホームを見ると、正面玄関にパイプ
椅子を並べていました。
確か、こちらも外出はともかく、面会禁止のはず。
で、気になって、部屋からベランダへ出ては下を
見ていました。
入所者さんが出てきては、椅子に座り始め、職員
さんが、その中央付近に座った人達に個人名の
名前が書かれた大きな紙を持たせていました。
こんな情勢下、お客様でもあるまいし・・・。
すると、白い寝台車が、その前に止まりました。
そこから、位牌を持った女性が降りて、皆さんに
頭を下げていました。
ああ、病院で亡くなった入所者さんが、暮らした
施設へ挨拶に寄ったんだわ・・・。
そして、お昼過ぎに猫の佑介くんのお母さんから
連絡を頂きました。
集団リハビリでは、芸術的な才能を見せ、いつも
お洒落なOさんが、朝、亡くなったと。
アタクシは、前々日に施設の玄関で、通院から
戻ってきたOさんとお会いしていたのです。
まぁ、Oさん、お元気ですか?
と声を掛けると、ニコッと笑ってくれたのです。
なんだか、弱々しくなられたなと感じたのですが。
それでも、車椅子に乗るでもなく、お孫さんに
連れられ、歩いてユニットに戻られて行きました。
玄関先であった、看護師さんとも賑やかに話を
していたのに。
一寸先は闇。
看取りの状態であるならば、わかるのですが、
お元気なご様子の方がと思うと・・・。
いつ、何が起きてもおかしくない年齢です。
母にも言えること。
覚悟しておこうと思い直し、電話を切りました。

喫茶のボランティアを一緒にされている方に、
Oさんのご逝去のことを伝えました。
もう、お会いできないなんて、寂しいわ。
また、喫茶も再開するわよね。
皆さんの中でも、ちょっと有名なOさんでした
から。
その方は、町内会で役員をやっています。
市役所との打ち合わせでは、目途がつくのは
6月ではないかという話があるそうです。
6月ねえ・・・。
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コメント
コメント一覧 (8)
面会を自粛してそのあと禁止となり、しばし会っていなかった姑が、急激に弱り入院しました。
医師からは、老衰なので治療はできないといわれました。面会は当然できなかったのですが、病室の入口までは入れてもらい様子をみました。声かけには反応するものの、すぐ目を閉じて寝ていました。夫と夫の兄で今後のことは決める事になります。施設に戻り本当に食べられなくなるまでみてもらうか、病院で点滴をしながらみてもらうか。
点滴は不要なからだには苦しいものと聞きましたが、苦しいのでしょうか。もう、点滴も不要なのでしょうか。もしかしたら、母のように復活するかもしれないと思ってしまいます。
コロナの対応で近くでは様子も見られないなか決断しなかてはいけない、こういう状態の方もいるんでしょうね。病院に行ったらこうなるというのも思い出しました。でも。
すみません、誰かに聞いてほしくて長々と。
ありがとうございます。
それで、数日でも寝込まずに逝かれたのなら、正直羨ましく、理想的なお話。
と、思う私。 合掌
私もそんなふうに死ねるなら幸せだろうな…と思いました。
既に他人事ではない年齢なので。
そうそう、あんずさんが書かれていた、コロナの人工呼吸器不足の時は誰に遠慮してもらうかの話…
今朝、年齢が上な人から順に遠慮しなきゃねと話しておりました。
その場合、人工呼吸器無しで最後まで頑張るのはかなりの苦痛でしょうから、先に安楽死法を成立させていただきたいです。^^;
いつも読ませていただいてます。
私も93歳の父を老衰で看取りました。入居していた特養は看取りはせずに最期が近くなったら系列の病院へ入院と言う約束でしたが、特養にお願いして点滴も何もせずに気に入っていた部屋で最後まで居させていただきました。
インフルで面会禁止でしたが、1日1回、1時間程の面会許可を得て、ただただ眠るだけの父の側に居ました。
静かで穏やかな最期でした。
いろいろな選択肢はあるでしょうが、私は満足しています。
介護する人も介護される人も心安らかでありますように。
2年前の1月31日、義母が圧迫骨折で入院しました。2月の7日に大雪になるまで、ほぼ毎日面会に行ってたのですが、翌日から記録的大雪になり車が轍ではまり身動きとれなくなるほどで、雪掻きしてもしても追い付かない日々が続き、10日間程私も夫も面会に行けませんでした。
その時「誰も見舞いにも来ん!こんな所退院する!」と我儘言って暴れて、勝手に退院しました。
十分に治ってもなかったのに…
思えばそこから、足も腰も認知症も転げ落ちるように悪化しました。
2年前は10日間誰も来ないと認識できたから、腹が立って暴れたけれど…今は3週間たっても誰も来ない事、認識できてないでしょう。
施設からは「変わった事があれば連絡します」との事で、何も連絡なく過ぎているので…ただひたすら寝て起きて、経管栄養で生き長らえる…
ほんとに気の毒な事になってしまいました。
そうでしたか。老衰・・・
もう水分も受け付けないのでしょうか。
その場合は、注射をすると、細胞が壊れて死期が早まるとか。
もし、施設で看取りをしてくれるなら、
戻ったほうがいいかもしれません。
あとはご主人様ご兄弟のお気持ちですよね。
施設のほうが面会しやすいとは思います。
前々日、お会いした時は、しっかりされていました。
二人のお孫さんと一緒で、1人が車を駐車場に入れに行って
いる間も、「○○はどこへ行ったの?」とちゃんと
情勢を理解されていました。
家族も、施設の職員にも迷惑を掛けず、よくいう、
ピンピンコロリですよね。
そそ、私もロコ様の意見に大賛成です。
「人工呼吸器無しで最後まで頑張るのはかなりの苦痛で
しょうから、先に安楽死法を成立させていただきたいです」
モルヒネの投与量の許可が欲しいものです。
こちらこそ、初めまして。
ブログを読んでいただき、感謝です。
気に入っていたお部屋で、何もせず、静かで穏やかな最期。
お父様でなくても、私もそういう最期を迎えたいです。
もし、母が面会禁止中に看取り状態になったら、
ずっと、そばにではなく、日々、短時間の面会で
いいと思っています。
特に、看取りの出来る文福がいますので、
彼にお願いしようと思います。
同じですね。
施設から何も連絡がないし、洗濯物を持って行っても、
どうしたという話もない・・・。
ということは、元気でいるんだなと思いだけ。
そそ、「誰も来ない」とも思わず、過ごしているんでしょう。
半年行かないと、忘れてくれるかもしれませんが、
3か月くらいなら、思い出すかな。