思えば、アタクシの人生は「タラレバ」でした。
♪思えば、これまで、色々あった
いい時あれば、ひどい時もあった♪
あのとき、ああしていレバ、こんなことには
なっていなかったかも。
あそこで、こうしていタラ、こっちの道を選ぶ
ことはなかったかも。
まっ、一番の岐路は、出戻ったこと。
出戻ったことが、後々、介護へと突入した
のですから。
コロナ禍の今、思えば、東京を離れなけレバ
よかった・・・。
なんだかんだと、背負っていたものを、エイッと
投げたかったこともあったし。
アンタ達、あたしを騙したわねっ!!
と言われてしまったアタクシ。
そういう母をなんとか、宥めるべく、というか、
後ろめたさをカバーしようと、思えば、遠くに
きたもんだ。
スタスタと歩けず、まだ少し足を引きずりつつ
山の下にある郵便局へ。
母の健康保険証が届いたので、それを簡易書留で
施設へ郵送するため。
トボトボと歩きながら、なんだかなあ、遠くに
きたもんだと思ってしまいました。
まさか、新型コロナウイルスという未知のものに
こんなに翻弄されるとは思いませんでした。
抑えていた気持ち、東京をはなれなけれレバ、
が、フツフツと湧き上がってくるアタクシ、
です。
keep your social distance
自分を、貴方の大事な人、周囲の大切な人を、
そして社会を守りましょう!
感染拡大を防ぎましょう。
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コメント
コメント一覧 (12)
そうですねぇ‥「タラレバ」私にもありますよ。たくさん。しかし、過去には戻れませんからね、いや、戻れたとしても、修羅場の介護が後々待ってるなら、戻りたくはないです。でもね、その時の私は、きっと懸命に考え答えをだしたはず、なんですよね。おかしいな‥‥人生って、こんなもん?
あんず様は、やはり東京の方が良いですか?
介護を終えたら、好きな場所に住めそうな気がしますが、引越しや年齢の事を考えると、ちょっと考えてしまいますね。
それにしてもGO TO キャンペーン、恐ろしいキャンペーンだわ。
東京での感染者が連日100人越えなのに、政府は何を考えてるんでしょう。命を軽く考え、経済を回すという荒業。
このキャンペーンである程度の感染者は想定内だと言う。きっと感染者が全国に広がっていくでしょうね。怖い怖い。
緊急事態宣言とか、東京アラートは何だったのでしょう。
昔、戦争が始まった時は、政府の強行突破でこんな感じだったんだな、とふと思いました。
私の介護の大先輩、両親を一人で介護した方と話しました
お父様が入退院を繰り返し、もう、ダメかもしれない時に、退去の話しされ
もう少し待って欲しいと、頭下げたそうです。結局、退去させられ、数日後亡くなり、挨拶に行ったら、あっそうですかと
言われて、挨拶行かなきゃ良かったと言ってました。
特養から、来週の先生の話し、同席しても良いか?連絡きました。
今月一杯は、部屋代払うと、話したばかりなのに、。
私も、ダメだろうと、覚悟してますが、もし、もし、戻れる事になった時の事考えると…
なんだか、食欲なく、眠くて仕方ありません
郵便局に委任状もらいに行かなきゃ…
バスタオルが足りないと言われて
買いにも行かなきゃ…なんですが。
感染者数見ると、また、自粛になるかもしれない、友人と、会っておかなきゃねと、話してます。
父が認知症にならなければ…
どんな日々を過ごしてたのか…
考えても仕方ないですが
ありがとうございます
「タラ・レバ」を拒否しながら生きようと思ってきましたが、出ます。
今思うことは、母を引き取らなけレバ、進行を防げたのではないか、と。
岩手で自由に、孫・ひ孫に囲まれて暮らしてタラ、もう少し歩けていたのではないか、と。
「淋しい」と、言われると、自分を責めてしまいます。
自分の人生であって、そうではない。
何が正解かも判らずに、進んでいます。
・・・・たら。
・・・・れば。
只今私は たられば の世界の海を泳いでいるような毎日です。
まぁ、それは母の介護に限った事ではなく自分自身の人生に置いても・・・。
今月、私はまた一つ年を取りました…苦笑
母がこの世にいない日常で迎えた初めての誕生日でした。
誕生日なるものは自分を産んでくれた母親が我が子を命がけで頑張った日でもあるわけで…。
私はいつしか自分の誕生日をそんな風に考えておる次第です。
が、今年の誕生日は有難い事に沢山の友人からメールやプレゼントが届きました。
母を亡くした私を気遣ってくれる優しさが身に沁みました。
たられば
私の命の尽きる瞬間までありそう。
我が人生に悔いなし!
なんて…真実言い切れる人はいるのかな?
いるとしたら、そう言って過去の憂いを振り切っているだけだと思います。
未来がわからないから人は生きていける。
わからないから介護も続けられたのです。
わからないって不安だけど希望も持てます。
人生は良いこと悪いことの繰返しだし…。
そういえば!
母の座右の銘は【ケ・セラ・セラ】
なかなか大陸的な物の考えをする人で神経質な父とは水と油の関係でした(笑)
こんなご時世です。
明日は何が起こるかわからない。
それは常に頭に入れておくようにしています。
ですが、
母に倣って私も基本【ケ・セラ・セラ】の精神でいようと思っています。
そそ、はるはる様の言う通りです。
「タラレバ」ですが、過去には、特に在宅介護には戻りたくない。
ただ、もっと若かった頃に、自分の老後のことも
考えておけばと思ってしまうのです。
あ、これも、「タラレバ」ですね。
私は関西で育ったので、そっちの方もいいなあと。
でも、それはもう少し若かったら実行できたかも。
東京は、友人達がいるから。
GoToキャンペーンは東京を外してとか。
それも、どうなんでしょうね。神奈川、埼玉、千葉も
東京の一部という感じなのに。
横浜市長の態度にも、怒りを感じます。
こちらこそ、はじめまして。ブログをお読みくださりありがとうございます。このコロナ禍のなか、気を遣われることも多いことでしょう。母をお願いしている家族としては、介護職の皆様には、頭が下がる思いでいます。感謝しています。いやいや、せん妄、幻視の
周辺症状が出ているお母様の介護とお仕事、それこそ、気の休まる時間がないでしょう。
認知症の進行状態で、一番大変というか、精神的にやっていられない時期ですね。
情けなさと絶望感に苛まされたことを思い出します。真っ暗闇のトンネルの中にいるような時期ですね。来年と言わず、今でもと思いますが、それでも、要介護度が2だったりして特養に入所させられないんですよね。どうか、ご自身の健康を第一にして、お過ごしくださいね。
3.のコメントは、消しておきました。50歳のときに、勤めていた会社が倒産。
次の仕事を探しているうちに、母が認知症に。それから在宅介護が始まり、あっという間に10年が過ぎて、大腿骨骨折から、老健、特養へ。仕事らしいことは、母を入所させてからバイトをするだけ。規則正しく、勤務することが普段からなく、気の緩みもいつも以上だったのでしょう。喉の奥の病気も辛いですよね。だるさが出たり、飲み込みが悪かったり。鼻と喉はつながっていますから、よくわかります。子供に向かって、言いたいことを
言えるのが羨ましいとおっしゃるのもわかります。あれもこれも経験。経験してきたから
「タラレバ」になってしまうんですけれど。
「もう、ダメかもしれない時に、退去の話しされ」
なんで、そんなときに話を出すのでしょうか。
神経を逆なでされているような気がします。
施設側も、算盤をはじいているんですよね。
たまのママ様の現実は、将来の私も必ず通る道。
今から覚悟するようにします。
食欲もないことでしょう。もし、お友達と会えるのなら、
そのときに、ちょっと美味しいものでも召し上がってください。
どうぞ、ご自愛くださいね。
人生って「タラレバ」の連続だと思います。
そのときは、そのときの状況に合わせて、将来なんか、
ぶっ飛んでいます。
うーん、美代母様をそのままにしておけば、また、
別の問題が出たことでしょう。
お嬢さんのご家庭に火の粉が飛んだかもしれません。
そそ、もう少し歩けたのではないかと思うこと、
よくわかります。あっという間に歩けなくなりましたから。
「淋しい」と言われるたびにご自分を責める、
これもよくわかります。
美代母様は、「淋しい」と言って、気持ちを発散されて
いるだけなので、にゃんズの母様、それに振り回されませぬよう。
どれが、正解か、最期を迎えたときでも、わからないでしょうね。
今月がお誕生日なんですね。おめでとうございます。
この年齢になると、めでたくもないと思ってしまうのですが。
私だけかな?
「母がこの世にいない日常で迎えた初めての誕生日」
なるほど、同じ誕生日でも、違うんですね。
そそ、友人からのお祝いは嬉しいです。母が忘れても、友人が
覚えていてくれましたから。
「我が人生に悔いなし!」
私はたぶん、最後の最期まで、そうは思わず、グジグジと
後悔しながら、この世に別れを告げそうです。
でも、認知症を発症すれば別ですが。
【ケ・セラ・セラ】
いいですよね、この感じ。
なるようになる・・・。
私も、紫陽花様のお母様のようになりたいです。