普通の病気は看護すれば回復しますが、介護の
ゴールは多くの場合、「死」。
死に向かってのお手伝いはシビアです。
ある意味、腹を括らないとできません。
前回のブログにも、リンクさせましたが、
老親の介護、もう限界だ。
いっそ、どこかに捨ててしまいたい。
俺にはどこにも逃げ場がない。
PRESIDENT online より
この記事の中に、少々、衝撃的な表現なんですが、
介護のゴールは多くの場合、「死」。
多くの場合ではなく、間違いなくですわ。
先日、逗子に住むクラスメイトとランチを
しました。
中学・高校と関西で暮らしておりましたから、
勿論、彼女の実家は関西。
彼女は四姉妹の次女。
すぐ、下の妹さんが実家でお母様の介護をして
昨年、見送りました。
やはり、独身であったことと、在宅で仕事を
していたので、そのまま、残った次第。
アタクシは出戻って、母と二人暮らし。
お母様も、妹さんも同窓生なので、何度か
学校の行事でお二人にお会いしたことがあります。
毎回、お母様とご一緒に行事に参加されて、
短時間過ごして、帰っておられました。
アタクシは、お母様を見送った後の妹さんが
気になっていました。
クラスメイトに、聞いてみました。
妹さん、どうしてる?、お元気?
元気は元気だけれど。気落ちはしている・・・。
でもね、生活しなければならないから、仕事は
しているから大丈夫。
親の介護のために仕事を辞める人が出てきました。
それは美徳でもあるのですが、できれば仕事は
辞めないでほしいです。
たとえ時間が短くなろうと、仕事の時間や
居場所は大事にしたほうがいい。
逆に言えば自分の100%を介護に費やさずにすめば
ベストかもしれません。
介護のゴールは「死」です。
親がいなくなれば、燃え尽きて生きる気力もなく
なります。
「もっと何かできることがあったはず」と
いつまでも悔やみ続けるのも切ないものです。
やはりどこかで自分を保つ部分がないと。仕事は
生計だけでなく、自分自身を維持するもの。
そのためにも、辞めないでほしいのです。
アタクシは、10数年前に辞めちゃった・・・。
帰り際、クラスメイトがアタクシに言いました。
あんずさん、この間、転んで捻挫をしたのよね。
気を付けるのよ。
と言われて、駅で別れて、バス停に向かう途中、
転びましたぁ。
お尻からドン!と。
帰りに買った卵がクッションになり、何事も
なく。
エコバックの中の卵は、たった1個だけ残り
ました。
有難う、卵ちゃん。
keep your social distance
自分を、貴方の大事な人、周囲の大切な人を、
そして社会を守りましょう!
手洗い、消毒、マスク
大人数での食事に会話、気を付けることは
変わりません
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コメント
コメント一覧 (17)
怪我無く良かったですね
私も最近転けて、ついた青あざが
やっと、ほぼ無くなりました😅
でも、触るとまだチョイ痛い
気をつけなきゃなぁ〜と思いますが…
何時でも気は付けているんですよネェ😫
今回のタイトルを見てドキッとしました!
そうです。
介護のゴールは間違いなく「死」です。
「出来れば仕事を辞めないでいただきたい」
介護に関する記事やテレビ等でよく聞きます。
私はこの言葉にいつもモヤッとします。
認知症介護を甘くみてもらっては困ります。
いや認知症でなくても介護家族の現状は百の家族があれば百通りのやり方があるのです。
目を離す事が出来ない認知症介護の日々。
私は「仕事辞めるんじゃなかったなぁ…」と一度も後悔したことはありませんでした。
不器用な人間ですから職場では切り換えて母の事、家の事は考えない。
認知症が進行するとそんな割り切り方は到底出来なかったです。
仕事を辞めて在宅介護が始まり数年後・・・
母を介護中も「いつまで続くんだろう」と思うときにいつもつきまとう罪悪感…。
介護の終わりは「母の死」ですからね。
介護経験の無い人は絶対に経験しない感情。
母の介護を終えた私ですが…
いろいろ複雑な感情の中で私なりにその日、その日を頑張ってきたことに悔いは無いです。
それくらいの自負は持っていたい…涙
今は焦らずに自分の将来に向き合います。
「いつまで続くのだろう」と思う時の罪悪感…痛いほどわかります。
介護自体も辛い事は多いのですが、何より辛いのは思っちゃいけないことをフッと思ってしまった時の罪悪感や自己嫌悪に苛まれる事が一番苦しい…
前コメントにコメント入れて頂いていた事、今気付きました。
あんず様や紫陽花様やたまのママ様の温かな励ましや共感に泣けました。ほんとにほんとに救われました。ありがとうございました。
遠くて会いに来れないなら、せめて母にメールや電話をしてあげてほしいと伝えましたが、それすら全く…手伝いも労いも全くなく、私も姉を許しません!
こんな血も涙もない姉に、認知症の母の介護も任せられないと、私も思ってます。母が可哀想な目にあうことになりますから…
一人に任せてごめんね、こんな温かな言葉があれば、ほんとにブラックな心も洗い流せるかもしれません。
でもあの姉には全く期待なんてしてません。
だから私が頑張らねば…と思う一心で介護してますが、認知症介護はほんとに大変です。
やはり仕事しながらの介護は、私には無理だったと思ってます。
早期退職でゆとりある生活を味わってみたかったのですが、如何せん『自分の80%を介護に費やしてる』状況です。
今日、母の日記に「一人は寂しいです。でも頑張らなくてはいけません。」とありました。切なくて泣けました。
明日納骨で北海道から兄が帰って来てます
兄には何も言いませんが
ケチです。花は近所の激安スーパーが安いだろうと。安いけど、、普段は良いけど…私は嫌なので花屋に行き
お供えの果物も、そんなに出すのか?と
お前は金出さないんだから
黙ってろっ。です
父は赤い花が好きだった
柿が大好きだった。兄にはわからない事です
好きな物供えてあげたい
私は今在宅介護ふり返り
介護サービスをフルに使えば
仕事辞めなくてすんだかもしれない。けど…認知症がすすみ、徘徊始まり夜物音で目が覚めた日々
結局、介護と仕事の両立は無理だったと思います
あんず様、かりん様、紫陽花様、一人で頑張ってる介護者、頑張った介護者に、良かった事がありますように。
あります!
ほんとに介護したものにしかわからない…
頑張ったご褒美は、色んな形に変えて、頑張った人に返ってきますよね。
そう信じて頑張りたいと思います。
こんばんは。
ご無沙汰致しております。
私もどうやら『ゴール』を迎えたようでございます。
私に涙はありませんでした。
冷たい娘だな、と、自身で感じます。
死別が悲しくないわけないのですけれどね、ゆっくりと覚悟はしておりました。
特養の四年間は、母にその時間を贈られたような気がします。
こちらのブログにお邪魔し、介護認定から在宅、特養まで、あんず様と御一緒に母と向き合って頂いていたようで、大変心強かったです。
ありがとうございます。
ゴールを迎え、次ぎは父親かな、と新たなスタートを迎えそうです。
お身体お大切に御過ごし下さいね。
たまのママ様
お気遣い ありがとうございます。
現在、介護を懸命に頑張っておられる方々。
大変な日々の介護を終えられた方々。
お一人で介護を頑張ってこられた、たまのママ様にも良い事がいっぱい訪れますように願っております。
お互いに…介護、お疲れ様でした。
ま、私はまだ元気な父がおりますけど…苦笑
コメントをお返しするのが遅くなり、ごめんなさい。
ほんと、このところ、簡単にこけることが多くなりました。
部屋の中で小指をぶつけることも多いです。
気を付けているのに・・・
足が上がっていないというか・・・。
このときも、バスに乗る時間が気になって
小走り。それがいけないんですよね。
慌てない、足元を見て歩くこと。
コメントが遅くなりました。
今の私には、介護がなく、ひたすら、元気なんだろうか?
と気をもむだけです。
施設から連絡がきたら、その時は覚悟せねばと思っています。
在宅介護から施設に入所させてしまった分を面会でと
考えていたのが、コロナ禍で全くダメになりました。
今度という今度はないのだと思っています。
私が会社を辞めた時は、48歳のとき。
もう一度、就職するつもりが、母の認知症が発症して
そのまま、介護へ突入。
仕事を持ったままの介護は経験がありません。
もし、仕事をしていたら、ヘルパーさんを嫌がる、
デイへ行くことを嫌がる、そういう母に対して、
仕事を理由にデイへ行って貰えたのではないかと。
母の言いなりに介護することになってしまった。
でも、今となってはなんとも・・・。
これからのことは、紫陽花様やたまのママ様の
コメントを読んで、ああ、こういうことになるのだと
教えて頂いています。
なかなかコメントを返せなくてごめんなさい。
「いつまで続くのだろう」とか、「死んでくれたら・・・」
長くて真っ暗なトンネルの中にいるような絶望感。
介護をする上で、持つ思いですよね。
そして、必ず、自己嫌悪。
介護は自己満足と言われたとコメントに書かれて
いる方がいました。
施設に入所させて、面会することで、自己満足しているのかなと
思うことがあります。
お母様の日記、私も涙が出ました。
ご自分がわからなくなってくることが、お分かりに
なっているのでしょうね。
お姉様が、一言、かりん様に「有難う。頑張ってくれているんだよね。」
と言ってくれればいいんですよね。
母を物忘れ外来に連れていったとき、担当の女医さんが、
「一人でよく頑張りましたね。」と声をかけてくれました。
これを聞いたとき、ボロボロと泣いてしまいました。
その一言だけで、救われたものです。
かりん様、まだまだ、苛立つことや絶望感に苛まれることに
なると思います。
でも、応援団がいますから、お互いにがんばりましょう。
ほんとにいつもあんず様のお言葉、このブログの存在に救われて癒されております。出会えて幸せです。ありがとうございます。
コメント返しが大変遅くなりました。
母のことが何もわからず、私は少し落ち込むというか・・・。
時々、気持ちが沈むことがありますが、電話がないことは
元気なのだと言い聞かせ、あまり、思い込まないようにしています。
お父様の納骨が終わられましたね。
これで、たまのママ様も気持ちが落ち着かれることでしょう。
お兄様が居る間は、我慢ということですね。
赤い花と言えば、今の時期は、曼殊沙華。
白と黄色もありますが、赤は幻想的で綺麗ですね。
好きな色があると、お父様を思い出して買うことが
出来るからいいですね。
父も固い柿が好きでした。お父様は、固めがお好きでしたか?
母は噛まずにつるんと食べられるような柿が好き。
干し柿が出たら、母の施設に差し入れをしようと思っています。
たまのママ様、お疲れ様でした。
お父様はちゃんとわかっておられると思います。
と、たまのママ様には言えますが、じゃあ、実際に
母を見送ったあと、自分でよくやったと思えるか
どうか、不安です。
在宅介護中、色々な介護があります。
介護をする皆さんにいいことがありますように。
たまのママ様、二度送信というコメントは消しておきました。
すみません、コメント返しをしないで、ブログの更新をしています。
施設にいる母がどのような様子か、わからない・・・
だからネタがない、と口実をつくっていますが。
いちろく様のお母様も4年間の施設暮らしだったのですね。
母も今、ちょうど、4年目です。
私も覚悟をしているつもりですけれど、実際になれば、
パニックになるだろうなと思います。
今年、11月がくると、5年目に入ります。
こうなったら、長生き出来るだけしてという思いです。
私がブログを続けられるのも、いちろく様はじめ、
コメント入れて下さる皆様方々のおかげだと思っています。
こちらこそ、有難うございます。
お父様のこと、男親は母親と違う苦労があるようです。
すべてがゴールするまで、応援しています。
紫陽花様も、いちろく様と一緒で、お父様がおられるのですね。
このブログを始めた頃、お父様を介護されている方から
コメントを頂いていました。
母と同じような症状だったのに、あっという間に認知症が進行。
1年して、亡くなられました。壮絶な介護で、父が50代で亡くなった
ことに感謝するほどでした。
どのような介護になるか、わからないものですよね。
今、介護が一段落している方々に、息抜きをしてくださいと
願うのみです。
かりん様のお母様は、今が一番大変なときです。
時間はかかりますが、やがては、記憶力ももっと落ちて、
扱いやすくなります。
そのころには、施設入所となることでしょう。
ストレスを溜めずに、なんでも、コメントをくださいね。
ここに吐露することで、ほんのちょっとでも心が軽くなりますように。