昨日のことでした。
横須賀市の一番の繁華街は、京浜急行の横須賀
中央駅のあたりです。
JR横須賀駅の付近は、何もありません。
バス停に向かって歩いていると、後ろから
大きな声が聞こえてきました。
お母さん、自分でミスを認めないといけないの!
家の中は、お母さんと私だけ。
だから、私は間違ってないんだから、間違って
いたのは、お母さんなのっ
認めないと間違ったままになるんだから。
その彼女は、ボーッとした感じのお年寄りの
ズボンの後ろをギュッと掴んで歩いている。
みるからに、認知症患者っぽい。
相当な大声で、何回も言っている。
夕方近くで、通りの小さなスクランブルの
交差点を結構な人が歩いているのに、彼女の
声が響いていました。
何かがおきて、人混みの中でも、どうしても
言いたい、母親を納得させたいのでしょう。
その気持ちも痛いようにわかります
母親は、大きな声で言われても、全く返事せず。
わかる?何度も言われて、やっと、うん、という
言葉が微かにきこえました。
アタクシは、彼女に言いたくなりました。
無理や。間違ったとは思ってないはず・・・。
ちゃう!ちゃうやろ、そうやないって。
アタクシも、なんとか母に間違ったんだという
ことを認めさせようとしました。
間違ったままでいいのだと思うまでには、時間が
かかりました。
いいと思いつつも、どこかにトゲが刺さった感は
抜けませんでしたけれど・・・
keep your social distance
基本に戻って、手洗いにマスク、消毒を忘れずに。
3密に気を付けて、go to イートも楽しんで
下さい。
ウイルスはとても身近に存在します。
ブログをお読み下さり有難うございます。
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コメント
コメント一覧 (10)
でもそんな事しても無駄な事もわかります…
まるで自分を見てるよう…
切ないです…
そんな時いつも思ってしまう。
一生懸命頑張ってる者が、さらに自己嫌悪になるなんてやるせない。
きっとその娘さんも後で、「言わなきゃ良かった。傷つけたな…」って思ってるんじゃないかと思います。
介護の辛さは、エンドレスに続く対応もさる事ながら、言っちゃいけない事を言ってしまった後の自己嫌悪だと最近つくづく思います。
かりん様のコメントを、そっくりそのまま使わせて頂きたい気持ちです。
我が母美代さんは、自分が間違っているとは思わずに、まだ言い返してくるので、余計にたちが悪いです。
この暮らし、何もかも捨ててしまいたくなります。
同じ空間に居ることに、嫌悪感さえ覚えます。
スミマセン、愚痴でした。
私はコロナウイルスと同じくらい認知症という病魔も憎いです。
誰も好き好んで認知症になったのではありません。
そしてまた私たちも「認知症にだけはなりたくない」と思っていてもなってしまう可能性があるという現実が恐ろしいです。
「人の世話になるくらいなら死んだ方がよか」とは元気だった頃の母の口癖でした。
残念ながら母の晩年は看護師さんやヘルパーさんのお世話無しでは生きていけない有り様でした。
母が誰に世話をしてもらっているのかさえ解らない「認知症」。
正直、わからなくて良かった…と思うことも長い介護生活中には沢山ありました。
他人様のお世話になるなんて!
母は死ぬほど辛く恥ずかしかったでしょうからね…。
もし母が認知症ではなければ母の身体の世話は全て娘の私がしないといけなかったかも?
そう思うと複雑な気持ちです。
あんず様が遭遇した母娘の光景は経験上、目に浮かんで来ます。
母が外出先のバスの中で嬉しさにお喋りする度に周囲の目が気になり「黙ってて!」と内心顔を赤らめながら思っておりました。
かりん様の言う「自己嫌悪」。
認知症介護とセットのように付いて回るこの言葉もストレスの大半を占めています。
私は「認知症」がやはり憎いです。
あんずさまの、ブログに励まされています。ありがとうございます😊
あんず様も皆さんも、私も、思いはみんな同じですよね。
どんどんボロボロになってゆく、それでも生き続ける父を、きっとまだ長い時間を一緒に過ごすんだという辛い思いと、まだまだ一緒にいたいと思う気持ちの間で、私の心も同じ様にボロボロになってゆくのを感じます。
私も、どうしても、訳がわからない母が許せず、
結構、人前で怒鳴り気味に言ったことがあります。
背中にその声を聞いたとき、振り返って、
何度も言っても、同じことをまた繰り返すから、
諦めほかないと言いたくなりました。
後悔をするんですが、また、同じようなことがあると
また、ついつい・・・
その繰り返しがずっと続きました。
そそ、すべてが、エンドレス・・・・
違う!と言っても、絶対に正しいと言い返してくる・・・
思い込んだら命がけ、っていうか・・・。
間違いを正さず、否定せず、
わかっているけれど、心が捻じ曲がるような感じですよね。
これは、認知症のなせるわざ・・・
にゃんズの母様、諦めるほかありません。
時間がかかりますが・・・
認知症に関しても、昔と違い、病理的にもわかってきて、
対処の方法がわかるようになりましたね。
「惚け」と言われて、まるで異星人のような見られ方でしたが。
ここ近年に、「惚け」も病気だと断定されて、長谷川先生が
「認知症」という病名を確立された・・・。
病気なんだと思うことで、我慢が出来るかと言われると
そうでもない。
ここで、あきらめがつけば、まだ、介護者は気が楽に
なるんですけれどね。
「自己嫌悪」
これは、今でも消えていません。
これでよかったのか・・・ずっと思い続けるのでしょうね。
お久しぶりです。
「嘘をつく」のも認知症の周辺症状。
ウソを言うのは、取り繕うこと。
なんとか、それでお母様はご自分を保っていると思われて
います。
そそ、情けなく思い、さらに、私はその嘘を許せませんでした。
介護する殆ど皆さんが、そう思っています。
ゆり様お一人ではありません。
元気を出してくださいね。
理解のあるご家族がいらして、羨ましいです。
「長い時間を一緒に過ごすんだという辛い思いと、
まだまだ一緒にいたいと思う気持ちの間」
その通りです。
この気持ちは、今も同じです。
母が施設に入ってから、「どうぞ、お好きなだけ生きて」と
思うようになりました。