母のめばちこは、10日前から変わっており
ませんでした。
今日は、施設(特別養護老人ホーム)から
母と一緒に車に乗せて頂き、病院へ。
母の目を見た女医さんが医局部長を呼んで、
二人でしげしげと局所を診て、デジカメで
撮らせて欲しいと。
これは、〇〇?、△△?かもしれないと言い
つつ、最初は針のようなもので、めばちこを
突きました。
痛い!!
母はしかめっ面。
針の先が入らず、結局、目に麻酔目薬を差し、
コンタクトレンズを大きくしたような目の
カバーをして、めばちこにメスというか、
ハサミを入れました。
痛い!、何するの、痛いと言ったら痛い!!
これっきりというほどの大声を出す母。
懐かしい大声、というのは、大腿骨を骨折して
入院した際も、そのフロアに響き渡る大声で
痛いと叫びましたから。
切開した部分から少し皮膚を切り、膨らんだ
部分に耳かきのような器具を入れて、小さな
塊を取り出して、シャーレの上へ。
結局、病名を告げられることなく、2週間後の
組織検査の結果待ちとなり、終了しました。
「痛くしてすみませんでした」と言われて、
愛想よく、答える母。
こういうところは、認知症だとは思えません。
「じゃあ、これで、終わりました」と診察室を
出ようとすると、母が言いました。
じゃあ、何を食べてもいいんですね?
はぁ?、さっき、痛い痛いと騒いでいたのは誰!
久しぶりに施設のエントランスホールにて。
Keep your social distance & Stay Home
緊急事態宣言解除はウイルスがいなくなった
こととは違います。
ワクチン接種をした人も感染しています。
まだまだ、感染予防は必要なことです。
「三密(密集、密接、密閉)」を避ける
「相手と身体的距離を確保すること」
「マスクの着用と手洗いや咳エチケット」
ブログをお読み下さり有難うございます。
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コメント
コメント一覧 (4)
骨折時入院されていた病院って
駅の近くのY病院ですか?
Y病院閉院したんですネェ
前に住んでいた所がどんどん変わっていきます…
お母様瞼早く良くなります様に。
こんな時、技術だけでなく心も素晴らしい医者かどうか、わかる気がします。
母が認知症の薬の副作用で嘔吐眩暈を繰り返した頃、あまりに酷かったので脳神経外科に2泊3日で入院して脳の検査をしたことがありました。
あの頃母は84歳でしたが、検査結果を母の目を見ながら母に説明して下さった医者には、とても感激しました。
義母の病院や母の病院に何度となく付き添いましたが、いずれの場合も一緒にいる義母や母には説明せず、私の目を見て話す医者がほとんどでした。
よく義母が「年寄りやと思って、誰も私の顔見て説明せんと、馬鹿にしとる。」と待合い室で愚痴ってました。
でもその脳神経外科の医者は、母にわかりやすいたとえを用いて説明してくれ、母も「へぇ~そうなんですか。」とよく聞いていました。
まぁ認知症だからすぐ忘れるでしょうが、何となく温かみを感じました。
あんず様のお母様の目、早く良くなるとよいですね。
そうなんです、駅からすぐの、Y病院に入院しました。
ビックリ仰天の病院でしたが、やはり閉院したんですね。
でも、あの病院だったから、認知症で荒れ狂う母を置いて
くれたのかも・・・。
大声に、看護師さんの頬を挟み打ちにしたし・・・。
普通の病院なら、「お帰り下さい」でしたよ。
実際、T大学病院では、1泊で繰り上げ退院、
連れて帰ってくれと言われましたから。
現在の母は、好々婆になりました。
悪魔はどこかへいってしまいました。
私の耳鼻科の先生もそうなんですが、
形成外科の先生は女医さん。
女医さんってどちらかというと容赦ないというか、
柔らかい感じではやりませんねえ。
私は週に一度、薬を付けた綿棒を両鼻に2本ずつ入れるんですが、
クイッと奥まで入れます。
女医さんがお休みときは、男性医師なんですが、私的には物足りない(笑
母の目の淵の切開も容赦なくでしたから、かなり痛かったと思います。
認知症でも、わけがわかってますからね。
でも、治療が終われば、痛かったことも忘れてしまいましたから。
その一瞬でも、母達に寄り添って欲しいですね。