認知症初期の頃の母は、「死への恐怖」は
半端なかったです。
それで、パニック障害を起こすことがあり、
今の施設(特別養護老人ホーム)にお世話に
なっても、しばらく、抗不安薬を服用して
いました。
アタシ、一人で死にたくないのよ。
そのときは、ついて来てね。
生まれるとき、死ぬときは、人は一人なんよ。
なんで、あたしがついて行かなければアカン
ねんな!!
ハイハイと軽く流しておけばよかったのにと
少々、後悔していますが。
たぶん、今の母は認知症後期に入っていると
思われます。
「死への恐怖」もなく、というか、悪性で
あろうと良性であろうと気にもしない。
ただただ、「今ここ」だけ、そのときだけ
で過ごしているからでしょう。
この状態の母をみていて思うことがあります。
カトリックの教義の中に、「み旨のままに」
という言葉があります。
意味としては、「全ては神に任せればよい」
ということです。
今の母は、こういう感じで生きているんだと
思います。
カトリック信者である母が、その教義に添って
過ごしていることはありません。
信者であることも忘れていますから。
認知症は神様からの贈り物という他ありません。
Keep your social distance & Stay Home
新たに変異株、「オミクロン型」が発見され
ました。どんな変異株に対しても、基本の
感染予防は変わりません。
「三密(密集、密接、密閉)」を避ける
「相手と身体的距離を確保すること」
「マスクの着用と手洗いや咳エチケット」
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コメント
コメント一覧 (2)
『認知症は神様からの贈り物』
この境地に到るまでの道のりがなかなか!
でも、わかります。
母が認知症になった時はそれはもう不安だったし悔しかったけれど私の怒りの矛先は父でしたから不思議と母を見て情けないとかイライラは無かったです。
母をこんな風にしたのは父だと思っていたし、今でも思っています。
財布も父が握り母に“考える”という事をさせなかった。
母はただただ家事に明け暮れる生活でした。
この父の下で母を介護しながら…
私は母が認知症になったのは天の配剤とさえ思えてきました。
傲慢な父の下でいつまでも母に大変な思いをさせないためにも、認知症になって良かったのではないかと…。
母が亡くなった後の父はおとなしいです。
兄は「お前に嫌われたらおしまいだから」と言っています(苦笑)
今、私が父の世話をしているのは娘としての情では無く人としての道理からです。
見棄てるわけにもいかないし…。
何より大好きな母から叱られますからね…。
ほんと!
こんな感情は友人たちには話せません。
コメントを返すのが遅くなりました。
今回の手術と数時間の入院も、施設に戻るころには
すっかり忘れていました。
面会しても、部屋から車椅子を押されて出ていくと
忘れてしまう。年齢も忘れる。
いいことです。
私がこう思えるようになったのも、母の認知症が進行したから。
お母様が認知症を発症されたのも、おっしゃるように、
ご自分を守ることだったのでしょう。
お父様の介護は、お母様と違って大変だと思います。
どうぞ、ご自愛を第一にお過ごし下さい。