この頃のテレビは、電源を入れると2月24日に
開始したロシアのウクライナへの軍事侵攻した
ニュースばかり。
避難している建物をわざとばかり砲火を浴びせ
逃げ惑ったり、避難を余儀なくされる人々。
焼き尽くされた街中が画面に映し出される。
もし、母が認知症初期にこの画面を見ていたら、
何よ、アタシだって、空襲で中野(戦前、母の
実家のあった地域)の家が何もかも焼けっちゃ
たんだから!
と、叫んだに違いありません。
人のことよりも自分のこと。
或る意味、認知症になって理性が吹っ飛び、
本来の母であったのかもしれません。
大腿骨骨折後に入所した老健(介護老人保健
施設)の初日、職員さんに囲まれたところで、
手の甲を皆さんに見せて、
これはね、焼夷弾が落ちてきて、火傷をした
痕なのよ。
老人性のシミなのに、そう、説明して、皆さん
苦笑されていました。
次第に戦争については、話さなくなりました。
今、母は何も考えていないのかも・・・
と、アタクシが思いたいだけ?

地球上から、あらゆる争いごとがなくなり
ますように。
Keep your social distance & Stay Home
ウイルスは絶えず変異を起こしていくもの。
収束するのは、まだずっと先のようです。
withコロナの中、より一層行動をしましょう。
「マスクの着用と手洗いや咳エチケット」
「三密(密集、密接、密閉)」を避ける
ブログをお読み下さり有難うございます。
応援頂ければ嬉しいです。よろしくお願い
コメント
コメント一覧 (2)
何度も出かけて楽しかった旅行話より、〇〇が嫌だったとか、△△された事は忘れんだの…
しょっちゅう出てくるのが、4月14日生まれだったのに叔父が女の子は早く学校卒業させた方がいいと3月30日の届け出にしといたらしく、何をするにも生まれ順でいつも最後で嫌やった!と愚痴ったら、親から役場に勤めていた叔父さんのせいで3月30日生まれにされたことを知り、余計腹立った小学生の頃の話です。
そしてお盆に里帰りした時、兄嫁に言われたこと…腹がたって二度と忘れんと…
私はそんな母の腹のうちも知らず、夏休みと言えば1ケ月程お里に泊まり、従兄従姉たちと川で蟹とりや山で虫取りした楽しい思い出しかなかったです。笑
今はつい先日の孫娘のお色直しのお手引きして感動の涙流してた事すら、全く記憶にないそうです。
せめてその一瞬でも幸せを感じたなら、それで満点でしょうと思うことにして、3月30日にHBDランチをして今年も1年楽しんで下さいねとお祝いしました。
87歳の母とランチしながら、私はこの年までこんな風に歩けて喋れて食べれるんだろうか⁉️と…しみじみ思う今日この頃です。
嫌な記憶がしっかりしているのは、認知症初期だけ。
だんだんと後期にもなると、直近の記憶もですが、
過去の記憶も消えていきます。
だから、何を考えて生きているのだろうかと思うくらい。
そうなんですよね、お孫様のお色直し、せっかくの
素敵な思い出も忘れてしまう・・・。
母にもありました。しょっちゅう、言い続けた
気に入らないこと、悪口とか・・・。
それが、言わなくなりました。その代わり、
声をかけないと何も言わない、しゃべらない、
話をしても、チンプンカンプンなこと・・・。
まだ、お母様は初期の段階なので、いいことよりも
嫌なこと、悔しかったことを口に出されるのでしょう。
そそ、そのとき、そのときを楽しかっただの、
美味しかっただの、一瞬の幸せがまだ、あるだけでも
いいことです。
ランチをしながら、話が出来るのですから。
今の母には、どうもそれすらもないように思います。
仕方ない、それが最期へ向っていることだからと
諦めています。