(薔薇の季節。薔薇が好きだった母。)
昨夜、仙台の従姉と電話をしました。
昨夜、仙台の従姉と電話をしました。
従姉は、母が最後まで覚えていた、すぐ上の
姉の娘。
母の悪口を言っても、わかる!わかる!と話が
早い。
身体の痛みや痒みで、認知症初期の鬼婆状態で
あったこと。
「ばかやろう」、「うるさい」などの罵詈雑言
だらけだった・・・。
スタッフさんを引っ掻くは、腕を抓るは、爪を
立てるは、の暴力婆さんだったこと。
アタクシとしては、テレビドラマではないけれど
落ち着いた看取り期だろうと期待していたのに。
そんな思いを彼女にぶつけたところ、アハハと
彼女は笑い飛ばしました。
あんずちゃん、叔母様らしいじゃないの。
うちの母と叔母様、気性の激しい、なにくそ
根性の持ち主達なのよ、それが、メソメソと
「お世話になったわね。」なーんて、殊勝な
ことを言われたら、今頃、もっと気持ちが
落ち込んだわよ。
母の葬儀は、直葬も直葬、翌日には荼毘に付す
こととなり、施設退去した後の整理も月に一度の
資源回収日ですぐに処分。
あまりにさっさと片付いてしまって・・・。
あら、それだって、叔母様らしいじゃあない?
歯を食いしばっても、人の世話にならないという
姉妹だったもの・・・。
それよりも、あんずちゃん、もう、自由なのよ。
羽根が生えてどっかに行っちゃわないでよ。
もう少し、コロナが落ち着いたら、二人で温泉
でも行こうねと電話を切りました。
母の最期の最後が、鬼婆のようだったのが気に
なっていたのですが、従姉の言葉で、これも
母なんだと思いました。
施設(特別養護老人ホーム)のスタッフさんが
“お怒りでない、みっちゃんさんは、物足りない”
と言って下さったことも、母らしいこと。
昨日、出掛けるときは、雨が降っていました
ので、母の長傘をさして行きました。
ので、母の長傘をさして行きました。
帰りは晴れ間も出る雨上がり。
JR横須賀駅で下車。そのとき、車内に傘を
忘れてきたことを改札口で気が付きました。
駅員さんに今日中に終点の久里浜駅に取りに
行けば、大丈夫とのこと。
一度、アパートに戻り、久里浜駅に傘がある
ことを確認して取りに行きました。
母の傘ですから・・・。疲れたぁー
Keep your social distance & Stay Home
ウイルスは絶えず変異を起こしていくもの。
収束するのは、まだずっと先のようです。
withコロナとしての行動をしましょう。
「マスクの着用と手洗いや咳エチケット」
「三密(密集、密接、密閉)」を避ける
ブログをお読み下さり有難うございます。
応援頂ければ嬉しいです。よろしくお願い
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コメント
コメント一覧 (4)
薔薇の美しい季節ですね…。
わが家の庭にも白い小手毬の花の中から真紅の薔薇が咲き始めました。
薔薇の花が咲き誇る季節に旅立たれたお母様。
その天晴れな潔さに感嘆いたしております。
お母様の何もかもとそのお母様を介護されていたあんず様の良き理解者である従姉のお姉様の言葉によそ者ながら紫陽花も“ウンウン”と大きく頷いきながら読ませていただきました。
昨日は日記で11年間の“母の日”を振り返っていました。
そこには父の私への罵詈雑言も漏れなく書かれていて…今、その父の下の世話やらしている私の人生っていったい何なん?と苦笑いでした。
父の最大の罪は認知症でもなく健常者でありながらの私への罵詈雑言です。
少し認知が進んだ父は私に“ごめん”と言いますが何が“ごめん”なのだろうかと・・・。
今の唯一の救いはその父の介護に横から罵詈雑言を言う人はいないということくらい。
我ながら父の傍若無人な指示の中で母を介護していたなぁ…と思いますね。
母への“感謝と愛情”ゆえに耐えました。
父の最期の看取り。
果たして私はどんな気持ちになるものか…。
あんず様
従姉さんとの温泉旅行♪
きっとお母様もおば様も喜ばれますよ!
大切な傘も手元に戻って良かったです(*^^*)
私も大好きなヘルパーさんからいただいた傘を映画館に置き忘れた時に半泣きで走りに走った事を思い出しました…笑。
いっぱいいっぱい頑張りましたネ
ホントにお疲れ様です
従姉さんとお母様姉妹の話を沢山して下さいナ
私は介護中、
外面よし子の母が堪らなく嫌だった
心身共に疲れ果てていました…
最後の入院してから亡くなる迄の1年間
身体の疲れが無くなり
母の事を可愛く思えるようになりました
プロのスタッフさん達に任せられたからだと
感謝しています
今は我家の仏壇の横でデイサービスでの
楽しそうな写真の母と父の写真が微笑んでいます
従姉は、私の介護が始まったときから、
「早く施設に入れてしまいなさい。」と言っていました。
そして、深夜によく愚痴を聞いて貰いました。
同じような性格を持つ母親でしたから。
先日、親戚に見せる母の写真を整理してまとめました。
東京の狭い庭に薔薇を植えて、手入れし、咲かせた前で
写った母の写真をみつけました。
そうだった、こまめに尺取り虫を手で取って、世話を
してたっけと思い出しました。
傘に至るまで、結構、選んで買っていたんだと思います。
だから、私が使える・・・、母はそこまで考えて買ったのでしょうか。
お父様の介護のこと。
私の初期頃のブログにコメントを下さっていた方を
思い出します。
やはり、お母様が先に逝かれて、残ったお父様を介護され、
紫陽花様と同じように、罵詈雑言のお父様でした。
父親の介護って大変なんだとその方のブログを読んで
母親でよかったと思ったものです。
母と同じレベルの認知症でしたが、あっという間に進行して、
発症して1年で亡くなられました。
当時、母は認知症初期の悪魔のようでしたから、その方が
羨ましかった・・・。
お父様の介護、私には何も出来ませんが、
ただ、ただ、紫陽花様をギュッと抱きしめて(エアで)
よくやっていると背中をポンポンとします。
遠距離で、交代しながら、お母様の介護をされて
おられましたよね。
お母様の認知症に悪態をつく、のんきママ様に
私は同じ!わかる!!と励まされ、同士のように
ブログを読んでいました。
そうなんですよ。
身体的、精神的に楽になると、あんなに悪魔だったのに
可愛く思える・・・。
だから、周囲で、早く施設にお願いしたらと
勧められていたんですね。
今、介護でストレスいっぱいいっぱいで生活されて
いる方々には、プロに任せることを勧めたいです。
あんなに、早く逝ってくれないかと思っていたのに
出来れば100歳まで生きて欲しいと思うようになる・・・。
そそ、母を可愛く思う・・・