今日は、朝から雨が降ったりやんだり・・・。
ベランダから見える衣笠山は、次第に緑が濃く
なってきました。
ママ、雨が降ったあとだから、緑がきれいやね。
母に声をかけました。
しばらく、窓を開けて見ていると、思うのは、
どうして、看取れなかったのかということ。
いや、違う、「看取らなかった」こと。
母の寝顔をみて、どうも、危ないかもと思い
つつも帰ってしまったこと。
24時間の面会がOKだったのに・・・。
あのまま、残っていれば・・・・。
たられば、なのは分かっていますが、ついつい、
考えてしまいます。
どうしていたら心残りがなかったか。
施設(特別養護老人ホーム)に母を入所させて、
やってきたことは、頻繁に面会すること。
なんとか、入所させてしまったという気持ちを
軽くしたいがため・・・。
じゃあ、在宅介護をすれば・・・、でもそれも
無理だもの・・・。
やっぱり、看取りも同じような後悔の念が
残ってしまいました。

Keep your social distance & Stay Home
ウイルスは絶えず変異を起こしていくもの。
収束するのは、まだずっと先のようです。
withコロナとしての行動をしましょう。
「マスクの着用と手洗いや咳エチケット」
「三密(密集、密接、密閉)」を避ける
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コメント
コメント一覧 (14)
私から思えば、あんず様は本当に長らく真摯にお母様と向き合ってきて、誠意を尽くしてもう十分頑張っていらっしゃった、としか思えず…後悔なんぞ決してする必要はないと思えるのですが、それでも後悔の念は尽きないのですね。
心優しきお方は、結局自分を責めてしまうからなのでしょうか…
私も後悔しないよう、今できることを精一杯!と思うのですが、なかなかその域に達せず、きっとその日が来たら振り返っては後悔の渦に飲み込まれてしまうんだろうなぁ…なんて思ってます。
私も義母をグループホームに入れて最後の最後で看取ることができませんでした。夜中までついていて朝のことがあったのでその采配をと思い帰ったその2時間後だったんです!
なんでしらせなかったのですか?
施設側から言えばもういつ行っても仕方ない時期だったとの事でした。しずかに、家族のように看取っていただきました
お母様の最期の一日。
自分の行動や決断に対する後悔の念、痛いほどよくわかります。
それは在宅介護であっても同じです。
看取り期に入ってから母の状態は良い日と悪い日の波がありました。
亡くなる前日は朝からいつ逝ってもおかしくない状態でしたが頑張り一晩山を越えました。
亡くなる日の朝は呼吸も落ち着いて目もパッチリ開いて昨日がウソのような…?
今日は“良い日”と油断をして炊事洗濯いつも通りに家事をして母の介護は看護師さんとヘルパーさんに任せてしまいました。
お昼ごはんも母の側で食べずに2階の自分の部屋に膳を持って行きゆっくりのんびり食事をしてしまいました。
普通に2階から1階に行き居間にいる父に「お昼ごはん食べたら?」と声をかけながら母に目をやると…真っ白な今まで見た事のないような綺麗な顔をして眠っていました。
触らずともわかりました。
父になんと伝えようか?と頭の中がグルグルして…なぜ私は2階で食事をしたのだろう、台所に居たら母の異変に気づき側に行き手も握っただろうし声もかけただろう。
母の顔は穏やかだったので眠るように逝ったのだろうと思います。
心配症で恐がりのくせに母が落ち着いていると看取り期でありながらもどこか現実を受け止めてたくないのか?覚悟があるような無いようなフワフワした毎日でした。
どこか呑気な私らしいと言えば私らしいです。
“悔いる気持ち”があるのは相手への想いがそれほどに深いということの現れだと思います。
愛情があるからこそ後悔するのです。
そもそも「後悔しない介護」なんて無理です。
相手を思いその日その時を精いっぱい考えて「頑張った介護」こそが真実。
それがあれば充分胸を張って生きてゆけます!
いつもお母様にとって最善の事をしてきました
後悔は皆するんじゃないでしょうか?
文福君のいつもの看取り行動が無かったようなので
お母様はまだ逝かないと思っていましたが…
最期は神の意志、穏やかに神の元へいかれたのです
コロナ禍だったけれどお部屋で会えて…
あんず、有難う!と…
どうかご自愛下さいネ
父が亡くなり3年目
少しずつ、少しずつ、看取れなかった後悔の念が薄れてきましたが
忘れる事はないと思います
病院で一人で逝かせてしまった
何で待てなかったの?病室で泣きながら父を責めました…
時間薬…なのかな…
母のロングショートなどケアマネと明後日話しあいますが
いざ、母が家から居なくなる
追い出す事になる…
また、私の悩み、後悔が始まる。
寄生虫が家を出てくれたら、ギリギリまで大好きなデイに行かせてあげれたのに…
寄生虫が憎いです
デイの連絡帳に
ペットの話しになり、猫飼ってた
また、飼いたいわね~と話してましたと。
待つけど、猫と、また暮らせるよ…
寄生虫に話した近所のちくりま魔
誰だかは、なんとなくわかりますが
寄生虫が誰か、教えない為
いつ、また、ちくられるかと
見てる、聞いてる、恐怖です
買い物も、暗くなってからです
人間は怖いです
内情知らないくせに、介護した事ないくせに
まあ、怒鳴ってた私が悪いのですが
根本は寄生虫が居るから…イライラするのよね…ストレスたまるのよね
と
言ってくれたケアマネ、友人達
今は、母と小声で話してます
少しずつ、片付けてます
いつでも、出れるように…
自分の人生に、全く後悔がない人っているでしょうか。
大なり小なりあるのではないでしょうか。
でも、あんず様のお気持ちはお察しいたします。
自分に置き換えたら、同じ様に考えてしまうと想うのです。
わたし、岩手に戻ることにしました。
せっかく入所できた特養ですが、7月には退所させます。
家があるのに古河で暮らしているということは、金銭面も考えて、勿体ないとの結論です。
母に対しての中途半端な介護から逃れたくて、丁度空きが出た特養にお世話になりましたが、面会もままならない状態で罪悪感は増すばかりでした。
再度の在宅介護になりますが、少しは学習できていると思っているので、やれるところまでやってみます。
実家近辺にも特養はあるので、申し込みはします。
待機数が多いので簡単には入所できないはずなので、母の介護ともう一度向き合うことにします。愚痴は、沢山でると思いますが、笑って大目に見てくださいね。
人生は一度限り。
こういう人生があってもいいのではないかと、自分に言い聞かせています。
看取れるチャンスが与えられていたのにできなかった無念お察しいたします。
私は父の時も看取れませんでした。二人とも看取れなかった…ごめんね。
最期の瞬間に立ち会えることがどれだけ幸運なことかと思います。
どんなに誠意を尽くし頑張っても後悔はあるもの。私も実感しております。
お母様はあんず様に感謝されて穏やかに旅立たれたと思います。
少しずつ、日常生活が戻りつつあります。
お母様の認知症のお相手をしていると、腹立たしいことは
てんこ盛りにあることでしょう。
今は、後悔するかしないかよりも、ご自身のストレスが
溜まらないようにして下さいませ。
どちらにせよ、後悔するんですから。
腹を立てつつも、お母様を思う気持ち・・・。
それが、生活でもあるのですから。
「残されたものの宿命のように」
そうです、後悔しない日は、というか、時はないです。
思い出しては、後悔してしまいます。
もう少し、帰らずにそばに居ればよかったと・・・。
看取ったとして、後悔しないのか?とも思いますが、
その場合もまた、違う後悔をするのでしょうね。
実は、在宅介護をしていたら、看取ることが出来たのにと
思っていました。
紫陽花様の経験は、「看取る」ということはどちらに
しても難しいことなんだとわかりました。
そう、私も明日はきっと、母は調子がよいだろうと
期待してしまった・・・
施設のスタッフリーダーさんから、
「お母様は逝くところを娘さんに見せたくなかった
からですよ」と慰められました。
紫陽花様のお母様も、きっと、ゆっくりお食事を
しなさいとお気持ちだったのでしょうね。
お母様も母も、娘第一に考えてくれたと思いたいです。
「後悔しない介護」はない。
その通りです。
母に関すること、一つ、一つ、片付けている最中です。
今日も兄のところに書類を届けて、夜は、友人達へ何をお返し
するかをパソコンで検索したり・・・。
ふと、横を見ると母のお骨があるけれど・・・
なんにも言わない(当たり前ですよね、あったら、怖い!!)
このところ、慌ただしさは収まってきました。
ふっと母を思い出すことがあり、施設にもどこにも
いないんだと現実を感じます。
後悔の一つですが、痛みについて、病院で
診て貰うことがありませんでした。
ベットに乗った文福を手で払ったのも痛みのため。
それがあって、文福は看取りが出来なかったと
思います。
それも母の運命というか寿命なんだと考えています。
コメントを返すのが遅くなりました。
私も看取らず帰ってしまったこと、
どうしても、思い出してしまいますね。
3年経過しても・・・なんですね。
早く、猫のユニットに入所が決まることを
願っています。
たまのママ様もストレスを溜めないように、
って溜まるでしょうけれど、ご自愛下さいね。
もう一度、お母様と一緒に暮らすのですね。
その決意、私には真似が出来なかった・・・。
思っても、いざ、実行となると、やはり、
施設にと思ってしまいました。
岩手でも特養を申し込むと伺い、安心しました。
面会出来ないことは、とても辛いことでした。
まだ、少しでもお母様が動ける中で在宅介護を
すること。応援しています。
愚痴は溜めないで、どんどん、吐き出して下さい。
無理だと思ったら、プロの手を頼って下さいね。
コメントを返すのがおそくなりました。
「看取る」って難しいことだと実感しました。
おっしゃる通り、看取ることが出来るのは幸運なこと
ですね。
そのうち、私も納得するかもしれません。