アタクシの住むアパートの真下には、約250名の
老人施設があります。
アパートに戻るには、その施設の敷地の中を
通り、一番奥にある118段の石段を上るのが
近道です。
母が亡くなって、もうじき1ヶ月。
まだ、施設に居るのではないかという感覚に
なったりもします。
その反面、真下にある施設内の敷地を通りたく
ないという気持ちもあります。
母が元気なときは、なんでもなく、通っていた
のに。
母も施設に居てお世話を受けているんだと思い
ながら・・・。
亡くなってからは通りたくなかった・・・。
母は施設にも、どこにもいない。
頭が、とっ散らかるほど、慌ただしく過ぎて
いたのが、やっと少しずつ、日常が戻りつつ
あります。
泣きたくなるのも、これからかも・・・
でも、大丈夫!、日にち薬に頼ってみます。
なんせ、生活というか、生きていかねばなり
ませんもの。
Save your life & Know the virus
手洗いは基本中の基本。
マスクは、屋外・屋内で着用法が違います。
屋内ではマスク着用推奨。会話をするときも。
屋外では、夏場、熱中症防止の観点から
着用しなくてもいいケースがあります。
まだまだ、感染しない、させないを心掛けて
生活しましょう。
ブログをお読み下さり有難うございます。
応援頂ければ嬉しいです。よろしくお願い
します。
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コメント
コメント一覧 (9)
ずっと読ませていただいておりました。実家の両親の本格的な介護が始まりました11年ほど前、ネットで“介護”というと事務的なものばかりで、数年経ちあんずさんのブログにたどり着いた時には、息をつめるように読んでしまいました。
認知症への知識から介護する側の心情や施設入所への心構え・準備等々まで、あんずさんの御体験はすべてが貴重な言葉であり教科書であり支えでした。
父は一昨年旅立ちましたが、最近になり母が危うい言動をし始め、介護生活って切ないと思ってみたり、それでも長生きしてほしいと願ってみたり、本当に複雑です。
あんずさん、お疲れが出ませぬように。空の上から見守っていらっしゃるお父さま・お母さまが御心配せぬよう、今まで以上に元気に明るくユーモアを忘れず過ごしてくださいませ。
はじめての投稿ですが、なんだか胸がいっぱいになってしまって・・・・・・乱筆乱文お許しくださいませ。
“生きていかねばなりませんもの”
この力強い言葉にとても励まされました!
“日にち薬”…私も日々実感しています。
母が亡くなり2年半。
ポジティブな日もあれば亡くなった直後と変わらないくらいネガティブな日も未だあります。
まさに【生きていく】とはこの繰り返しです。
「お母様は逝くところを娘さんに見せたくなかったからですよ」
私も同じ言葉を訪看さんに言われました。
あんず様はお母様の急変時に今にも泣き出しそうなお顔をされてませんでしたか?
亡くなる前日の母は朝から呼吸も荒く私は一日中オロオロと子供のように泣き出し寸前の顔で介護をしていました。
夜中も夜通し起きる覚悟でいましたが3時頃に睡魔には勝てず横で寝てしまいました。
目が覚めた瞬間、しまった!と恐々母に目を向けると穏やかな呼吸で目を開けて私を見ていました。
“母との永遠の別れ”の日の私は朝から元気に家事をこなしてヘルパーさんと一緒に母の清拭をし身体を拭いていつも通りでした。
2階の自分の部屋で友人にメールをしました。
母が持ち直した経緯と看取りの覚悟をあらためて友人に送っていました。
恐らく私がそのメールを打っている間に母は一階の居間で逝ったのだと思われます。
今も私のスマホに残るその文面はポジティブそのものでした。
前日の泣き顔から一変、自分で言うのも変ですがメールを打っている私は明るく“いい顔”をしていたと思います。
母は“旅立つとき”を選んでくれたのだと…。
あんず様のお母様も同じだと思います。
泣きそうな気持ちを持ち直してお家へ帰って行かれたあんず様を見て、安堵されてお父様のもとへ旅立たれたのだと思います。
『娘第一に考えてくれたと思いたいです』
あんず様のこの言葉に紫陽花は救われました。
*追伸*
亡き人を想えば想うほど亡き人の周りには花が咲くそうです。
咲き乱れるほど花いっぱいにいたしましょう♪
今の私は愚痴や怒りがMAXの日の方が多いのですが、きっとそんなことすら愛しく思えてしまうのかもしれないですね。
父が生きてる時は、母になんやかんやと横柄だった事がとても嫌だったし、その事で父を咎めた事もあったのですが…
今、私がよく思い出す父は、お酒を嬉しそうに飲んでる姿やご機嫌な時の口癖など優しく温かな思い出ばかりです。
かなり認知が進んであまり上手に話せなくなった父が、寒い冬の牡丹雪がぼたぼた降る中、「風呂沸いたし、はよ入れや」と我が家まで来た時の笑顔は、今思い出しても泣けます。
母に風呂を入れてもらい、母がさっと自分も風呂に入ってる間に、いまだ娘の頃の私を思ってか歩いて3分の我が家に言いに来た…もう結婚して10年も経ってるのに…
「寒い中、言いに来てくれたん?ありがとう。今、入りに行くね。」と話を合わせて送って行きました。娘を思うあの笑顔は、決して忘れることはありません。
今は母とほぼ毎日のようにバトルしてますが…きっとその事もかけがえのない大切な思い出になるんでしょうね。
お悔みを頂き有難うございました。
また、かなり長い間、このブログにお付き合い下さり、
コメントまで頂いてとても嬉しいです。
ブログを始めた理由は、認知症の母、魔物のように
なってしまった母へのどうしようもない気持ちを
なんとかして、解消できる方法はないかと思いました。
「死んじまえ!」と思いつつ、介護をする、優しい気持ちが
微塵もない私、それを同じ介護をする方々にもわかって
欲しかった・・・きっと、同じ悩みがあるはずと。
だから、正直に述べてきたつもりです。
介護生活は切ない、そうなんです、真っ暗な出口のない
トンネルの中にいる感じ・・・。
早く終わってと願いました。
長生きを願い出したのは、母を施設に入所させてからです。
ワコ様の複雑な気持ちは当たり前です。
どうか、ストレスに推し潰れそうになったら、
プロにお任せすることを考えてくださいね。
やはり、母がいないのは淋しいし、会いたいです。
後悔ばかりです。
後悔をしないように、と皆さんに言いたいのですが、
実際はそんな余裕はありませんよね。
ただただ、ご自身を第一に考えてと言いたいです。
PCでも、乱筆でいいのでは?
腸と脳は繋がっているといいますね。
なんと、もうじき6月が終わろうとしているのに、
今頃、コメント返しをしていて、ごめんなさい。
規則正しい生活をしようと心掛けているのですが、
確かに気分にムラがあります。
グッタリしてしまったり、さあ、頑張ろうと思ったり。
紫陽花様のコメントを読んで慰められました。
母の死ぬ前日、私の予感は「もうそろそろだ」でした。
でも、職員さんの「朝になると元気で回復されるんですよ。」と
いう言葉を信じたいと思ってしまいました。
『母は“旅立つとき”を選んでくれた』
そうですね、その通りでした。
今、母に会いたいです。
話がしたいです。一緒に過ごしたいです。
『亡き人を想えば想うほど亡き人の周りには花が咲くそうです。
咲き乱れるほど花いっぱいにいたしましょう♪』
想っていいんですね。
ムカついたり、嘆いたり、そんな介護をしてきたんだと
おっしゃる通り、今は、愛しいです。
認知症は病気とわかっていても、娘としては、
あのしっかりとした母親はどこへいったの?と
思いますよね。
ついつい、その母親像と比べてしまうから
腹も立つんです。
当たり前の感情ですから、嘆かないでくださいね。