ここ数日、ガックリとしていました。
というのは、クラスメイトの一人が9月20日に
急逝したという訃報メールを貰ったからです。
一学年が80名という少数な関西の女子校でした。
それでも、あまり口を利かないという同級生も
いました。
急逝したクラスメイト、Dちゃんもその一人。
Dちゃんは小学校からの生徒でした。
女子校に有りがちな群れて行動することもなく、
どこか、冷めたところがあり、疑問に思った
ことは、それが生徒であろうと先生であろうと、
詰め寄るタイプ。
中学から編入したアタクシは、はっきり言って
Dちゃんが怖かった・・・。
だから、付き合いもなく、話すこともありません
でした。
18年前にmixiというソーシャルネットワークを
やり始めました。
Facebookとは違い、ニックネームでの登録。
メッセージをやり取りする仲間の中に、どうも
同じ学校の出身ではないかと思われる人物が
いました。
尋ねてみたら、それがDちゃんでした。
それをきっかけに、実際に会うことが多くなり
ました。
とはいえ、当時は母の在宅介護中。
母のショートステイに合わせて、学芸員だった
彼女が東京へ出張してきてくれました。
骨董品や陶器が好きなアタクシの友人とも
仲良くなり、よく三人でもんじゃ焼きへ行ったり
学生時代とは違った付き合いをしていました。
その後、mixiからFacebookへ移行して、お互いの
記事にコメントを入れ合うなど、存在を確かめて
いました。
今年の始めに、六甲山の山荘で過ごすことが
多くなったという投稿がありました。
本人の投稿はなくとも、共通の友達への
コメントが入っていたりして、元気でいると
思っておりました。
亡くなる一週間前にも、同窓生のぎっくり腰の
投稿のコメントに「安静して痛みが収まったら
筋トレしなければいけませんよ。」と書き込みが
あり、元気でいるんだとばかり。
学校の東京地区幹事をコロナ禍で3年続けました。
そろそろ、次にバトンタッチするために、今年
クラス会を企画しました。
群れを嫌うDちゃんは、クラスの一斉メールを
好まずにいました。
それを知っていたアタクシは、今回、関東の
クラス会だけれど、誘おうと思っていました。
その矢先の訃報メール。
メールによると、今年の始めには病気だったこと、
でも、ご主人様には、誰にも言わないでと言って
いたそう。
安定して日常生活を送っていたそうなのですが、
急変したとのこと。
アタクシも母のこともあって、連絡を取るが
少なく、Facebookの書き込みで元気なんだと
ばかり・・・。
もっと、密にメールをすればよかったと後悔
しました。
後悔先に立たず。
連絡しようと思ったときは躊躇なく、そうした
ほうがいい。
会いたいと思ったときは会ったほうがいい。
アタクシは、そういう年齢なんですもの。
Dちゃん、ご冥福をお祈りします。
Save your life & Know the virus
第7波の感染者数も次第に減少傾向。
withコロナとなりつつある今も、基本は感染
しない、感染させない。
感染リスクの高い行動はしないこと。
マスク着用も自由になりそうです。
大事な人のことを考えましょう。
ブログをお読み下さり有難うございます。
応援頂ければ嬉しいです。よろしくお願い
します。
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コメント
コメント一覧 (8)
まだまだ、介護というほどの段階ではありません。
認知は入っていると思いますが、いわゆる、まだらぼけで、自分のことは自分でできる状態ですが、先々のことを考えると、憂鬱になります。
お母様がお亡くなりになった後も、継続して、書いてくださり、ありがとうございます。毎日の励みになっています。
今日のブログ、グッと胸に迫りました。
私も、大病してから、生死について考えることが多くなりました。友人も、同じように、誰にも知らせないでと言う人が多い。亡くなって、しかも、コロナの関係もあり、年末の年賀状辞退のハガキで知ることもありました。私自身も、昔の私を覚えていてくれたら良いとおもうかもしれません。
年をとるって、寂しいことだなあと思いつつ、でも、なるべく明るく生きていかなきゃと思います。
私と同じくまだ、64才。私が知らないだけで
もしかしたら学生時代の学びの舎の友人だった人達が幾人かは既にこの世にいない可能性もあるのでは…と思います。
酷使してきた体も60を過ぎたなら何かの何かで
琴切れるのかも知れません。
連絡したいと思った時にする
その通りかもしれませんね。
そして、漏れなく私も、もしもの時、誰にも連絡は入れないつもりです。
大切な友人達には既に手紙を書いており、引き出しにしまっています。
この世を去った時に家族に投函してほしいと
伝えるつもりで、、。
親しかったご友人を亡くされて、あんず様
とてもとても切ないお気持ちですね。
私達は、いつ何時、、
もうそんな年代になったのですね。
襟を正して、生きてるだけで いま 丸儲け、、
そんな心持ちです。
私の3つ上の63歳です。
年金貰うまで頑張らんなんね~なんて、つい半年前に話してた所です。
心筋梗塞で倒れてそのままだなんて…
遺影は娘さんの結婚式の姿で、優しいお顔で…泣けて泣けてたまりませんでした。
嗚咽が止まらず、退室して駐車場に居たところ、双子みたいにそっくりな妹さんが追いかけて来てくださり、少し話ができ落ち着きました。
ほんとに何があるかわからない年齢になりました。
会いたい人には迷わず会う!
それが大事です。
こんな澄みきった青空のもと、今日荼毘に付されるのだなぁと思うと、本当に命の儚さに切ない気持ちになりました。
幸いだったのかなと思います。
もう今度は自分自身が歳をとってどうやって生きていくか考えさせられるような領域になってきましたね。私は母の死後肩の鍵盤を損傷したり、最近では何とコロナにかかりましたよ。夫婦共に。主人は肥満気味だったので中等症で入院する羽目になり今はもう復活して元気ですが、私は熱は下がったのですが後遺症咳が止まらない、が1ヶ月続きやっと治ってきています。でも、もう昔のコロナの様な血栓ができてとかはないような気がします。軽症化してるようですね。これから人生を楽しく生きるコツはいかに健康でピンピンコロリでいけるかが重要に思います。
私は自家菜園でお野菜作り、添加物を避けた食事、
味噌も手作り、らっきょう漬けたり、パンは国産小麦でホームベーカリーで作っています。お米は無農薬玄米、お肉控えめ頑張ってます。あんず様もお体ご自愛くださいませ。
コメントを頂き有難うございました。
まだらぼけで、自分のことは自分でできる状態なら、
まみ様が手を出すことなく、ゆっくりでもいいから、
なるべく、やって頂きましょう。
老人性うつ、認知症になるのも遅くなりますよ。
クラスメイトの急逝に、コロナでなくなった人もいます。
私もその年代なんだとしみじみ思いました。
これから先、会える機会があれば会いたいと思っています。
ブログは、毎日ではありませんが、続けるつもりです。
応援してくださいね。
9月29日にコメントを頂いていたのに・・・
もう1ヶ月もそのままにしてしまいました。
ごめんなさい。
介護をしていないのに、介護日記はどうかなとか、
なかなか、更新する気にもならず、
「だりぃ・・・」のグデグデがずっと続いていました。
このところ、年に2~3人は亡くなっています。
今年は、新型コロナに感染して亡くなった友人も・・・
それが、もっと年を取ると増えていくんですね。
母が亡くなって、書類を整理しているなかに、
小学校の同級生らしき人(手紙の内容からわかりました)からの
10年くらい前の手紙がありました。
結局はお互いに、生きているのか死んでいるのかわからない。
特に母は認知症になってしまいましたから。
私の将来を見るようで・・・。
親しい友人だけを大事にしておくことかなとも・・・。
コメント返しを1ヶ月もほったかしにして、
ごめんなさい。グデグデ生活をずっとしていました。
子供の夏休みと違って期限がない・・・ので、ズルズルと・・・。
今の60代は若いですから、「若くして・・・」という
言葉になりますよね。
そして、かりん様の3つ上となると、我がことのように
感じますよね。
母のことを思うと、どんどん年を取り、友人達のことも
忘れていく・・・
忘れるその前に、会いたい人に会おうと思います。
こちらこそ、ご無沙汰していました。
その上、コメント返しに1ヶ月もかかってしまい、
ごめんなさい。
私が母に最後までやりたかったのは、ファーマーk様の
ように、毎日、顔を見に行って話をすることでした。
2年半の間、面会に行かないと認知症も進行しました。
その上、昨年秋の進行性の皮膚癌を取り切れずに
いました。というか、すでに他にも出来ていたのかも
それが母の寿命だとやっと思えるようになりました。
その後、肩の具合は如何ですか?
私達の年代で、関節や筋を痛めると、不都合が
続きますものね。
ご夫妻でコロナ感染とは、大変な思いをされましたね。
そういう経験をされると、健康が第一だし、食べ物に
関しても身体によいものをと考えられることでしょう。
以前から畑をやっておられましたものね。
私も、大津の土地を農地にして、やってみようかな
とも考えています。
作物を育てるって簡単なことではありませんよね。
お互い、健康第一、認知症予防、やることが
いっぱいですが、頑張りたいものです。