或る日、板チョコが必要になり、コンビニで購入。
バレンタインデーではないのに、何故、買った?
この理由は、また、後日に・・・。
そのとき、手に取ったのは、Meijiチョコレート。
それは、母に通じるからです。
母方の祖父は、母が生まれる前、海軍に所属して
いたのだそうですが、上司と衝突して飛び出して
しまう向こう見ずな人でした。
要は、我儘な人だったのでしょうね。
さらには、ちゃぶ台返しをするタイプ。
だから、家族からは煙たがられていたとのこと。
祖父が日課にしている散歩に、家族は母に一緒に
行くようにとけしかけたのだそう。
おじい様はね、気難しい人だったから、家族と
しては、いないほうが、お茶しながらゆっくり
出来たのよね。
一緒に散歩に出掛けると、鍋や横丁まで歩いて
途中で、いつも、Meijiの板チョコを買って貰う。
それが、目当てでついて行ったようなもんよ。
厳しい祖父も末っ子の母には優しかったようです。
最期に近くなったとき、何が食べたい?と聞くと、
チョコレートと言われて、ビックリしました。
きっと、子供の頃に食べた味が甦ったのでしょう。


Save your life & Know the virus
このところの感染者数も次第に減少傾向。
街中にも、海外からの観光客が増えています。
「第8波」と「インフル」の同時流行が心配され
さらに、新たな変異株も…
いずれにせよ、感染リスクの高い行動はしない。
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コメント
コメント一覧 (4)
ブログ更新ありがとうございます。
meijiチョコレートをお供えされたお写真。
文福とお母様の笑顔もいっそう嬉しそう~♪
私も板チョコといえばmeijiチョコレートが一番大好きです。
ガーナよりmeijiなんですよねぇ…(笑)
あんず様のお母様も大正生まれでしたね。
私の母は大正14年生まれですが地方都市のわりあい賑やかな街中で育ったようです。
認知症になる前に少し子供時代の想い出話を聞いたことがありました。
子供の頃はチョコレートやキャラメル、アイスクリームも食べてたのよ~♪と言った母に私は驚いたものです。
戦前生まれの人の食生活は貧しかっただろうと勝手な憶測をしていた私。
考えてみればあんず様のお母様や母の子供時代は大正ロマン~ハイカラな昭和一桁時代です。
戦争の影など微塵も感じない平和で良い時代だったのですからね。
母はよく言っていました。
戦争が始まった頃に子供時代を過ごした方々つまり母より10才ほど若い世代の方々は子供時代はお菓子はもちろん満足な食事など出来なくてほんとうにかわいそうだった。と…(涙)
戦争は一瞬で世の中を悲劇にしてしまう。
2022年の現在も絶えず戦争は続いています。
子供の頃に見た『お菓子放浪記』というドラマが忘れられず大人になり原作本を買いました。
筆者はまさにその世代でした。
本のあとがきにデパ地下のお菓子売り場に行くとあらゆるお菓子を買いたくなるとありました。
筆者が幼い頃に口に出来なかった甘いお菓子。
私が自分の生まれて来た時代と境遇に感謝しながら涙ながらに読んだ本でした。
一日も早く平和な世になりますように…。
もし、お母様が大正14年の1月~3月生まれであられたら、
母と同学年でしたね。
母が大正13年11月生まれですから。
そそ、結構、母達の子供の頃は、美味しいものがあったようです。
アイスクリームも自家製だったとのことで、ほんとに私が小さい頃ですが、
作ってくれて、美味しかったことを覚えています。
そのうち、買ったほうが簡単で美味しいと作ってくれなくなりましたけれど。
『お菓子放浪記』
ドラマに記憶がないので、ググってみましたら、
木下恵介・人間の歌シリーズで放映されたんですね。
今、思えば、戦時中の話はあまりしてくれませんでした。
認知症になってから、生まれた中野の家が空襲で全焼して、
財産が無くなったとしつこく言っていて、私は辟易してました。
食べられない人達が多かったことは、歴史で学んだことでした。
戦争のない世界を願いつつも、地球上では、あちこちで
いざこざや戦争が起きている・・・
平和な日本ですが、平和な世界をと思います。
お返事ありがとうございます。
母は大正14年1月生まれですのであんず様のお母様と同学年になりますね。
そうですね…。
思えば母も戦時中の苦労話はあまりしてくれなかったです。
あんず様のお母様も(認知症の時は除いて)あまりお辛かった体験は娘にはあえて話されなかったのかもしれませんね。
母も「満州から引き上げた時は大変だったよ」と軽く話すくらいでした。
最近になって叔母から聞いた話ですが幼かった叔母は命からがら本土に帰還した母を見て玄関に乞食が立っていると思ったそうです(苦笑)
娘には話したくない辛い出来事がたくさんあったのだろうと今沁々母の人生を思います。
『お菓子放浪記』
ググって下さりありがとうございます。
人間の歌シリーズという木下恵介氏のドラマだったのですね…。
良いドラマや小説・映画はなぜだかずっと記憶の片隅に残るものです。
あんず様のブログで度々紹介されたご本も私の心のビタミン剤となっています。
お互いにぼちぼちゆっくり休みつつ心身元気で過ごしましょう(*^^*)
やはり、同じ学年だったのですね。
確かに母は、子供時代の話はよくしていましたが、
戦時中のことは、あまり口にしませんでした。
母には、二人の姉がいました。
一番上の伯母は、満鉄に勤めていた伯父と結婚して
満州で暮らしていました。
引き揚げのときは、舞鶴に祖母が迎えに行ったと母から
聞いていました。
伯母も終戦近くの話はしませんでした。
伯母の家に遊びにいくと、よく餃子を作ってくれ、
美味しくて大好きでした。
母や伯母から、もっと話を聞いておけばと思いました。
父も一切、口に出すこともなく、子供心に聞いては
いけないことのように感じていました。
それだけ、悲惨なこともあったのだと思います。
だから、戦争をしてはいけないのですよね。
なんで、世界から争い事がなくならないのでしょうね。