今日(1月7日)のNHKスペシャルで認知症に関する
番組があったので、見ました。
介護が終了した今でも、認知症は気になることでも
あります。
NHKスペシャル
認知症の母と脳科学者の私
記憶が失われても母は母らしくいられるのか―。
脳科学者の恩蔵絢子さんは、認知症になった
母・恵子さんの介護をしながら、この問いに
向き合い続けてきた。
脳画像を分析したり、音楽療法を取り入れたり
しながら、“母らしさ”を探す日々。
次第に、症状が進行し母の脳の機能が失われて
いく中、恩蔵さんは、ひとつの“答え”にたどり
ついていく…。
脳科学者の娘が、これまで気づけなかった母と
“出会い直す”7年間の記録。
配信中
再放送:1月11日(水)午前1:10
お母様が65歳のとき、アルツハイマー型認知症と
診断され、お父様とともに、自宅で介護をされて
おられます。
恩蔵先生のことは、2021年5月にNHK E-テレでの
ハートネットTVで介護の様子を放映されていました。
それについて、アタクシもブログにアップしました。
お母様の様子は、足腰はしっかりされているものの、
やはり、認知症は進行されていて、食べ方を忘れて
いたり、寝るまでに20分かかるなど、介助が必要な
状態になられていました。
「バカだから」とお母様は、何かと口にされる・・・。
そうそう、母も言ってました。
アタシ、バカになったみたい。
恩蔵先生は、「なんでそんなことを言うの?」と
その都度、おっしゃっていました。
アタクシも最初は同じようなことを言っていました。
でも、途中からは、「バカでいいのよ。お任せして
動けばいいんだから。」に変わりました。
出来ないことがあるとネガティブな言葉を発する
のは、そこに感情があるからだそうです。
それにしても、お母様と接する恩蔵先生はお優しい。
アタクシは鬼娘だったと、テレビを見ながら思い
ました。
具体的なケースを取り上げていて、わかりやすそう。
Save your life & Know the virus
現在、私達は相変らず常に感染対策を意識した
生活を余儀なくされています。
感染しないためには、睡眠不足にならないことと、
免疫力を落とさないようにバランスよく栄養を摂る
ことです。
基本は変わりません。
手を洗い、消毒すること。
密になるところに出掛けるときは、マスクの着用と
電車やバス等の公共機関内では会話を抑えるように
心掛けることでしょうか。
ブログをお読み下さり有難うございます。
応援頂ければ嬉しいです。よろしくお願い
コメント
コメント一覧 (6)
早速再放送の録画予約をしました。
優しく接している人を見ると
何故もっと優しい声掛けしなかったのだろう…と思う事が有ります
でもね、あの時は自分なりに一生懸命だったんだヨと思う事にしています
ホントに頑張った!と思いますもん…
分からない事を話す母の事が理解できなくて…
母に甘えていたのかもしれません、それだけ近い存在だったから…
きっと、あの介護の時に戻っても私は同じ対応をするんだろうなぁ…
私も昨日予約したのですが、リアルタイムに夜見ると色々悩んで眠れそうにないので、日中気分の明るいうちに見ようと思っています。笑
最近の母はじわじわと認知が進んでますが、その場限りの会話はできるので気分が明るい時はテレビを見ながら私に色々話しかけてきます。
昨日もテレビから脳科学者の娘と認知症の母の番宣が流れたら、「あら~あの人、認知症なんやね。あんまりそんな病気になる人聞いたことないのにね~」と他人事のように話してました。笑
花子さんの近所に済んでる90歳も93歳も95歳もバギーを押さねば歩けませんが、頭はほんとスッキリしておりしっかり会話されます。
花子さんが言うには…「家族と住んどるから、話す相手おるからや」と。
いやいや花子さん、一緒に済んでても(住んでるからこそ腹立つ事も多いらしくて)会話しとらんらしいよ、あの婆さんたちしゃきんとしとる分、「嫁さんとは上手くいっとらんし話さんのや」って愚痴っとったわ…と言いたいのをぐっと我慢してます。
明けましておめでとうございます。
その番組は私も気になり録画いたしました。
「お母さん バカになっちゃった」
「もうどっか行きたい」
「死んだ方がまし」
会社から帰って来ると母はこの言葉の繰り返しでした。
恐らく認知が酷くなって来た母に手こずり日常的に父が母を言葉で攻撃していたのでしょう。
私はそんな父が赦せなくて…
私の母に対する愛情は今思えば父への当て擦りもあったかと思います。
認知症とはいえ家の中で娘と夫が啀み合う会話を聞きながらの生活…母にとっては地獄で「もうどっか行きたい」は心の叫びだったのかもしれない…と、今なら思えます。
父にしてみれば何事も【母親ファースト】の私の行動・言動に腹立たしさもありもしかしたらその歪んだ気持ちが母に向いて母に暴言を吐いてしまっていたのかもしれません。
私の母親ファーストは母が認知症になる前の元気な頃からそうでしたから…。
私も父に優しくしたときもあるにはあった。
そうすると父はよけいに態度が大きくなる!
人は優しくされたら自身も優しくなるもの。
優しさの還元みたいなもの父には無かった。
父と啀み合うのでは無かった…という後悔も結局は母が辛かったかも?から来ている(苦笑)
残念ながら…私は父には死ぬまで優しくできないと思います。
父がこの世の人でなくなったその時に私が後悔するかわかりませんが少なくとも父は認知症ではありません。
施設の中で「鬼娘に棄てられた」くらいのこと優しいスタッフさんに愚痴っては同情をかってもらっているかな?
鬼娘、未だ面会に一度も行っておりません。
傍若無人のワガママな人生だったヒト。
父への後悔…私はないと思っております。
要介護度5のお母様を在宅介護されている方のブログを
読んだときも、愚痴も言わずにやっていることが
不思議に思ったものです。
優しい気持ち、どうして?、私は持てない・・・。
悩みもしました。
母の認知症を受け入れられなかったんですね。
受け入れられるようになったのは、最後の半年。
目蓋に癌が出来て、眼科や形成外科に通い出してから。
私の中に諦めることが出来てからだったと思います。
「日中気分の明るいうちに見よう」には賛成です!
そそ、自分の認知症は棚上げする・・・
というか、認知症の自覚がないというのでしょうかねえ。
あのころ、そうすれば、暮らしやすいのにと思ったものです。
会話があろうとなかろうと、認知症は発症するのにね。
こちらこそ、本年もよろしくお願いします。
恩蔵先生のお父様は、お母様に寄り添った介護をされて
いたと思います。
きっと、穏やかな方なのでしょう。
その点、紫陽花様のお父様は、また違う方なんですね。
もし、父が生きていたら、母の認知症はどうなっていたのか
と考えさせられました。
「優しさの還元みたいなもの父には無かった。」
お父様は昭和というか、否、明治時代の父親だった?