このところ、お風呂に入るのが面倒になってきた
アタクシです。
亡き母がアタクシくらいのときはどうだったかと
思うと、お風呂好きな母のこと、毎日入っており
ました。
その母がお風呂に入るのを嫌がったのは、認知症を
発症してからでした。
認知症ではないアタクシが、お風呂に入ることを
面倒に思うのは、年齢からくるものでしょうか?
或いは、性格なのか。
どうも、性格上からのようです。
ケアハウスのお風呂は、自由に入ることが出来ますし
近所に銭湯もありますから、お風呂好きだったら、
頻繁に入るのでしょうけれど。
自分自身に半強制的に、一日置きを科しています。
そうでないと、入りたくなーいの、一点張りに
なりつつあり、薄汚れたババ鬼娘になってしまい
そうです。
そうです。

ブログをお読み下さり有難うございます。
介護日記に引き続き、よろしくお願いします。
コメント
コメント一覧 (4)
昔のフレーズでスタートです。お風呂が億劫になってきましたか、私も、ちょっと苦手になってきました。でも、これは考えてみると、お風呂に入るのが億劫とゆうより、準備することが特に億劫になっているので、お風呂はいいや、になっているようです。
その原因は、筋力の低下があり、移動が億劫になったのが原因ではないかと思います。動くと疲れるから嫌いになっているのかも?
もしも、安全にできれば、階段で移動する様にすると良さそうです。日中の涼しい時に公園のなだらかな階段を使って運動がよいのではないでしょうか?
やる気、元気は、筋力からだと思います。
わたしも面倒くさいと想うことが増えています。
長女の休日の前日は、出かける予定が無ければお風呂はパスでもいい?と、確認することがあります。
水道代や光熱費など、たった一日分でも浮かそうという考えと、汚れるほどのことをしている訳じゃないし…と。
母美代さんは「垢で死ぬことはない」が口癖でした(苦笑)。
これからの季節はシャワーで済ますことが多くなってくるので、ちゃちゃっと済ませられる。
温かいって、助かりますヮ~。
お風呂に入る準備、そうですね、面倒です。
母もそういうようなことを口にしてました。
洋服を脱ぐのも面倒だって。
今の私がそうです。
その反面、老人は清潔であるべきだとも
思っているのです。
筋肉はつけなければいけませんね。
歩くにも必要ですしね。
なんだか、老人になるとやらねばならぬ
ことが増えてきていると思えてなりません。
面倒だと思う事は、ほんにお風呂以外も
ありますね。
こうやって億劫がる生活になっていくのでしょうね。
ケアハウスの方々も出かける人は出かけますが、
建物の外すらでない人もいます。
なんだかなぁ。年取るってこういうことから
始まるのかなと思います。
「垢では死なない。」そうでしたね、
懐かしいフレーズです。