関東の三浦半島の先端には有名な城ケ島があります。
城ケ島の手前に位置する油壺湾は、湾が壺のような
形をしているので、そのように呼ばれています。
この湾には、海上にヨットを係留するのと陸上に
揚げて(上架すると言います)陸上保管している
ヨットがあります。
海上の係留は神奈川県水産課の管理下ですが、陸上
保管は第三セクター会社の経営です。
昭和58年のことでした。
当時、勤めていた会社の社長が油壺湾の海上に
ヨットを係留していました。
神奈川県の管理下ですから、管理費用は陸上の半分。
人気の係留地でした。
ところが、管理費用を値上げするし、ヨットをこれ
以上大きくするな、相続以外は係留してはいけない、
とお達しが出ました。
これに対抗するには、団体交渉しかないという意見
から、お遊びクラブではまずい、「協会」という
形にしようと有志が集まって設立されました。
これが、今のヨットクラブの前身です。
設立当初から、会社の仕事の一部として、事務を
任されて、今に至ります。
ここまで、延々とお話ししたのは、元旦に油壺に
向うバスの中で、見たことがある顔の方とお会い
したからです。
設立したときは、150艇でしたが、その後、バブル
崩壊後は三分の一に減りましたが。さらに、今は、
減っています。
さて、バスの中でお会いした方は、設立当初は
某ヨットのクルーでした。
「協会」として神奈川県との交渉で勝ち得た
相続以外の他人に名義を移譲してもよいという
ことからオーナーからヨットの名義を譲り受けた
人でした。
会には協力的な方で、アタクシともよく話を
した方でした。
ところが、病名はわかりませんが、視力が落ち、
いずれは見えなくなるということで、ヨットを
卒業すると言ってやめられました。
そして、山小屋を造って海上とは関係のない
場所で暮らしておられました。
Facebook友達ですから、ときどき、アップされる
記事を読んでいました。
その彼がまたヨットに復活し、拠点を東京湾に
置いて乗っていることをFacebookで知りました。
バスの中で、思い切って声をかけてみたところ、
視力は元に戻っていないのだそう。
人の顔もあまりよく見えない、だから、逆に
声を掛けて貰って、話をしてわかりましたと
言われました。
妻です、と紹介を受けた奥様が横について、
足元を注意しながら動いていました。
このまま閉じ籠っているより、やりたいことを
やろうと思いましたとのこと。
今は、ヨットに一緒に乗る相棒もいて、海に
出られるようになりましたと聞き、アタクシも
前向きに考えて暮らそうと思いました。、
ブログをお読み下さり有難うございました。
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